2話 チーズケーキサンデー⑦

****


 将斗さんに伝言を頼んだ彼――松本鷹雪は、亜子のことが相当好きらしい。

 何度か告白をしたらしいが亜子の答えは常に保留。

 彼女は「好き」という感情がわからない。曖昧すぎるその気持ちがわからないと言う。



「待ってるって。私が『好き』って気持ちがわかるまで待ってるって言ってくれたの。――でも、全然わかんなくて」

「曖昧だからな」

「どうすればいいのかな。ずっと松本くんを待たせてるの、悪い気がしちゃって」



 そんなの。

 嘘をついて、

「好きだよ」

 あるいは、

「嫌い」

 とでも言えばいい。それが一番簡単だ。

 しかし、それが一番傷付く。ふたりとも傷付く答えだ。



「……亜子は嘘なんかつきたくねえよなあ」

「うん……」

「なら、待たせとけば? 本気だからずっと待ってるんだろうし。待てねえようなら、亜子のことそこまで強く想ってねえだろ」



 人並みに恋愛論を語れただろうか? いいアドバイスはできただろうか?

 ――上手に恋をしたことのない俺が、そんなことを語る資格はあるのだろうか。



「ありがと」



 しおれかけていた亜子のアホ毛がぴょこんと跳ね上がったような気がした。

 それから玄関の方を向き、「一恵さんかな?」とつぶやいた。あの髪の毛はアンテナかなにかなのだろうか。すぐに玄関の開く音がして、「ただいま」という声。母さんの声だ。



「チーズケーキ」

「うん、お腹すいたね。みんなで食べようね」



 思わずその単語が漏れ、慌てて口を塞いだ。顔も意識せずとも赤くなる。

 くすくす、と鈴の鳴るような笑い声がすぐ隣で聞こえた。

 恥ずかしくなって睨む。

 亜子は一瞬身体を強ばらせたが、またくすくすと笑った。畜生、覚えてろ。



「おや、客?」

「一恵だよ。壱くんのママ」

「ああ、岳さんのワイフ」

「まだだってば」



 そんな会話をしながら、岳司さんたちも俺たちに近づいてくる。

 1歩ずつ、幸せな音をたてて。


  ○○○○


 母さんの帰宅によりついに解放された「わいろ」と称されるチーズケーキ。

 それはまろやかで、しっとりとしていて、なかなか美味なものだった。だが「わいろ」の謎はとうとう解けなかった。

 チーズケーキで腹を満たすと将斗さんは帰宅時間となった。チーズケーキを食べるまでが用事だったらしい。

 途中まで送ると言いながら、俺は「わいろ」の答えを探ろうと将斗さんの隣を歩く。

 しかし軽いはずの彼の口は重かった。

「亜子ちゃんに聞けばよろしい」の一点張りだ。

 いやらしく、にやにやと笑っている。



「それで? 『わいろ』が本題じゃねえんだろ?」



 お見通しだったようだ。

 つくづく彼の慧眼には恐れ入る。

 風が頬を撫でていく。

 拳を握ればじとりと手汗が滲む。



「――俺は、幸せになってもいいんでしょうか」

「中二病か?」

「中二……、いや。人の幸せを、奪ったことがあるんです。そんな俺が、幸せになってもいいのかなあって」

「いいだろ。別に。神は怒ったりしねえよ? あいつは人が幸せになることを重んじりやがるからな」



「ま、俺は神なんか信じねえけど」。将斗さんは右耳に触れながら言い捨てた。とても冷たい目をしていた。

 茶髪の隙間から、銀色のイヤーカフスがぎらりと輝く。夕陽に照らされ、不思議な色をしていた。



「壱の傷は、それだったのか」

「……」

「癒えるよ。おまえの傷。あの子といれば、きっと。治りはしないだろうが、癒えはする。俺が言うからには絶対な」



 将斗さんはどん、と俺の胸を突き、にこりと笑った。

 心底安心する笑顔。

 さすが――、保健室のやさしい先生。



「で? ほかには?」

「ああ、その、『恋』って――なんですか」



 辛いものですか、

 嬉しいものですか、

 悲しいものですか、

 温かいものですか、

 淋しいものですか、

 優しいものですか、


 胸が痛いものですか。


「     。」


 将斗さんが答えたものはどれでもなかった。

 オレンジ色の夕日が眩しい。彼のイヤーカフスも眩しい。


 そのせいか。

 それとも、彼の答えのせいか。


 目を細めた。



「じゃあな、若造。おまえの心ん中、ちょっとわかったわ」



 心の中を読めるのではないか。

 そんな疑問を抱きながら、道の真ん中に突っ立って将斗さんの背中を見送った。

 少しだけ心が軽くなった気がする。



「ほんっと、亜子の言う通りすげえ人だよ……」



 足取りも軽く、今歩いてきた道を戻る。

『歩みを止めるな若造。』

 そう、言われたような気がした。

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雨上がりのなないろ 七緒やえ @mii_0303

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