第36話 辺境伯の元へ1
◇◇◇◇
次の日の朝。
待っていた返事は来たのだが。
それは、辺境伯からではなく、デービッド様の奥様、クリスタ様からだった。
―― 至急、我が屋敷に来られたし
短い封書を持参した従僕らしき男性は、口早に「お早くご準備を。お待ちしておりますゆえ」とだけ言い残し、馬を駆って去って行った。
その時には、領民たちの手によって山狩りがすでに始まっていた。
そこで私は昨日話し合った通り、サラを連れてデービッド様のお屋敷に向かったのだが。
「……騙されてる、ってことないよね」
椅子に腰かけて扉を眺めていたら、背後からサラがそんなことを言う。
「騙す、ってなにを」
振り返り、じろりと睨みつけるけれど、紺色のお仕着せをひっぱりながらサラは油断なく視線を辺りに彷徨わせている。
「だって、クリスタ様に呼ばれたとはいえ、ここ、デービッド様の家だよ? いきなり襲い掛かられたら……」
ごくり、とサラは空気を飲み込む。
「ぼく、頭からかじりついていい?」
「だめ」
即座に断言する。
「ほら、狼耳、出かかってるわよ」
続けて言うと、慌てて手で押さえている様子を眺め、私はため息をついた。
「大丈夫よ。命を奪うつもりなら、呼びつける前に、屋敷に殺しに来るって」
それに、と足を組む。
私はグリーンフィールドの娘なのだ。
辺境伯とはいえ、おいそれと命を奪うことはできまい。現に、屋敷を捜索に来た騎士も言っていたではないか。「しばらく御実家に戻られてはどうか」と。
つまり、殺す気はないのだろう。
少なくとも、私のことは。
「どうしよう。かじっちゃだめなら……。じゃあ、お嬢になにかあったら、ひっかくしかないな……。ざしゅ、ざくって、いっちゃうか」
かわいい顔をしているが、口にしているのは、人の殺し方だ。
私が苦笑したとき、ドアノックもなしに、いきなり扉が開いた。
咄嗟に私は椅子から立ち上がり、サラも、どるるる、と低くうなる。
「呼びつけたというのに、準備に手間取り、お待たせした」
凛とした声が放たれ、顎を下げるようにして入室者は詫びたが。
私も。
そしてサラも、硬直して動けない。
「まことに済まぬ、義妹殿」
私のことを義妹、と呼ぶということは……。
これは、義姉クリスタ様なのだろう。
「あ……。いえ、あの……」
私は慌ててスカートをつまみ、片足を下げて礼を行う。
「こちらこそ。嫁いでまいりましたのに、ご挨拶もせず、失礼をしております」
「なんの。ハロルドから聞いておるゆえ、気にするな」
言われて顔を上げる。
目の前にいるのは。
男装の麗人だ。
銀色の髪をひとつに束ねて背中に流しているせいか、きりりとした顔立ちが際立っている。丈の長い白のジャケットを着ているから、お尻周りは隠されているけど、すっきりと伸びた二本の脚の形はズボン越しにもわかる。
な、なんとなく目のやり場が……、と逸らした先に見えたのは、腰に履いた剣。
こちらも、ジャケットと同じ白銀で。まるで伝説に出てくるエルフの騎士のようだ。
男のなりをなさっているので、一瞬デービッド様かとおもったが、彼よりもりりしく、麗しい。
「義妹殿」
「は、はい」
呼びかけられ、私はようやく意識を引き戻す。ぎゅ、と柳眉を寄せてこちらを見られた。
「そのような格好で大丈夫か?」
「……え?」
戸惑い、首を傾げるとクリスタ様は腕を組んで細い顎を指でつまむ。
「ハロルドは、貴女に剣も与えておらぬと見える……。なんたること」
「……え?」
「おお、そうか!」
もう、何を言われているのかさっぱりわからないまま、「え」だけを繰り返していた私の前で、クリスタ様は、ぽん、と手を打った。
「ハイデンベルグ卿は槍の名手であったな! では、そなたも槍を?」
いや、そんな。「好きな菓子は、クッキーではなく、プレッツェルだったか」的に言われても……。
「ねぇねぇ。この人、ちょっとおかしいねぇ。女なのに男の格好してるよ?」
ぐいぐい、と服の裾を引っ張って背後からサラが言う。
いや、あんたが言うか、それ。
「あの、すいませんっ。話が見えないのですが……。あの、今からその……? というか、デービッド様とか……は、いずこに……?」
延々と、私の父と兄の槍使いについて話し続けるクリスタ様の声を遮る。
「その、デービッドを処罰しに、今から辺境伯屋敷に行くのであろう?」
涼し気な瞳を私に向け、あっさりとそんなことを口にする。
「ハロルドに自分の罪をなすりつけるなど、なんと浅ましい男か。剣の血錆にしてくれる」
話しの内容に、絶句する。
「ち、血錆……?」
