4
北河は沈黙の中に閉ざされている。
昼前になって、風が吹き始め、やがて吹雪になった。向かい風だったので、、
少女の声がしたが、すぐ風が消してしまった。
再び声がした。
「らい……も、くる……んですか」
風に乗って、微かな声が聞こえた。
「ああ」
と、隆哉は大声を上げた。
再び声がしたが、聞き取れなかった。橇を止めた。
彼女の傍に行き、橇の縁に腰を落とした。
「来年も来るの?」
風の中にすっと溶け込んでいく微かな声だった。その声があまりにも落ち着いていて静かだったので、隆哉はすぐには口を開けなかった。
ただ頷いて、彼女を見詰めた。
「東京に帰るの?」
「あした、一番の列車で帰る。これから、一年生きていけそうだから」
「家族、いるの?」
「おふくろと、暮らしている」
「どんな仕事をしているの」
「役所で、税金の仕事」
「どうして、東京に行ったの」
言葉に詰まった。
心中事件を起こしたので、この町では暮らしてはいけなくなったのだ。行ったのではなく、逃げ出したのだ。
何も言わずに橇の後ろに行き、勢いよく橇を走らせながら飛び乗った。
少女は自分以外のことに興味を持ち始めている。そう思だけで、安らかな気持ちになれた。
昼過ぎに、白い町影が見えだした。町全体がすっぽりと吹雪に埋もれている。
橋の上に出ると、橇を止めて少女を見詰めた。
「家まで送っていこうか?」
少女は毛布をよけて橇から降りた。
「わたし、
はっきりした口調で言うと、深く頭を下げた。そして、少し足を引きずりながら、町の中へ歩き出した。
フードを被り直すと、橇に腰かけて、雪の中に消えていく少女の後ろ姿を眺め続けた。彼女は一度も振り返らなかった。幻となった人影が、隆哉の瞼に残った。
なにか、遠い過去の出来事のように思えた。
ユミコ……。声に出してみた。静かだった。風の音さえ聞こえなかった。
隆哉は駅のホームに立っていた。
薄い雲の流れていく灰色の空から、白い太陽がうっすらと浮かんでいる。目の前に、ふっと雪が流れてくる。悲しいほど静かで、そっとそのまま気を失っていきそうだった。
地響きを立てながら気動車がホームに入ってきた。ボストンバックを持って列車に乗り込んだ。列車の中は空いていて乗客の数を数えきれるほどだった。
ホームよりの真ん中あたりの座席に座った。発車まで二分あった。単線なので、交換の下りの列車を待っているのだ。
ボストンバックの中の本を捜していると、トントンと車窓を叩く音がした。顔を上げると、弓子が覗きこんでいる。彼女は緊張した面持ちで。隆哉に頷いてみせた。
出口に急いだ。弓子もホームを彼の後を追った。
ホームに降りると、弓子は声を弾ませて言った。
「約束してください、わたしと」
隆哉は彼女の勢いに押されて訳も分からず頷いた。
「今年の夏、わたしを、十勝岳に連れていってください。そうしたら、わたし、約束します。毎年、元日に、わたしは、水仙の花を、あの河に供えます」
隣の車線に気動車が入ってきた。
発車のベルが鳴る。隆哉はあわてて列車に乗って、弓子を見詰める。彼女は動悸が治まっておらず、肩で息をしている。
「約束した」
隆哉は声を弾ませて言った。
ふっと、弓子の表情に笑みがこぼれた。
「これ、わたしの住所」
彼女は隆哉に紙片を渡した。
列車が動き出した。弓子は手を振った。隆哉もデッキを掴んで体を支え、身を乗り出して叫んだ。
「約束したぞ」
急に瞼が熱くなり、視界がぼやけた。
駅が遠ざかっていく。もう一度身を乗り出して弓子を捜した。
弓子は両手を上げ、大きく振っているのが見えた。
大きく息を吸い込んだ。
そして天を仰いだ。
灰色の空から、目の前に雪が生まれてくる。温かくなった心の中に、雪たちは祝福するように舞い降りてきた。
完結
北河 サトヒロ @2549a3562
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