第37話 辺境伯の元へ2
クリスタ様はその後、単騎で街城にある辺境伯屋敷に向かうものだから、呆気にとられた。
「お早く!」
スザンカに来た従僕に急かされ、私とサラは馬車に乗り込む。
そこから辺境伯屋敷に到着するまでが地獄だった。
馭者がクリスタ様の騎馬を必死で追うものだから、馬車は揺れる揺れる。
サラは途中で何度もえづき、私は私で何度もいろんなところに頭や肩を打ち付けた。
そうやって、半時ほどで辺境伯屋敷についたのだけど。
そこからはもう。
クリスタ様の独壇場だ。
てっきり、取次を頼むのかと思ったら、いきなり剣を引き抜き、従僕やメイドを蹴散らして、「父上はいずこか!」と怒声を張っている。
まるで強盗だ。
「あの人、すごいねぇ」
サラは、さっきまでの乗り物酔いなど気づかせない調子で愉快そうに笑うと、クリスタ様の後ろを嬉し気について行く。
尻尾でも振っていそうな気配で、あっさり、クリスタ様になついてしまった。
私は、というと。
こ、こんなことをして大丈夫なのだろうか、とひたすら、怯えて廊下の端にうずくまるメイドと従僕に頭を下げながら、ふたりの後ろを走った。
なんだかんだいいながら、やっぱりこのひと、ハロルドのお姉さんだよ。
もう、「変人」ってところがよく似ているよ。
「父上、失礼する」
執務室らしい黒檀の扉を乱暴にクリスタ様は開けた。
義姉の背後から室内を伺う。
北側の壁を背に書類仕事をしていたらしい辺境伯が、顔を上げるのが見えた。
その執務机のすぐそばにいるのはデービッド様だ。
机を挟み、反対側にいる三人の男性に見覚えはないが、いずれも四十代に見える。
「これはこれは。義兄殿も、我が夫もお揃いで」
冷淡にクリスタ様が言う。
ということは。
あの男の人たちは、ハロルドのお姉さんの……。お婿さん、ということになるのだろう。
「なにごとだ、クリスタ」
羽ペンを持ったまま、辺境伯が尋ねる。
声はしわがれていて、ずいぶんと疲労の色が濃い。
結婚の挨拶にうかがったのは、数か月前。
そのときよりも、老け込んで見えた。
目が合ったのでお辞儀をすると、ため息ついでに、鷹揚にうなずかれる。
「ハロルドの件で参上しました。なにやら、彼に嫌疑がかかっているもよう。まったく、愚かなそのような嘘に惑わされず、早急にスザンカに平穏を取り戻してくださいますよう」
がつり、と長靴の踵を鳴らしてクリスタ様が執務室に入る。
私もサラと目を合わせ、それから義姉の後に続いた。
「お主は知らぬのだろうが、ハロルドは現在、逃亡中だ。盗賊と通じ、密輸をしていたのだから、当然、やつらと同じねぐらにいるだろう。今から、討伐軍を編成し、スザンカに向かう」
お婿さんのひとりが重々しく言ったが、クリスタ様が冷淡に笑い飛ばす。
「なにが密輸か。ハロルドがそのようなことをするとお思いか。それに」
ちらり、とお婿さんの体形に視線を走らせ、演技がかったしぐさで肩を竦めてみせた。
「どちらが討伐されるやら」
「あ、あああああ、あのっ」
真っ赤になったお婿さんが言い返す前に、おもわず声を発する。室内の視線が一斉に集まったけれど、私は背を伸ばし、そのひとつひとつの瞳を見返した。
「ハロルドが……。私の夫が密輸などするわけがありません。民に愛され、職務に誇りを持っていた彼が」
「人とはわからんものだよ」
億劫そうに前髪をかき上げてデービッド様が発言をなさるから、おもわずかっとなった。
「あなたには言われたくない! ハロルドを罠にはめたくせに!」
途端に、室内に失笑が沸いた。
「なにがおかしいんだよっ」
怒鳴ったのは、サラだ。がるるる、と犬歯を剥くのを制し、私は男どもを睥睨する。
「あら。今、笑い声しか聞こえませんでしたが……。申し訳ありません。言いたいことがあるなら、言葉で伝えていただけませんか? それとも、辺境に住みすぎて、言葉をなくしてらっしゃるのかしら」
私もサラ並みに牙を剥きたいのを堪え、言い放ってやる。
「無礼な!」「貴様っ」
「どちらが無礼なのっ!」
憤怒に染まって暴言を吐く男たちを、大声でしかりつけた。
「盗賊の言葉を信じ、辺境伯の嫡子の言葉を無下にするなど、正気の沙汰ではありませんっ!」
私が言い返すなど思いもしなかったらしい。
伯爵家の娘。
ハロルドが強引に連れてきて、拒否もできなかったおとなしいお嬢さん。
どうせそんな風におもっていたのだろうが。
私は、ぎり、と奥歯を噛む。
「長きにわたり、王都の要を守ってきたハイデンベルグの名にかけて誓います。私が夫と認めた男が、そのような卑怯なことをするわけがない」
ぐ、と目頭に力を籠め、男どもをひとりひとり睨みつける。
皆が目を背ける中。
デービッド様だけは違った。
がっつりと私と目を合わせ、それから片方の唇だけゆがめるようにして笑う。
「では、マリア。そのお前の夫とやらは現在、どこにいるのだ」
感情の読めない声でデービッド様が冷ややかに私を見た。
「夜が明けると同時に、領民たちが捜索に出ております。ひょっとしたら、山賊に襲われたのやも……」
途端に、爆ぜたように笑われた。
「その、山賊と通じておるのだ、お前の夫とやらは」
「そんなわけはない!」
怒鳴り返し、拳を握る。粘着質な視線を振り切って、辺境伯を見た。
「お時間をくださいませ、辺境伯! 必ず、ハロルドを見つけ、この屋敷に連れてまいります! 討伐軍など……。そのような馬鹿げたものを、スザンカに向かわせないで!」
辺境伯はどよんとした瞳を机の上の用紙に落とし、それからひとつ、呼気を吐いた。疲れ切った様子で額を手で撫で、肩を落とす。
この方は。
この方は、本当に辺境伯か。
私が小さなころ、屋敷でお会いした、父の好敵手と言われた猛将なのか。
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