恋に多弁なるモーガンの公準

いずも

ザルツブルクの小枝


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 その1

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 放課後、化学実験室では科学研究部による部活動が行われている。

 奥の準備室の扉が開く。


「やったぞ椿つばきクン、世紀の大発明だ!」

「おめでとうごさいます部長ぶちょー。あと私の名前は春夏秋冬ひととせ晴日はるひです!」


「なんと聞いて驚け見て笑え。おどろ木ももの木さんしょの木。この木なんの木気になる木。やる気、元気、い――」

部長ぶちょー、十分アウトですが、それ以上は危険です。あと多分今の若者には何一つ通じないと思います」


「コホン。それはそれとして。ついに『時間の遡行』に成功したのだ」

「それってまさか」

「そう。いわゆるひとつのタイムマッスィーンというやつだな」

「本当ですか! ああ、ついにこの科学研究部がやり遂げたんですね」

「うむ」


「周りから空想科学研究部とか言われたり、オカルト研究会よりオカルトなことやってるよとか馬鹿にされていましたが、ついに報われる時がやってきたんですね」

「え、うちの部そんな風に言われてたの」


「だってそうでしょう。この部活、部長ぶちょーと私の二人だけですし。他は幽霊部員でみんな来ないし、てか私だって元々数合わせで入っただけですし」

「そんな風に言いつつもちゃんと来てくれるじゃないか椿つばきクンは」

「えっ? それは……その……」

「どうした? フェノールフタレイン液でもかかったみたいに顔が赤いぞ」

部長ぶちょーは触媒みたいな人ですね」

「うん? それって褒めてる?」

「知りません」


 -------晴日はるひ平常心取り戻し中------


「それで、タイムマシーンが完成したとのことですが」

「おっと忘れるところだった。そう、つまりだ――キミは長部ボクが五分後の未来から来たと行ったら、信じるかい」

「は? ……はぁ」

「そこ、露骨にがっかりしない」

「だって、たったの五分じゃないですか。しかも真偽も不明だし」

「ふふふ、ならば証明してみせようじゃないか」

「ほんとですかー」


「ふむ。椿つばきクン、キミはこの教室に入る前に……ミントのガムを噛んでいたね!」

「えっ、凄い。なんでわかったんですか!」

「ふふん、これぞまさに世紀の大発見というものなのだよ」


「……でも、部活前の行動を言い当てるのって未来から来たとか関係ないですよね」

「ふはははっ、今日の活動はこれにて幕引き! アデュー!」

「あっ逃げた。そんなんだから空想科学研究部とか言われるんですよー……」


 くずかご入れには晴日はるひの捨てたガムの包み。

 口から漏れるミントの香りが部屋中に漂っていた。



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 その2

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「あれ、今日は部長ぶちょーまだ来てないんだ……ん?」


 机の上には、カップラーメンと砂時計。

 砂はもうほぼ落ちきっている。


「もしかして、これ作ってる最中にどっか行っちゃったんじゃ」

 ガラッ。

 教室の扉が開く。


「やったぞえのきクン、世紀の大発明だ!」

「おめでとうごさいます部長ぶちょー。あと私の名前は春夏秋冬ひととせ晴日はるひです!」


「ほほう、丁度良い頃合いだな」

「やっぱりこのカップラーメンは部長ぶちょーだったんですね」

「うむ。実を言うと、今回は時間遡行では無く未来への時間跳躍を可能にした」

「タイムマシーンって本来どっちにも行けるものですからね」


「なんと五分間の時間跳躍に成功したのだ!」

「また五分……」

「だから露骨に残念な顔をしない」


「ええっと、つまり……カップラーメンにお湯を注いだばかりの世界から、お湯を注いで五分後の世界へやってきたと」

「さすがえのきクン、理解が早いな」

「ちなみに部長ぶちょーはさっき教室の外から戻ってきましたが、どこ行ってたんですか」

「トイレに行ってたんだが、この階のは使用中止になっていたから上の階まで登る羽目になった」

「それ普通に五分経過してますよね」


「さて、いい加減食べなければ麺が伸びてしまうな」

 ずるずると音を立てて麺をすする。


「あっ、これ限定商品じゃないですか。購買部でも全然売ってないやつ。ちょっと気になってたんですよ」

「そうなのか? ならばえのきクン、一口食べるかね」

「……えっ。…………良いんですか」

「使いさしの箸では申し訳ないな。どこかに新しいのは」

「いえ、それで大丈夫です」

「そんなわけには」

「大丈夫、です!」

「え、うん。そこまで言うなら、まあいいか」


「美味しいです、とっても」

「それは良かった。好きなだけ食べると良い。正直なところ、半分も食べたら満足してしまった」

「では遠慮なく……ズズッ」


「このまま五分前に戻れば、無限にカップ麺が食べられるということになるな」

「わざわざそれだけのためにタイムマシンを使わないでください。それならもっと美味しいものを食べる時にでも使った方が有意義です」

「ではキミの言う美味しいものとは?」

「このカップラーメンです」


 言葉の裏には、『部長ぶちょーからもらった』という修飾語がつくのだが。


「ふう、ごちそう様でした」

「何も汁まで飲まなくても良かったと思うが、そんなに美味しかったのかね」

「はい。……ちょっと、鏡見てきます。トイレは上の階でしたね」


 -------晴日はるひ身だしなみチェック中------


 再び化学実験室に戻ってきた彼女の目に飛び込んできたもの、それは。


「えっ……さっきのカップラーメン、の未開封と、落ち始めたばかりの砂時計……」

 まさか時間跳躍タイムリープ

 部長ぶちょーは未来に来たと言ったが、今度は過去に?

