第38話 辺境伯の元へ3
「舅殿。小娘の言うことなど、放っておかれよ」、「さぁ。ここにサインを。兵は我らが準備しますゆえ」、「悩まれますな。万事、我らにお任せを」
口早に、そして唾を飛ばしながら詰め寄る婿たちを追い払う気配さえ見せない。
「……老いたな」
苦々し気にクリスタ様が吐き捨てる。
いや、疲れているのだ。
私にはそう見える。
「どちらにせよ」
硬質な声が、婿たちの声を遮った。
「ハロルドを捕まえてみればわかることだ。おれの言い分が正しいのか、ハロルドが正しいのか」
腕を組み、紗に構えた態度でデービッド様が言う。
その余裕な態度に。
私の背中に冷たいものが走った。
まさか、とおもうが。
もう……。
もう、ハロルドはこの世にいないのだろうか。
死人に口なし。
だから、この男はこんなに正々堂々としていられるのだろうか。
嘘を、つきとおせるのだろうか。
「貴様、ハロルドになにをした」
低い声でクリスタ様がうなる。声が私の肌を撫で、一気に総毛だった。
「夫に向かってその言い草はないだろう」
はっ、とデービッド様が笑い飛ばすのを、震えながら見る。「大丈夫?」。気づけばサラが手を握ってくれていて、私は顎に力を入れてうなずく。
「愛のない結婚だが、せめて、夫とは認めてもらいたいものだな」
冴え冴えとした瞳を、クリスタ様ははねつけた。
「愛がない? わたしは愛を持って接したつもりだ。そして、愛とは、与えるものではない。自分以外の誰かとはぐくむものだ」
デービッド様にむかって放たれた言葉は。
同時に、私の胸に刺さった。
痙攣したかのように指が収縮し、おもわずサラの手を握る。サラは慰めるように私の背を撫でてくれた。
そうだ。
私はただ。
ハロルドから一方的に愛を受け、それを当然だとおもっていた。
「わたしは、夫となる男と愛をはぐくもうと思っていた。いや、愛を育てたつもりだ。だが」
つまらなげに、クリスタ様は鼻を鳴らす。
「とっくに、その花は枯れた。お前が水をやらぬからだ」
目を細め、デービッド様を睥睨する。
「デービッドよ。今でも私に愛されているつもりだったか? つくづく、思いあがった男だな」
初めて、デービッド様の顔に変化が現れた。
刷毛ではいたように頬に朱色が差し、唇が震える。怒声を放つその瞬間。
「父上、失礼仕る」
扉がいきなり開くや、聞きなれた低音の声が室内に朗と響いた。
「急ぎ、お伝え……。あれ?」
かぶさるように、金属音がいくつか続いたが、不意に声は途切れた。
「マリア。どうしてここに?」
きょとんと目を丸くするハロルドの姿に、私は声を失う。
その背後にいるのは銀色の甲冑姿のチャールズで。
そして、ハロルドの両脇に控えるのは……。
「いなくなった騎士たちだ……」
サラが指をさしていうのだけど。
その無礼をとがめられるほどの、余裕が私にはなかった。
気づけば駆け出し、夢中でハロルドに抱き着いていた。
「わっ。ちょ……。ごめん。二日ほど着替えてないし、汗だくだったから……」
戸惑い、身をよじるハロルドを、逃がすものかとがっしり両腕で捕まえた。
ついでにその上着に顔をうずめる。
確かに。いつもの彼とは違う香りがした。相変わらずレモンバームの匂いはするものの、それに混じって汗と、それから草いきれに似た匂い。
「マリア……、ねぇ?」
棒立ちになったハロルドに尋ねられているようだけど、私は、ぎゅううううう、っと彼にしがみついたまま、堅く目を閉じる。
じゃないと、涙があふれそうだ。
事実、唇を引き結んでおかないと、喉から嗚咽がせり上がる。
「奥方様は、それはそれは心配だったのでしょう」
「相済みません。われらのせいで……」
口々に謝罪を口にしているのは、多分騎士たちだ。
「このチャールズがお側に控えておるのに、なにを心配することがあろうや」
あきれた声に、かっ、と目を見開き、ハロルドを拘束したまま睨みつける。
夜はただの甲冑のくせに、と言葉にせずに表情に出すと、ある程度気持ちは通じたのか、すぃー、っと顔を逸らされた。
「悪かったね、マリア。心配をかけたようだ」
気づけば、顎を指でつままれ、ハロルドの方に向けられている。
藍色の瞳と、穏やかな笑み。
だけど、目の下には少し隈があって。白皙の頬には、土ぼこりが薄くついている。
ハロルドは気にしていないのだろうけど。
耳の下から顎にかけて、傷ができている。もう、血は乾いてパリパリになっていたけど、見るからに痛そうだ。
「このお詫びは必ずするから。今は少し、離れてくれるかい?」
ちゅ、と額にキスをするハロルドをじろりと睨みつけ、言いたいことはとりあえず飲み込むことにする。
よく考えたら、辺境伯の御前だった……。
「辺境伯。お伝えしたいことがございます」
行方不明になっていた古老の騎士と、青年と呼ぶにはまだ若い騎士が辺境伯の机の前で片膝をつき、頭を下げる。
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