第39話 辺境伯の元へ4
さっきまで気づかなかったが、若い騎士は、どうやら足を怪我しているようだ。
「先だって、ハロルド様と一緒にスザンカに行った時のことでございます」
ざらついた声で古老の騎士が言う。
「嘘だ!」
途端にデービッド様が悲鳴を上げた。
一斉に、視線が彼に集まる。
蒼白になった顔。額から噴き出す汗。
彼は、瘧のように身体を震わせ、片膝つく二名の騎士を指さした。
「舅殿! この者どもは嘘をつこうとしています! 信じては……」
「黙れ、デービッド・ナバロン!」
雷鳴に似た轟に、彼だけではなく私も身体を硬直させた。
辺境伯が。
瞳に怒りをたぎらせ、デービッド様を睨んでいる。
そのうえ。
彼を、旧姓で呼んだ。
「続けよ」
辺境伯は、打って変わって静かな声で騎士たちに先を促した。
彼らの報告はこうだ。
デービッド様が体調不良になったため、クリスタ様の屋敷に知らせを入れようと森に入ったのだが。
すぐに、山賊に襲われた。
応戦したが、数ではとてもかなわない。古老の騎士は撃退することを諦め、傷を負った若い騎士を庇って森の中を逃げ回っていると。
道に迷ってしまった。
方角を見失いながら森を移動していると、執拗に山賊に攻撃を受ける。
再び逃走をしていると、ハロルドが単騎駆けてきて加勢してくれたのだそうだ。
ようやく山賊を撃退できたうえに、ひとり、人質を取ることに成功した。
その男から、なぜ自分たちを攻撃するのかと尋ねたら。
『デービッドという貴族に頼まれた』という。
そこでハロルドは、狩人しかしらないけもの道を使い、辺境伯都に向かった、ということだ。
「スザンカ近辺は、亡命してくるものや、よからぬたくらみゆえに税関を通らずに入国してくる者がおります」
ハロルドが落ち着いた声音で辺境伯に。
いや、婿たちにも聞かせるように言った。
「それを防ぎ、隠れた道を木こりや狩人から聞き出すのも、スザンカに住む者の仕事。ある意味、山賊よりもあの森には、わたしは詳しいつもりです。ただ、辺境にて税関を通る者だけを見ておるのが、仕事ではございません」
目が合う順番に、婿たちは顔を背けていった。
「
ぐい、と古老の騎士は顔を上げた。
「そこで、その罪を、すべてハロルド様になすりつけようとしたのでは」
「そ、そのことを!」
私は勢い込んだ。
「スザンカの領民たちも、証言すると言ってくれています! いつでも、お申しつけを!」
私の声を聞くやいなや、デービッド様は駆け出した。
「あっ! 逃げるなっ」
サラが思わず飛び出そうとしたのだけど。
視界の端っこを銀色の光が走った。
「動くな」
気づけば、クリスタ様が抜刀し、その切っ先をデービッド様ののど元に押し付けているところだった。
「お見事です、姉上」
愉快そうにハロルドが笑う。
「そなたも、大義であった」
クリスタ様は片頬を吊るようにして笑うと、じろり、とデービッド様に剣よりも鋭い視線を向けた。
「デービッド・ナバロン。おとなしく縄につけ」
冷徹な言葉に、デービッド様はその場で膝を屈した。
「衛兵!」
辺境伯が野太い声を発する。廊下で待機していたのか、武装した騎士が数人、執務室に入ってきた。がちゃり、といくつもの金属音を響かせ、彼等はデービッド様を取り囲む。
「連れていけ。あとで吟味する」
指示は短く明快だった。
衛兵たちは頭を一つ下げ、デービッド様の腕を掴み、立ち上がらせる。反抗したり逃げるつもりはないらしい。もはや無抵抗のまま、彼は一度も顔を起こすことなく、室内を出て行った。
「ふたりも大義であった。改めて礼と褒美を用意しよう。まずは、ゆるりと休むがいい」
声をかけられ、騎士二人は深く頭を下げる。ひとつうなずいて視線を転じた辺境伯が次に見たのは、ハロルドだった。
「お前も此度の働きは見事だった。褒美に何を望む」
途端に。
室内の空気が鋭利さをはらんだ。
いずれもの婿たちが剣呑な目でハロルドを見ている。
『では、辺境伯位を』
彼がもし、そんなことを口にしたらどうなるのだろう。
「では」
ハロルドは口元に優美な笑みをにじませたまま目を細めた。
「アリスの埋葬許可を」
誰もが彼をぽかんと見つめ、何とも言えない間ができた。
「……アリスとは?」
しゅる、と音をたててクリスタ様が剣を鞘に納める。
場を代表するかのように尋ねるから、私は慌てて口を開いた。
「デービッド様のせいで……、その、亡くなった村の娘です」
ああ、とクリスタ様は声を上げ、それから口を引き結んで目を伏せる。
「どうぞ、お願いします。彼女の名誉を回復してあげてください」
私は、息せききって言葉を放つ。それに続いたのはハロルドだ。
「アリスは事故により命を落としました。辺境伯からもそうお口添えいただき、教会の墓地に埋葬するようお願いしていただけませんか?」
ハロルドは背筋を伸ばした後、辺境伯に頭を下げて見せる。私も彼に倣った。
「どうぞお願いします」
ふたり並んで頭を下げていると、大きなため息が室内に落ちる。そっと顔を上げて様子を伺うと、辺境伯が椅子の背に深々と上半身をあずけ、こちらを見ている。
「辺境伯位が欲しい、と言わぬのか」
片頬をゆがめて辺境伯が言う。
ぎょっとした婿殿たちが辺境伯を見るが、全く意に介さず、嫡男であるハロルドだけを見ていた。
「まだ、父上はご健在ではないですか」
ハロルドが軽やかに笑った。
「疲れてはみえますが、老いたとは思えませぬ。隠居などと楽なことはお考えなさらず、大役とは存じますが、まだまだしっかりお働きくださいませ」
しれっとハロルドが言い放つから、冷や汗をかいた。
怒り出すんじゃないの、とおどおどしたものの、辺境伯は大きく口を開いて笑い始める。
「なるほど。まだ誰かに譲るには早いか」
言うなり、足を組んでハロルドを睥睨する。
「王国内は今から荒れる。王太子派とマルゴット派に別れてしのぎを削ることだろう。その前に、このおいぼれは、誰かに爵位を譲って身を引こうと思ったが」
くくく、と愉快気に喉の奥で笑いを潰した。
「まだ働け、とうぬは言うか」
「そのお力があるようにお見受けしますので」
にこりとほほ笑むハロルドに続き、クリスタ様も大きくうなずいた。
「父上。隠居なさる前に掃除をしておいてくださいませ。いずれハロルドに譲るのなら、整地し、ごみは処理していただきたい」
じろり、と深い青の瞳で婿たちを一瞥するから、彼等は一様にすくみ上る。
「そうだな。諸々、画策しておるようだったから、これを機に一掃することにしよう」
どん、と足音を立てて辺境伯は立ち上がる。
「陛下、ならびに王太子より預る大事な地だ。いつご覧になっても恥ずかしくないようにしておかねばな」
その声にも顔にも、目にも。
最前まであったような陰りはない。
ただただ。
昔、私の家を訪れ、父の好敵手と言われたおじさまの姿が、そこにはあった。
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