第41話 辺境の夫婦2
そうだ。
私を抱え、ぐるぐると辺境伯がその場で回って見せて……。
『今日は、そなたに土産があったのだった』
笑いを含んだ、低い辺境伯の声。
『スザンカに咲く花なんです。気に入ってくださるとうれしいのですが』
まだ、変声期前の声が鼓膜を撫でる。
閉じた瞼の裏で。
金色の髪の。
藍色の瞳をした、やせっぽちの少年が私に向かって、不思議な色合いのバラを差し出している。
頬にそばかすが浮き、肉がないせいで頬骨が少し浮いた少年。
金の髪も、ぱさつき、バラの花束を握る指も、枯れ枝のようだ。
『ありがとう! きれいなお花!』
私は辺境伯に抱っこされたまま、その花束を受け、はしゃいだ。
あの、花。
庭の……。
『マリア。よければ、うちの息子の嫁にならんか?』
冗談交じりの辺境伯の声に、父上が『よせ。辺境になんかやらん』と怒っている。
だけど。
だけど、私は、花束に顔をうずめ、言ったのだ。
『こんなに素敵なバラがたくさんあるなんて、スザンカは良いところね。私、お嫁に行ってもいいわ!』
『本当に?』
少年が、藍色の瞳を真ん丸に見開いて答え、私はうなずいた。
確かに、うなずいたのだ。
『まだ、そのとき、私が誰の物でもないのであればね!』
と。
「…………まさか、バラをくれた、あの子……?」
おそるおそる尋ねると、ハロルドは突っ伏したまま、少しだけ顔を上げる。
「ようやく、思い出したかい?」
「だって、違いすぎるでしょう!」
言ってから、マークが、昔はハロルドがガリガリで三食ご飯が食べられなかったと言っていたことに気づく。
「いや、それに……」
私は咄嗟に口をつぐむ。
そんな、申し出は山ほどあったのだ。
辺境伯だけではない。
私を妻に。私を嫁に。
本気の程度は人それぞれとして、誰もが私に求婚したのだ。
その中から、これぞ、と思った殿方を、父と兄が選んだのが、あの子爵だ。
……まぁ、結果的に大失敗だったようだけど。
「わたしは、父に連れられて初めて君に会って……。一目で恋に落ちた。なんて愛らしい娘さんだ、と思ったし、なんて天真爛漫に笑うんだろう、って。なにより」
ゆっくりと上半身を起こし、ハロルドは緩く笑う。
「わたしが住むスザンカを、良いところ、って言ってくれるひとは、いなかったから……」
ぐ、と下唇を噛む。
それなのに、私は……。
辺境の悪口ばかりを言っていた。
「わたしのかわいい小鳥に、このスザンカを見て、愛してほしかった」
再び手を伸ばし、ハロルドが私の髪をすくいとる。
違う。
愛してほしかったのは。
ハロルド自身なのだ。
「……私はね」
髪を指で梳くハロルドに、ゆっくりと話しかけた。
「スザンカの……。この屋敷に住む住人たちが好きよ。生活するにはちょっと不便だけど……。領民のみんなも好き。屋敷から見える森も好き。毎日景色を変える、牧草地帯も大好き。だけどそれは」
ゆっくりとうなずく彼の目を見て、はっきりと言った。
「ハロルドが、大好きなものだから、私も好きだと思うの。だから、私、貴方のことを大好きなんだと思う」
ぴたり、とハロルドが動きを止め、私を凝視する。
「ハロルドが愛しているものだから、私も愛しく思うの。ハロルドが大事にしているものだから、私も大事にしよう、って思えるの。だからね」
……あんまり見つめられるものだから、だんだん頬が赤くなってくるんだけど。
「ハロルドが、他にどんなものを好きなのか、とか。どんな字を書くのか、とか。なにが嫌いで、なにが苦手で。どんなときに、心が動くのかを、教えてほしいの」
次第に高鳴る心臓をなだめながら、私は耳まで熱くなる。
「……だめ?」
すねるような口調で尋ねると、弾かれたように、ハロルドは首を横に振る。
「まさか! ぜんぜん! とんでもない!」
ほかにもいろいろハロルドが矢継ぎ早に言うから、私はおかしくなって笑いだす。
その様子をぽかんと見ていたハロルドも、次第にくつくつと笑い声を漏らした。
「ねぇ、わたしのかわいい小鳥」
気づけば、頬を両掌で包まれ、鼻が触れ合うほどの距離で見つめあった。
「それを知るには、とても時間がかかるのだけど」
「いいんじゃない? 今晩、私はここで眠るつもりだから」
おや、とハロルドの目が細まる。
「じゃあ、語ろう。わたしが、どれほど君のことが好きで、どれほど手放したくないか。大切にしたいか、を」
彼の呼気がまつげを揺するから、くすぐったい。
私はそっと目を閉じる。
「言葉だけじゃ、きっと足りないから」
私の唇を彼の言葉が触れ、それからやさしく口づけをされる。
だけど、それは本当に刹那で。
彼はすぐに、私から唇を離した。
「そうね。聞きそびれたぶん、たくさん話して」
私は彼の首に腕を回し、それから自分に引き寄せる。
「スザンカに朝が来るまで、時間はたっぷりあるんだから」
寝台に横たわり、彼を見上げる。
きっと、彼はいろんなことを語ることだろう。
あまく、とろけるような言葉を。
私は余すことなくそれを聞き。
そして、ふたりの世界を作る。
この、辺境の地で。
了
政略結婚ですが、辺境領主に溺愛されて困っています!! 武州青嵐(さくら青嵐) @h94095
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