ジャック・オ・ランタンさんの憂鬱

濱村史生

The Melancholy of Ms.Jack-o'-Lantern.

 目の前に、ジャック・オ・ランタンがいた。



 年に二回しか活動しない、間接照明研究会カンケンの部室に足を踏み入れたときの話である。

 全生徒が何らかの部活動・同好会に所属するのが義務付けられているこの浅見崎あさみざき高校には、妙な部活動がそこかしこに溢れている。どうしても部活をやりたくない、そんな先人たちが集って、校則の穴を突いたのだ。例に漏れず先人たちの恩恵に与っている僕も、学生時代のほとんどをアルバイトに費やすためこのカンケンに入会した。選んだ理由? いちばん無害そうだからかな。

 なにせ、活動は年に二回きり。それも、間接照明がいちばん活躍するはずだ、という開祖の独断と偏見により、10月31日のハロウィーンに向けた時期と、そこから約2か月後のクリスマスの時期だけ。

 部活をしたくない者たちの集まりだから、パーティーはおろか部室にたむろするやつすらいない。この学校内で言えば、一番の穴場だろう。


 僕がこの部屋に決めたのも、本来ならそういう理由からだった。まず誰もいないし、近付かないだろう、という予想と確信。



 なのにそこには、ジャック・オ・ランタンがいた。



 よくある着ぐるみのような頭部の被り物をして、カボチャの底からはこの学校の指定であるセーラー服に身を包んだ身体が続く。膝上二十センチはあるであろうひどく短いスカートから伸びた太腿は細く、真っ黒なタイツに包まれていた。

 そんなジャック・オ・ランタンさんが、僕の目の前にいる。


「……え、ええと……………こんにちは?」


 どきどきしていたのがすっぽ抜け、しばらくしてから話しかけると、ジャック・オ・ランタンさんは、わずかに頭部を傾けた。もしかしてだけれど、会釈されたのかな?

 ほとんど活用されていない古ぼけた革張りソファを軽く撫で、埃がついていない手のひらに安堵して腰を下ろす。彼女の方を向くと、僕に背を向け、ぼくが閉めたばかりの扉を再び開いているところだった。


「帰るの?」

「…………」


 答えはない。いや、一度、カボチャに包まれた頭部を再び上下させた。頷いてる?

 僕は彼女が去ってゆくことに寂しさを覚えていたけれど、引き留める言葉を見つけられなかった。

 そんなわけで、ぼくは彼女――ジャック・オ・ランタンさんが去ったあと、ガッカリした気分でソファに身を、心にモヤモヤを沈めていた。


「あれ」


 そんな折である。

 彼女が去ってから五分も経たない間に戸を開けて入ってきたのは、奇妙なことにクラスメイトの小泉だった。

 首が隠れるほど上までチャックを締めたジャージ姿だが、キマっている。初対面ではおおよそバスケ部かバレー部に所属しているだろう、と予想されるほどすらりと高い背丈。女子からもきゃあきゃあ騒がれているところをよく見るし、その度に不敵に笑っている姿も、悔しいけれどサマになっているやつだ。


勝見かつみもカンケンだったんだ」


 言い忘れたが、僕の名前は勝見なぎさ。僕は「うん」と頷いてから、小泉にとなりを促した。他の椅子じゃあ、ホコリに塗れて座れそうもない。


「どうりで部活に入ってる気配がないと思ったよ」

「まあね。バイトがしたくてさ」

「避難所と化してるもんなあ、ここ」

「そう言う小泉はなんで? おまえ部活入ってなかったっけ」

「ああ、演劇部?」

「えっ。バレー部じゃなかった?」

「完全に身長だけで判断してんだろ勝見」

「むしろどこで判断しろと?」

「ごもっとも」


 短いくせっ毛をがしがしと白い指で掻きながら、小泉は笑った。すこし前から思っていたが、よく笑うやつだ。


「演劇部といえば、今話題の」

「話題って?」

「謎の美少女の話。知らない? 立てば芍薬座れば牡丹、ロングヘアたなびく歩く姿は百合の花」

「なんか増えてんな」

「という、千年に一度の美少女もビックリの女子が演劇部の部室に入ってくの見たって」

「あ~~、ウチでも話題になってたけど、それ絶対童貞の妄想か七不思議がいいとこだろ」


 僕は人知れず身を震わせた。ばれたかな?

