最終章 こうして、ふたりで暮らしています
第40話 辺境の夫婦1
◇◇◇◇
がちゃり、と扉が開く音がしたので、私は寝台に座ったまま、顔を向けた。
「あれ?」
ハロルドが驚いた顔で、立ち尽くしている。
お風呂から上がったところなのだろう。
金色の髪の毛はしっとりと濡れていて、頬は淡い桃色に上気している。その頬にうっすら残る傷。それは山賊から受けた怪我なのだと思うと、まだ胸がちくりと痛い。
「わたしの、寝室……、だよね」
戸惑いながら、廊下や室内を見回す彼に、くすりと笑った。
「そうよ。お邪魔します」
足をぷらぷらと揺すらせながら言うと、ハロルドは苦笑いしながら後ろ手に扉を閉めた。
「いろいろと心配をかけたね。そういえばまだ、ゆっくり話していなかった」
言いながら、私の隣に座る。
デービッド様が捕縛されたのが、今日の昼。
彼の審問は明日以降執り行うこととなり、先に辺境伯はハロルドと騎士から事情を仔細に聞くことになったのだが。
最悪なことに、デービッド様が逃げたらしい。
現在衛兵が彼を追っているのだそうだけど、心配したクリスタ様が私に付き添ってくれて、サラとともにスザンカに送り届けられてしまった。
『ひょっとしたらハロルドが、スザンカに帰れぬかもしれぬから』
また、山賊やデービッド様の襲来を気にしてのことのようで、クリスタ様配下の騎士を数名スザンカに常駐させよう、と申し出てくれたのだけど、私は首を横に振った。
『夫がおらぬときは、私がスザンカの
きっぱりとそう言うと、クリスタ様は、にっこりと笑って了承してくれ、私がお茶を勧めたのに、また、辺境伯都に戻っていった。
クリスタ様も。
ご自身の屋敷を守らねばならないのだろう。
「さぁ、なにから話そうか」
ぎしり、と寝台が傾いだ。室内の抑えた照明が、ハロルドの絹の寝着を滑り、きれいな光沢を出している。
「そうね。私も、全然聞けてなかったわ」
寝台に手をつき、少し顎を上げて彼を見上げる。
「どうして、私を妻に、とおもったの?」
驚いたように見開かれる藍色の瞳を、上目遣いに見やる。
「……子爵に騙された、馬鹿な女だと、可哀そうにおもったの?」
「そんなことはない!」
反射的に否定してから、ハロルドはせわしなく瞳を揺すらせた。
「……どこで、それを……?」
慎重に、探るように尋ね、眉を寄せるから、私はまた笑った。
「お父様。手紙に書いてあったの。私があんまり愚痴ばっかり送るから、心配したみたいで……」
「ああ、そう……なのか」
ハロルドは口の端に苦い笑いを乗せ、それから、そっと私に手を伸ばす。
「愚痴、か……。いろいろすまない」
いたわるように撫でる手から、逃れるように首を振る。
「違うの。謝ってほしいわけじゃない。どうして、私を選んだのかを、教えてほしいの」
「どうして、って……」
宙に浮いた自分の手をちらりと見、そして私を見る。
そのあと、なんとなく室内を見回した後、ハロルドは耳まで真っ赤になって、まだ湿気ている頭を掻いた。
「君が、初恋のひとだから、かな」
「……は?」
おもわず、顔を覗き込む。
「初恋!?」
オウム返しに問うと、両手で顔を覆ってうなだれてしまう。
「ほら、覚えてないし」
嘆くように言うから、呆気にとられる。
「……え? あの夜会が初対面よね?」
「…………………違うよ」
うめき声に、声を失う。
嘘。
会ったことあったっけ……。
改めて、ハロルドを見下ろす。
金色の髪。痩躯で長身の身体。
今は膝に顔を突っ伏してしまっているからわからないが、名工が鑿をふるったような端正な顔立ちと、藍色の瞳。
……え。
会ってたら、忘れない顔だと思うけど……。
めまぐるしく自分の中の過去に出会った男性たちを遡っていくけど、まったく覚えがない。
だけど。
ハロルドの父上。
辺境伯は、私の父と盟友だ。
私が小さなころは、年に数回、王都に来た折、我が家に足を運んでいた。
大きくて頼りがいのある、年配のおじさま。
私を軽々と抱え上げ、そのたびに、「丁寧に扱えっ」と父が怒鳴っていた覚えが……。
「いや、ちょっと待った……」
口から声が漏れた。
あれはまだ、私の年が一桁のころじゃないだろうか。
目を閉じ、その時の風景を必死に手繰る。
不意に明滅するのは。
あの桃色のバラ。
それから……。
それから……。
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