あれ、おかしいな。なんかこう、もっと論理的に、というか。
辺境伯に理詰めで訴えるんじゃないのかな。
あるいは、心情的に。
「まったく、次から次への問題を起こしおって……。もう、手に負えぬ」
クリスタ様は、ぎり、と歯噛みをすると、鯉口を切るから驚く。
「え!? いやあの……。デービッド……、様、の……」
奥方様、ですよね、と言う語尾は、盛大なため息に消える。
「義妹殿には、本当に迷惑をかけた。このとおり、詫びよう」
クリスタ様が頭を下げるから、私は慌てて首を横に振る。
「いえ、あの! ハロルドの無実を証明したいだけなんですけどっ!」
「そんなもの、無実に決まっておろう。すべては、我が夫の浅知恵じゃ」
がばり、と背筋を伸ばすと、吐き捨てる勢いでクリスタ様は言う。
「おおかた、密輸で儲けようとしたのではないか? それで、王都にでも行こうとしたのであろう。で、ばれそうになったから、誰かに罪をなすりつけようと……」
はっ、とクリスタ様は冷笑する。
「姉君やその婿たちに吹き込まれたのであろう。『ハロルドのせいにするがいい』と。そうして、殺してしまえ、と」
「こ、殺す……」
思わずオウム返しに呟くが、ふと、思い出す。
リーやマークが言っていたではないか。
辺境伯位は、本当はお姉さまの子が継ぐはずだったのだ、と。
だが、いずれも子は授からず、このままでは男子のハロルドが継ぐことになるのだ、と。
「父上がはっきりと申されぬから、このようなことになっておるが、ハロルドが辺境伯を継ぐべきだ」
鯉口から手を離し、クリスタ様は深い息を吐いた。
ちらり、と私を見て首を横に振る。
「直系男子だから、というわけではない。辺境伯、という仕事を担えるのは、あやつが一番ふさわしかろう」
薄い唇が機械的に、だけど、冷静に言葉を紡いだ。
「語学には堪能であるし、国境付近の地理にも明るい。領民に慕われ、なにより武芸に秀でておる。義妹殿よ」
呼びかけられ、私は、はい、と返事をした。
「姉君たちの婿殿には会われたか?」
「……いえ」
気まずく、首を横に振った。
結婚自体認めたくなくて、辺境伯とハロルドのお母さんにしか会っていない自分が、この上なく恥ずかしくなった。
「いずれも、社交界で
はは、と快活に嗤った。
「馬も乗れぬ男が辺境伯とは。冗談以外のなにものでもないわ」
底意地の悪そうな嗤いを喉元で押しつぶす。
「辺境とは、常に戦場だ。たとえ、矢が飛ばずとも、剣がひらめかずとも、グリーンフィールドは、戦場なのだ。他国の侵入を許さぬ剛さと力を見せつけねばならぬ。辺境伯位とは、飾りではない。武と智に優れた者が継ぐのだ」
クリスタ様はそこで言葉を切り、そして。
ほんの少しだけ悲し気に瞳を曇らせた。
「我が夫には、その才がない。才がないのはしかたない。だが、彼奴は、愚かにも、敵国と通じて益を得ようとした。国を裏切る大罪だ」
ふぅ、と息を一つ吐くと、クリスタ様は再び瞳に炎を宿らせ、私を見た。
「のう、義妹殿よ」
佩刀の柄に肘をつき、クリスタ様が私を見て目を細める。
「グリーンフィールド辺境は、国境を守る最重要地区。陛下より、その任を拝命して以来、武器と血と、領民たちによって守ってきた」
ハロルドと同じ、藍色の瞳が私を見据える。
「この地に嫁いだ貴嬢の腕にはなにがある。その身体には、なにを持つ」
問われて、私は背筋を伸ばした。
幾分、背の高い義姉を見上げ、ぐ、とお腹に力を籠める。
「辺境を守るという自負と、ハイデンベルグの娘である、という矜持があります」
藍色の瞳を見返し、言い放った。
「強さは、弱き者を守るために。剣は、名誉を守るために。槍は、信念を貫くためにあるのです。私のこの手は」
ぎゅ、と拳を握りこむ。
「正義を守るため。正しい行いをすべきために、あります」
クリスタ様はしばらく、私を見ていた。
私も、クリスタ様を見る。
しばらくの沈黙が室内に落ち。
それを破ったのは、クリスタ様の軽やかな笑い声だった。
「良い嫁だ」
言うなり、くるり、と背を向けた。
「馬を引け! 辺境伯屋敷に向かう!」
扉に向かって声を飛ばす。すぐに誰かが準備に向かう足音が聞こえた。思い付きで動いているようにしか見えないけど、この屋敷の人は主に慣れているらしい。
「行くぞ、義妹殿!」
「は、はい!」
呆気に取られていると呼びかけられる。
慌てて返事をし、サラの手を握ってクリスタ様の背中を追った。
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