2話 チーズケーキサンデー⑤

 人生ってもんはよくわからん。

 父親は急に死ぬし、母さんは再婚することに躍起になるし。

 平凡を突き進もうと思うがなかなかうまくいかない。

 平坦な道をのうのうと歩いて行ける人が果して、この世の中にどれほど存在するのか。

 でこぼこ道を迷って迷って迷いまくっている人の方が明らかに多いように感じる。

『普通』で『当たり前』。挫折もなく学校を卒業して、就職をして、結婚をして、子どもを産み育て、死んでいく。そんな人生を送れる人間がどれほどいるのだろう。ひと握りもいないのではないか?

 そこまでたどり着き、考えるのをやめた。ふかふかのソファに背中を預ける。ゆっくりと身体が沈み込んでいった。

 瞑っていた目を開けると、目の前にはやさしい笑顔。



「考え事は終わった?」

「わ! 岳司さん!」



 考え事に夢中で気が付かなかった。

 俺が目を瞑っていた間、ずっと観察していたのだという。

 恥ずかしい。

 岳司さんは俺と同じようにソファに沈んでいく。



「亜子とはどう?」

「え。……あー。良好だと思います。なんだろ、懐いてくれてる……のかな」

「そっか」



 安心したようにほっと息をつく横顔。

 親の瞳をしていた。やさしくて、あたたかい瞳。

 この瞳を見て育ったから、亜子もあんなにやさしい瞳をするのだろうか。



「あの。母さんと再婚するんですか?」

「できればね。でもそれは、亜子ときみ次第」

「えっ、なんすかそれ、責任重大……」

「ははは、冗談だよ。――でもね、亜子のためには早くしてあげたいんだ。……とと、亜子は?」

「将斗さんと2階です。――あの人は、不思議な人ですね。人の心が読めるみたいだ」



 ピンポイントで俺の言われたいこと、言われたくないことを突いてくる。

 じくじくと、じわじわと。

 脆い心を、いじめる。



「将斗くんは精神科医だったから」



 どこか遠くを見つめ、岳司さんは言う。

 亜子は、彼のことを『恩師』だと言っていた。精神科医の恩師。

「精神科……」口の中でちいさくつぶやくと、肩に何者かの手が乗る。



「なんだ~? 俺の噂か?」

「げっ。将斗さん」



 いつの間に1階に下りて来たのだろう。亜子も一緒だ。

 よく見てみれば、亜子の頬は真っ赤だ。耳まで赤くしている。将斗さんはそんな亜子を俺に差し出し、岳司さんを手招きする。



「岳さん、ちょっとお話が。亜子ちゃんは壱と一緒にいてね」



 また内緒話。

 大人は内緒話が好きなようだ。

 ソファにさらに深く腰掛け、亜子を見る。相変わらず顔を真っ赤にしている。

 隣にちょこんと座った彼女がこんな状態では、実に話しかけづらい。

 空を舞う鳥を眺めていると、か細い声が聞こえた。



「あのね、壱くん」



 床に置いておいたバスケットボールを、小さな手が拾う。昨日のように膝に乗せ、そして撫でる。

 若干迷った表情。

 数度まばたき。


 そして、声。



「好きって気持ち……わかる?」



 純真な瞳だった。

 純真な気持ちだった。

 純真な声だった。


 だから、

 余計、心に響いた。

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