 不利な話題僕の経験談に話が及ぶと厄介なので、話を逸らす。幸い僕には、格好の話題があった。ジャック・オ・ランタンさんの件だ。


 掻い摘んで、先ほど起こった奇妙な人物のことを説明した。できる限りの記憶を掘り起こし、できる限り正確であるように心がける。

 すべてを聞き終えた小泉は、いつの間にか組んでいた足を左右ひっくり返しながら「ふうむ」と訳知り顔で頷いた。


「なるほど。確かに不思議だね」

「でしょ? 僕が気になるのは二つ。なぜ彼女は、ジャック・オ・ランタンの頭部を頭にかぶっていたのか。そして彼女はいったい誰なのか」

「名探偵にでもなるつもり?」

「いえいえ、僕はしがない依頼人。助けてよ名探偵さん」

「フーム、いいでしょう」


 神妙に顎に手をやった小泉は、名探偵がよくやるように立ち上がり、部屋の中を歩き始める。


「まず、彼女が誰かということよりも、なぜ彼女が頭にカボチャの着ぐるみを被っていたのか? という謎から始めてみようか、ワトスン君」

「単にハロウィーンだから、というのはどうかな?」


 速攻で却下された。

 表情だけで不満です、のポーズを作ってみる。


「どうして? あの頭部を身に着けていた時点で、悪戯を仕掛けるつもりだったって可能性は否定できないと思うけど」

「それはそうだけど、その線でいくとしたら、頭部を外すことなく去って行ったのは変じゃん?」

「なんで?」

「だって悪戯はネタバラシの瞬間がいちばん面白いって決まってんだよ。その瞬間を用意しないまま去って行くのは可笑しい」

「やけに実感こもってるな」

「まあ自分なら絶対そうするっていう自信がこの推理の裏付けだからね」

「裏付けでもなんでもないよ、それは推測」

「チッ」


 態度の悪いやつだ。しかし小泉の言うことには一理ある気がする。


「じゃあ、コイズミームズは、なんでだと思うわけ?」

「よくぞ聞いてくれたねカツソン君」


 小泉は辺りを見渡すと、おもむろに机の上を人差し指でなぞる。


「ホコリだらけだろう、この部屋」


 僕も小泉に倣って辺りを見渡した。ソファを撫でるものの、僕の指の腹は、小泉と違って真っ黒には染まらない。

 首を傾げると、小泉は生意気に唇の端を持ち上げて笑う。効果音をつけるなら、「ふふん」だ。


「そう。この部屋はホコリだらけだ。なのにそのソファにだけはホコリがない! ところで勝見クン、キミは花粉症かい?」


 僕は首を縦に振る。春が特にひどいけれど、秋もそろそろやばい。


「じゃあ知ってるだろ。花粉症はどの花粉にアレルギーがあるかで、ひどい時期が人それぞれ異なるということ。ちなみに最近では、花粉だけでなく、ハウスダストのアレルギーに悩まされる人も多いんだとか」

「ハウスダスト?」

「そう。ハウスダスト。つまり――――ホコリ」

「…………つまり…………」


 ――――その心は?