 彼女がそんなことを思案していると、聞き慣れた声が飛び込む。


「早いじゃないか、えのきクン。何を驚いているんだい」

「お湯が注がれる前の時間に戻ってる……? まさか本当に過去に戻ってるなんてことが、うそ、でしょう」


「一体何をそんなに狼狽えているんだい」

「ええっとですね、部長ぶちょー。実はさっき、これと同じものを食べて」


「うむ。美味しいね、とキミが言ったから今日はラーメン記念日……コホン、一つ分けてあげようと思って出してきたんだが」

「ですよねー。時間遡行も無限ループもあり得ないですよねー」

「何故か唐突に研究をディスられてしまったぞ」


 カップ麺はその後美味しくいただいたそうな。



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 その3

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 晴日はるひが部室に入ると、神妙な面持ちで佇む彼の姿が見えた。


「大変だひさぎクン、とんでもない真実に気付いてしまったかもしれない!」

「木偏に秋でひさぎって読むんですね部長ぶちょー。あと私の名前は春夏秋冬ひととせ晴日はるひです。逆になんかもう期待している自分がいます!」


「この真実に辿り着いてしまった自分が恐ろしい。宇宙の真理に触れてしまったのではないか。口にした途端に存在が消されてしまうのではないかと思うほどに」

「だいたいこういう時ほどしょーもない内容だったりしますけど、どんな真理に触れてしまったんですかー。消えませんから教えて下さい」


「うむ。今こうして存在する我々だが、実は機械のようにオンオフ機能があって、例えば夜眠るたびに死んで、朝目覚める時にそれまでの記憶を引き継いで新たに生まれ変わっているみたいに、実は今というこの瞬間においてのみ我々は創造され、存在しているのではないかという可能性だ」

「あー、『世界五分前仮説』ってやつですね。この世界は神が五分前に創造したものである、っていう。昔の記憶も『そういうものだった』という記憶を持って五分前に創られたとされる、否定も肯定もできない悪魔の証明です」


「それはつまり『五分前に遡行した』つもりになっているが、実は『五分前に遡行した世界』というものがイチから創造されているだけで、同一の時間軸の中には存在していないということか……!?」

部長ぶちょー、この手の話題は掘り下げすぎると自らの首を絞めることになるのでほどほどにするのがよろしいかと」

「自らの首を絞めて墓穴を掘るというわけだな」

部長ぶちょーって時々加齢臭がしますね」

「む、確かに昼は学食のカレーだったが」

「見習いたい、この鈍感力」


 -------晴日はるひ部室内を探索中------


「あった。では実験してみましょう」

「こないだの砂時計ではないか。それでどうしようと言うのだ」


 砂時計をひっくり返し、机に置く。


「五分前に世界が創られたというのなら、その五分間をいいんですよ。砂時計の砂が落ちるまで、じーっと二人で観測するんです。そうしたら連続する五分間は存在したし、それ以前から世界は存在していると言えるでしょう」

「ふむ、なるほど。それも一つの仮説だな。よしわかった」


 じーっとお互いに向かい合い、砂時計を見つめる。

 砂は一定の間隔で落ち続ける。


「……ところでこれ、向かい合って座る意味はあるのかね」

「何を言うんですか。世界五分前仮説を否定するためには、お互いが存在していると証明する必要があるんですよ。ならば向かい合うのが一番良いでしょう」


「なんか時々、砂時計じゃなくてこっちを見てないか」

「それは部長ぶちょーが視線を砂時計から逸しているからですよー。砂時計だけを見ていたら視線が合うなんて起こりえません」

「そう、だな」


「…………」

「…………」


 砂の落ちる微かな音だけが流れている。


 明らかに視線を感じつつも、彼は砂時計だけを注視して五分が経過した。


「はい砂さんが静かになるまで五分かかりました」

「校長先生っぽく言わないでください」


「しかしまあ、当たり前だがずっと存在しているな。世界が創られてからすでに五分以上が経っているのは間違いない。だが現に我々は存在し続けた」

「ええ。私は部長ぶちょーをずっと見ていましたが、当然ながら部長ぶちょーが突如ログアウトしたりロボトミー手術で脳みそをこねくり回されたりする様子はありませんでした」

「そうか、安心した……って、やっぱり見てたんじゃないか」

「当たり前でしょう。私の役割は部長ぶちょーの観測者だったんですから」

「それもそうか。いやすまない、助かったよひさぎクン」

「わかれば良いんです。あと私は晴日はるひです」


 砂時計越しに見つめ合うだけで本日の部活動は終了した。



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 その4

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 晴日はるひが部室に入ると、沈痛な面持ちで佇む彼の姿が見えた。


