2話 チーズケーキサンデー⑥

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 時は数分前。私のお部屋。ベッドの上。くまさんを横に置いて言葉を待つ。

 正面に座る将斗さんはコホンと咳ばらいをし、「ん、んー、んん゙っ。あー、あ、無理だあいつの声出ない。はい、いくよ」と、いつものトーンで語り始めた。

 将斗さんは少し、諦めの早いところがあるのかも。



「『今日も夏目のこと想ってるよ。』だって。今日は短かったね」

「あ……。は、い」



 私の好きなキャラクターの描かれた小さなメモ用紙。

 そっと手の平に置かれた。

 松本くんの字で、将斗さんが語った短文が書かれていた。ちょっと癖のある、男の子って感じの字。

 何度見て、何度ため息をついただろう。



「嫌ならNOって言えばいいんだぞ」

「……嫌じゃ、ないんです」



 ――すき、って言ってくれるのは、素直に嬉しい。でも、それに応えられない自分が嫌だ。

 それにもし、拒絶をしたとして。拒絶をしたことで、松本くんが私のそばから離れていってしまったら?

 そう考えると、拒絶もできなくて。ずるい私は、きっと松本くんを繋ぎとめておきたいのだと思う。

 松本くんのそばにいることは、心地よいから。あたたかいから。



「ふうん。それでいて、好きかわからない、と」



 図星。

 いまの気持ちのまま、『』がわからないまま、おつきあいをしてもいいものなのか。こんな気持ちのままでは失礼なのでは?

 何度も何度も告白をしてくれる度に考えて、何度も何度も保留をしてしまっている。

 やさしい彼は、ずっとずっと待ってくれている。


 将斗さんは私のことなんてなんでもお見通しなんだね。

 楽しむように――実際楽しんでる――唇を歪めている。



「ホントの恋なんて、どこに落ちてるんだろうねえ」



 将斗さんはくまさんを軽く抱き上げ、ふわっと宙を舞わせた。

 案外近くにあったりして、と将斗さんはくまさんをキャッチしながらほほ笑んだ。



「そうだ。壱に訊いてみれば? お兄ちゃん案外経験豊富かもよ」

「ケーケンホウフ……?」

「げっ、フリーズした」



 頭の中が熱い。

 ショートとフリーズは案外近いところにあるのかしらと素人&文系丸出しの回答に近づき、思考が止まった。

 目の前で将斗さんの手がひらひらと舞っている。それを見ていると、少しだけ落ち着いてきたような気がする。



「だいじょうぶ、亜子ちゃん。壱とうまくやっていける?」

「う、ウン!ダイジョーブ、壱くん……やさしい、から」

「そっか。亜子ちゃんて鳥みたいだね」

「鳥、ですか……?」



 どう頑張っても私の背中に翼はないし、もちろん羽だって持っていない。空を飛べるはずがないのに。



「うーん。鳥はさ、生まれてはじめて目にしたものを親だと思うんだよね。それに似てるかなーって」

「……?」

「亜子ちゃんは誰にでも懐きやすいってこと。最初は最大限の警戒をするが、『こいつはいいやつ!』って思っちゃえばそこからはノンストップ。俺のときみたいにさ」



 将斗さんと初めて会ったのは病院の診察室。将斗さんが、まだ精神科医をしていたころ。

 そのときの私はひとこともしゃべらなくて――



「あ、う……ご、ごめんなさい……あのとき、私、警戒とかじゃなくて」

「わかってるよ。これでも精神科医だぜ? プロなんだから、患者の気持ちくらいわかるよ」

「……プロの、……」



 つぶやいて、罪悪感。

 私が、将斗さんの夢を奪ってしまった。

 そのことを思い出して。

 人に迷惑をかけてばかりだ。本当に嫌になる。

 言葉が見つからずに黙っていると、ぽんぽんと頭を撫でられる。

 顔をあげると将斗さんはやさしくほほ笑んでいた。

 私の大好きな、やさしくてあたたかい笑顔。



「俺が辞めたのは亜子ちゃんのせいじゃないよ」

「でも、……」

「いろんな経験積めたし、保健室の先生にもなれたし、一石二鳥的な? 俺は後悔してない。むしろ楽しい人生をサンキューって感じ。人生には潤いが必要っていうしね!」

「潤い、ですか」

「ほら、亜子ちゃんも壱と出会って心が満たされたんじゃない?」



 壱くんと一恵さんに出会って。

 なにが変わった?

 ――孤独じゃ、なくなった。

 でも。



「まだ、なにか足りないような気がするんです。なんだろ……すごく大切なもの……」

「すごく、大切な、ねえ。それこそ恋心とか?」

「ち、違っ……!あ、あの、なんだろ、元々あったものが、すっ……て消えちゃったみたいな」

「……ほほう」



 将斗さんはひらめいたのか、あごに手を当てて考える人のポーズ。

 それからにっと笑い、立ち上がった。



「下いこうか。経験豊富なお兄ちゃんにいろんなコト聞かなきゃだしね」

「あ、だから……ケーケンホウフは……」

「んー? 心当たりがあるのかな?」



 ない、といえば嘘になる。


 部屋を出て階段を下り、リビングに行くとお父さんと話し込んでいた壱くん。

 広い背中をこちらに向け、私たちには気がついていない様子。

 将斗さんに声をかけられ、壱くんが振り向いた。

 ついでに私を見て、目があって。


 私はなぜだか

 耳の端からほっぺが熱くなった。

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