 魔法をかけるように、小泉はホコリに染まった人差し指をピンと立てて見せた。



「つまり、彼女がカボチャの頭を被っていたのは、ハウスダストアレルギーから身を守るためだったのだ!」



「いや、マスクでいいじゃん」

「マスクがなかった可能性は?」

「万が一そうだとしても、だったら保健室でもらえばいいだけの話だと思うけど?」

「うっ」

「っていうかそこまでして居なきゃいけない理由もないじゃん、部屋出ればいいし」

「ううっ」

「はい、反論終了」


 小泉は悔し気に唇を一度尖らせてから、どっしん、と大袈裟な音を立てるようにしてソファに座り込む。預けた背と腰のあたりから、ソファが軋む音が響く。

 そんな音に重ねるように、ぽつり、と小さな声が続いた。


「………見られたくなかった、とか」

「ふむ。なかなかいい線だね」


 ようやくまともな意見が出てきたことに安堵した。


「見られたくなかった、というのはもちろん顔だよね。隠してるわけだし」


 僕が続けると、小泉は渋々頷く。


「まあ……それは間違いないだろうね」

「なんで顔を見られたくなかったんだろ?」

「う~~~~~ん…………」


 腕を組み、マフラーのごとしジャージの襟に口許を埋めながら、小泉が低い唸り声を上げる。僕はだんだん楽しくなってきていた。思わず唇の端がヒクヒクとなる。

 ややあって、ハッと両目をかっぴろげた小泉が、推理もの少年マンガの主人公のような台詞と共に立ち上がった。


 それすなわち。


「そうか、分かったぞ!」

「はいコイズミームズくん」

「顔を見られたくなかったのは……そいつが男だったからだ!!」


 思わず頭を抱えた僕は、長い間を設けてようやく、とりあえずこいつの言い分も聞いてみようという気持ちになった。


「……また突飛なとこ行ったね」

「いや。でもこれはマジで天才案だと思うんだよね」

「はいはい。なんでその案に行き着いたの?」

「さっき言ってたじゃん。そいつは女子の制服着てたって」

「うん」

「普通の女子なら別に制服着てるのを見られようが困ることは何もないはずだけど、ソイツ――そのジャック・オ・ランタンさんは困ったわけだ。なぜなら、その制服を着ていることが一番奇妙なことなのだから」


 ふむ。

 最初聞いた時はどうかと思ったが、道理は通っている。


「まだ高校生ともあれば、体格は制服さえ着てしまえばゴリゴリマッチョでもない限り多少は誤魔化せるだろう。でも、顔はそうもいかない。男だってことも、相手によっては何年何組の誰誰くん、ってことまでバレてしまう可能性もある」

「かなりもっともらしいな」

「ふふん。まあこの名探偵コイズミームズにかかればお茶の子さいさいってもんさ」

「なるほど。じゃあそのジャック・オ・ランタンくんがここに来た理由は?」

「そこまでは知らない」

 一気にやる気を失ったようだ。

「まあ、何かあったんじゃないの。間接照明を置きに来たとか。あとは罰ゲームとかさ。ま、深く追及するのは止めてやろう。ただでさえ男子が女子の制服を着ていたなんて話題、下手な噂になっては可哀想だ」