「ああ、来たかひいらぎクン。実はキミに伝えなければならないことがある」

「今日はいつになく真剣な表情ですね部長ぶちょー。でもあえて言いますね。私の名前は春夏秋冬ひととせ晴日はるひです! お約束は大事ですね」


 いつものやり取りを終え安堵している彼女に、彼の口から悲報が伝えられる。

「実はだね……この教室で部活が出来るのは、今日が最後なのだ」 

「――え?」


「先程顧問に呼ばれてな、話を聞いていたのだが」

「ちょ、ちょっと待ってください! まさか科学研究部が廃部に……!?」


「そうではな――」

「い、嫌です! ここで部長ぶちょーとしょーもない研究や実験を繰り返しては何の役にも立たない毎日でしたが、それでも私にとってはとても大切な時間なんです!」


「うん、改装工事で――」

「たった二人での活動ですが、それでもいきなり廃部なんてひどすぎます!」


「部室が生物室に――」

「もう部長ぶちょーと会えなくなるなんてあんまりです! 実は私、部長ぶちょーのことが好――……え?」


「……え?」

「……は?」


「えっと、だね。化学実験室が内装工事に入るらしく、次から生物実験室に部室が変更になった、という話だったのだが」

「ああ、なんだ。そういうことだったんですね。私ったら、早とちりを」

「そういうことだ、うっかりさんだな」

「えへへー」

「はははっ」



「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


「お、落ち着け、落ち着くんだ! 気を確かに」

「よし、死のう」

「しまった、ベクトルがマイナスに傾きすぎた!」


 死んだ魚のような目でうわ言を呟く晴日はるひに、彼は必死でかける言葉を探していた。


「あー……そ、そうだ。奥の準備室にタイムマシーンが用意してある。それを使えば時間跳躍タイムリープが可能だ。五分前の世界に戻ることだって出来る」

「……ほんとうに?」

「あ、ああ。もちろんだとも」

「わかりました……」


 ふらふらとおぼつかない足取りで準備室に入っていく。


「大丈夫だろうか……ふむ」

「失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した…………」

「……大丈夫だろうか」


 -------晴日はるひ時間遡行タイムリープ(ただし五分以上経過)中------


「…………」

「えっと、落ち着いたかね」

「はい……ぐすっ」

 その声はあまりにも弱々しかった。


「ではひいらぎクン。実はキミに伝えなければならないことがある」

「ああ、そこまで戻るんですね」


「実はボクも、キミのことが好きだったのだ」


「……は? え、あ、あのっ」

「先に気持ちを聞いてからこんなことを言うのは卑怯かもしれないが」

「ええ、ずるいです。私の方が部長ぶちょーを好きだという気持ちは強いはずなのに!」

「あえてここで言わせてもらおう。――実はボクは科学研究部のではないと」


「はい、知ってます。長部おさべだから部長ぶちょーってあだ名です」

「うむ。周囲からも何故か当然のようにボクが部長だと思われているのだが。まあ、二人だけの部活動ではそれも仕方ないことだと思うけどね」


 しばしの沈黙の後、彼の方から口を開く。


「ところで、一体いつから? 正直、全然わからなかったのだが」

部長ぶちょーは鈍感です。まるで絶縁体ですね」

「いやあ、それほどでも」

「褒めてませんよー」


 いつもの調子を取り戻し、晴日はるひが応える。


「入部して間もない頃からずっとです。私みたいな地味で特徴のない人間でも、部長ぶちょーはいつでも気にかけてくれました」

「地味で特徴のない……? まあいいか。うむ、キミはしっかりしているようでどこか抜けたところがあるからな……なんだかんだで、気にかけているうちに好意を持ってしまったというわけだ。こちらの方こそ、まんまとしてやられたのか」

「結果オーライですね」

「タイムマシンにお願いした結果、上手く行ったわけだ」


「ちなみに名前を間違えるくだりは何だったんでしょうか」

「ああ、最初の頃に『春夏秋冬ひととせって呼ばれるのは好きじゃないんで、下の名前で呼んでください』と言われたのをふと思い出してね。流石に急に呼び方を変えるのは気恥ずかしかったんで、ちょっとずつ変えていこうかと」

「わっかりにくっ!」



「やれやれ、まさかこんな日になるとはな」

「というと?」

「朝の占いは最下位だったし、登校中に黒猫とカラスを見かけてしまうし、昼食では割り箸が折れてしまうし、縁起の悪い一日だったのだ」

「とても科学研究部の部長ぶちょーとは思えない発言ですね」


「悪いことがあれば良いことがある。確率は収束する。統計は立派な科学なのだよ」

「ええ。……報われるから、過去の自分に『頑張れ』って言ってやりたくなります」


「さて、ではこのような日をなんと呼ぶか、知っているかい」

「……? き、きねんの……い、いえ、わかりません!」



「晴レノ日、と言うんだよ。晴日はるひクン」

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