第4話
「ところでソーヘー、お前趣味はあんのか?」
並べられたホットサンドを食べきった後。残り少なくなったコーヒーを片手に、係長はそう問うた。私は口の中がいっぱいだったから、首を傾げて問い返す。いきなりなんですか、の意味で。
「これをしている時だけは現実を忘れられるって、そんな趣味はあんのかってハナシだよ」
係長の眼差しはいつになく真剣だった。普段は適当に仕事をしているように見える人だから、一緒に外回りをしてもこんな顔にはお目にかかれない。その真剣さに少し気圧される。
趣味と聞かれて一番に思い浮かぶのは、やっぱり小説を書くことだ。それは一番長くやっている趣味だけど、でもそれを公言するのには勇気がいる。それは仲のいい地元の友達にだって、まだ言えていないことだから。
「ある」と答えれば「それは何だ」と突っ込まれるだろうか。そうだろうな。でも「ない」と答えても結局突っ込まれる気がする。
だから「ある」と答えて、別の趣味を言おう。係長の興味は、私に趣味が「ある」のか「ない」のか、それだけだろうから。
「で、あんのか? 趣味は」
「あるにはあります、けど……」
「そうか。ならそれを大事にして、プライベートを充実させろ。趣味は人生を豊かにしてくれるし、結果それは仕事にも反映されてくるからな」
意外な反応だった。私の趣味の内容には触れず、さらになんて言うか、随分まともなことを係長が言っている気がする。
……物凄く失礼な考えかも知れないけれど。
「要は、自分は本気で趣味を楽しんでるって言える人間になれ、ってことだ」
再びコーヒーを啜る係長。少なくなったコーヒーを、カップの中でくるりと回している。そのコーヒーを勢いよく口に流し込んだ後で、係長は言葉を続けた。
「どんな趣味でもいいんだ。自分が楽しいと本気で思えることなら、なんだってな。その趣味は、お前の人生を鮮やかに彩ってくれて、居場所を与えてくれる。それは間違いねぇよ」
「係長には、そんな素敵な居場所があるんですか。いいですね、それ」
「他人が聞いて素敵かどうかはわからねぇけどな。オレにとっちゃ、そこは必要な居場所だな」
「ちなみに係長は、何を趣味にしてるんですか?」
「ドール・オブ・ビューティ。オレぁ多趣味でな、いろいろ趣味はあるけど今はその対戦型のネットゲームをやってんだ。FPSつって、簡単に言うと銃をバンバン撃ち合うゲームだ」
「ゲーム、ですか……」
「あ、今お前、三十路こえてゲームかよってバカにしたな?」
ニヤリと笑う係長。バカになんてしてない。ゲームは全くやらないから、どう反応していいのか困ってしまっただけだ。でも顔を見ると怒っていないことだけはわかる。係長は笑顔のままで言葉を継ぐ。
「冗談だ、お前が他人の趣味をバカにしないヤツだってのはわかってるよ。だが、三十をこえてゲームに入れ込んでるオレをバカにするヤツは確かにいる。オレはバカにされても全く気にならねぇし、むしろコイツは他人の趣味を貶すヤツか、ってわかってラッキーだけどな」
「ラッキー?」
「コイツとはもうプライベートで関わらねぇって見切りがつくだろ。それは自分の得に違いない。世の中で絶対やっちゃいけねぇことは、犯罪と、人を裏切ること。そして他人の趣味をバカにすることだ。そんなヤツとは縁を切るに限るだろ?」
確かに。他人の趣味をバカにする人に、いい人なんていないと思う。
……係長になら言えるだろうか。きっと、私が小説を書いていると言ってもバカにはしない、と思う。
でも、やっぱり言うのは難しい。それは何故だろう。自分に自信がないから? 作品に自信がないから? 顔を知っている関係の人に、読んでもらうのが怖いから……?
「まぁ何にせよだ。『自分は趣味を本気で楽しんでいる』って他人に公言できるくらい、趣味を充実させろ。趣味はあくまで趣味だから適当でいいや、なんて言葉で片付けるな。自分が納得できるまで趣味に注力すんだよ。場合によっちゃ、オレは趣味に使う休暇だって認めてやるぞ」
「いやそれは、さすがにやりすぎなんじゃ……」
「やりすぎるくらい没頭しろってことさ。そうして見えてくる世界が、きっとある。プライベートが充実してるヤツは仕事だってバリバリやる。逆に趣味すら充実できてないヤツは、何をしたって中途半端なのさ。まぁこれは、私見で偏見もたっぷり入ってるけどな」
笑う係長は一旦言葉を止めて。そして空を仰ぐように、視線を上に向けた。
ぷかりと浮かぶ、まんまるな月。それを眺めながら、私はさっきの係長の言葉を反芻する。
──趣味を、本気で楽しんでると言える人間になれ。
私はどうだろう。趣味に没頭できているだろうか。本気で充実できていると言えるだろうか。
今まで「なんとなく」小説を書いてきた。本を読むのが好きだったし、映画でもマンガでも、そこに「ストーリー」のあるものが好きだったから、という単純な理由で。
いろんなストーリーを体験していくうち、だんだんと自分の好みの傾向がわかってきた。でも自分の好みを完全に満たすストーリーにはなかなか出会えない。
それなら自分で書けばいい。そう思ったことが、小説を書き始めたきっかけだ。
自分で書いたそのストーリーを、誰かに読んでもらいたい。自分が「いい」と思うストーリーに共感してもらいたい。その欲求が生まれたのは、最初の小説を書き上げたとほぼ同時。私はある小説投稿サイトに登録して、その時から作者としての活動を開始した。
そのサイトに集う人たちはみな優しくて、自作を読んでくれたうえに、感想やアドバイスをしてくれた。
それは本当にありがたいことだった。自分はここにいてもいいんだと、自身の存在を肯定してくれている気になれた。
──最初はよかった。貰える感想が嬉しくて、的確なアドバイスで自分が成長できている気がして。
でも日を追うごとに。いや、他人の作品を読むごとに。圧倒的な彼我の差を痛感して、なけなしの自信がどんどん擦り減っていくことに気がついた。
もちろん、小説に勝ち負けなんてないのはわかっている。でも、そこに優劣は確かに存在する。
私より上手に小説を書く人がこんなにも多くいるのに、私に小説を書く意味なんてあるのだろうか。やっぱり、私は──。
「ソーヘー、酷ぇ顔になってんぞ。深刻に考えすぎだ。お前の悪いクセだぞ、それ」
「そんな、深刻に考えてないですよ」
「ウソつけ。お前の顔に書いてるぞ。『深刻です』ってよ。左頬の方、多分ボールペンだな。それ油性か?」
「えっ?」
私は無意識に左頬に触れた。ごしごし擦っても、指にはインクのカケラさえも付いてない。まじまじと指を見つめていると、ぶははと係長の吹き出すような笑い声が聞こえた。
「……ソーへー、お前ほんと純粋だなぁ。いや、近年まれに見るピュアっぷりだったぜ。あー、いいもん見たわ」
「み、見せ物じゃないです! それにソウヘイ違いますから! ピュアでもないですから!」
くつくつと笑いながら、係長はカップを掲げて。そして「もう一杯飲むだろう?」と優しく声を掛けてくれる。
──その優しい声が、私の冷たい身に染みた。
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