「まあ……そうだね。この狭いコミュニティの中じゃ、噂っていうのはどこまで回るか分からないし」


 確かに、高校生とどこぞの田舎ほど、下手な噂が広まりやすいコミュニテイはないだろう、と僕は思う。そしてそんな噂に踊らされてしまうのも。

 すっかりソファに背を預け脱力した小泉は、さながら一仕事を終えたかのように晴れ晴れとしていた。謎も解決して、スッキリしたのだろう。



 けれど、僕は、小泉に言っていない事実ジョーカーを、実のところまだ隠し持っていた。



「ところで小泉、僕がなぜここにいるか、知ってる?」

「…………は?」



 まんまるになった瞳がコマ送りでシャッターを切るように、ゆっくり、ぱちぱちと開いて閉じてを繰り返す。近くで見ないと気付けない、意外と長い睫毛が揺れた。

 僕は立ち上がり、ゆるり、緩慢にソファの前を歩き始める。



 コイズミームズの時間は終わった。

 これからは、カツミームズの時間だ。



「実のところ、僕はね、ある人にラブレターを出したんだよ」



 内容はありきたりなものだ。ただ、場所は校舎裏でもなければ体育館裏でもなく、屋上でもなく――――ここ、カンケンの部室を指定した。



 そして指定した日時は、先ほどぼくが扉を開いたころ。

 ジャック・オ・ランタンさんに、出会ったそのころだ。



「……じゃあなに、勝見は、ジャック・オ・ランタンさんにラブレターを出したってわけ?」

「うん。だけど僕が出したのは、ジャック・オ・ランタンさんじゃない」



 立てば芍薬

 座れば牡丹

 歩く姿は、百合の花



「………演劇部の、“謎の美少女”さんに出したんだ」



 そしてここで、実のところ、僕は小泉に吐いた嘘がひとつだけあった。


 演劇部の謎の美少女は、これといって噂にはなっていないのだ。

 だって目撃者は僕ひとりきり。


 放課後の、このカンケンの部室で。誰が持ってきたのかも、いつからあるのかも分かっていない古ぼけた間接照明が、ぽつり、夕暮れの橙に染まる中。

 彼女は短いスカートの裾を、恨めし気に睨みつけて、けれど気恥ずかしそうに微笑んで、お姫様のようにくるりと身体を回転させていた。スカートの裾が意思を持ったかのように持ち上がり、自由な生き物のように揺れるさまが、ひどく暴力的だった。



 その、暴力的なほどの“女の子”に、僕は恋をしたのだ。



 いつの間にかさっきと逆転した位置関係。

 唯一異なるのは、小泉が居心地悪そうに下を向いていることだろう。俯いているせいで、癖っ毛が顔の上半分を覆い、表情は窺えない。

 だから僕は近付いた。

 そしてそうっと、愛を囁くように、ジョーカー真実を突き付ける。



「だから、僕は、君に出したんだよ。……小泉」



 息を呑む音が聞こえるほど、僕は彼女――小泉美羽みはねの傍に近付いていた。好意がない相手から触れられるのは苦痛だろうから、けれど二度も彼女に逃げられるわけはいかないから、両腕を柵のように伸ばし、その中に彼女を閉じ込める。短い髪では隠せない赤い耳を懸命に押さえている、背が高くて、瘦せっぽちで、いつもジャージを着て、男じみた芝居で自分を守っている女の子を。彼女を。


「~~~~なっ、んで……」


 逃げられないと悟ったのか、ようやく小泉が漏らした言葉がそれだった。

 僕は安堵を吐息にして唇から静かに逃してゆく。


「まあ、一目惚れしてんだし気付かないわけないけど」

「……けど?」

「だって小泉、なんで僕がここにいるのか聞かなかったじゃん。一度も」

「……あ」

「だから噂話の件でカマをかけた。あんなの噂になってないしね」

「知ったかぶらなきゃよかった……」

「それに人間、完全なる出まかせっていうのは、そうすぐには出てこないもんだよ。真実を知ってる小泉は別の方向に推理を持っていきたかったんだろうけど、“見られたくなかった”っていうのは完全に本音が出たよね。カボチャの着ぐるみだってわざわざ持ってくるとなったら目立つし、演劇部の部室に眠っていて、それを部員の誰かが利用したと考える方が自然だろ」

「うっ……」

「っていうかあの推理、小泉を男にしただけじゃん。いくら普段から男っぽいって言われてるからってさあ……女子の制服だってまともに着ないからスカートの丈が思ったより短くなって焦ることになるんだよ」

「!? なんでそんなことも知ってんの!?」

「好きだからだよ、バカ」


 いよいよ本格的に黙って顔を覆う小泉に、僕は彼女の見えないところで笑いを零す。正直なところ僕は、あの女の子が小泉だということを知っていながら、まるで正体など分からないかのように振る舞ったし、自分でも回りくどい方法を選んだと思う。



 けれど、小泉が言った通り、そうなのだ。

 ―――『悪戯はネタバラシの瞬間がいちばん面白いって決まってる』。



 あの日のように差し込む夕焼けの橙が、小泉の頬を染め上げる。僕の心臓も、あの日のように早鐘を打つ。

 僕は、ソファに押し付けていた拳をぎゅうっと握り締めた。願わくば――彼女が、小泉が、笑ってくれればいいと思う。



 その瞬間が来るまで、あと、二文字。



〈了〉

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