この物語の舞台となっている『沈み鳥居』は、ググれば神秘的な写真が沢山出てくる実在する名所。ニュースでそれを見た作者さんがインスパイアされて書いたというこの渾身の作品は、本当にある神話のように感じてしまう。
鏡面のような池の中に咲き誇る睡蓮の花はなぜ深緋《こきあけ》色をしているのか?
神、鬼、妖怪、人間たちの交わりの中で、愛してはいけないものを愛する事は罪であり、辛い事であり、決してハッピーエンドにはならないかもしれない。
タグにはサッドエンドとあるけれど、そのエンディングの捉え方は読者それぞれだと思います。
私はその悲しみ以上に気高く清らかなものを感じさせられました。
登場人物達の健気さ、純粋さ、容姿の美しさ、そして少し古風な美しい文体の心地良さに、読者はグイグイと引き込まれていく事でしょう。
弁天池の睡蓮に隠れるようにひっそりと佇む「沈み鳥居」。
そこにはどのようなドラマが潜んでいるのでしょう。
弁財天に仕え、人々を苦しめる鬼を退治する童子たち。その中でひときわ弁財天から愛された生命童子がこの物語の主人公です。
美しさと凄惨さ。
表と裏。
善と悪。
二つの背中合わせのものが物語に深い陰影を与えます。
弱者の面をかぶりつつも、日和見主義で簡単に真心を裏切ることのできる人間たち。
その心を反映するように影が薄くなってゆく弁財天。
内側の憤りと哀しみが外側を鬼のかたちへと変えていく恐ろしさ。
その映像的な描写にはとにかく引き込まれること間違いありません。
流麗であるとともに凄味があり、色気さえ漂う筆致です。
生命童子が辿る運命とは。
「愛してはならぬものを愛した罪」とは何を意味するのか。
それはこの物語の果てに明らかになることでしょう。
衆道やBLといった言葉に臆して遠ざけるのはあまりにも勿体ない、どっしりとした読み応えのある伝奇小説です。
「深緋に染まる太陽を瞳の奥に隠し、この世の終わりまでも見据えているかのように真っすぐだ──」
主人公を端的に表す一文です。
あなたもこの生命童子の美しく残酷な運命を見届けてみてはいかがでしょうか。
「沈み鳥居」とは、日本の弁天池に実在する名所です。
桃色のスイレンが水の面を埋め尽くす池に鳥居が半分、沈んでいます。
その幻想的な風景に息吹を与えられて紡がれる物語世界には、浮世離れした美貌の、しかしながら人間味を感じさせる個性豊かなキャラクターが生きていました。
崇拝される弁財天と、弁財天に仕える十六人の童子が居ます。
弁財天と言えば、七福神に名を連ねる女神。
此処では叡智と音の神、同時に戦闘神として描かれています。
童子は、この物語の中で、神に仕える眷属(従者)です。
童子は人並み外れた「力」を有しており、神に近い存在。
弁財天の庇護の許、特に「力」をそそがれているのは生命童子。
その「力」は弁財天と繋がっているかぎり強い効力を保っていましたが……。
弁財天の加護を受ける平和な世界に根拠のない噂が立ち、やがて鬼が現れて崩れていきます。
噂話に踊らされた人々。神への信仰心が無くなろうかと危惧されるとき、弁財天の生命の焔は、淡く儚く透きとおる。
信仰を失った世界で神は消えてしまうのか。
神の寵愛を受けた童子たちの運命は如何に。
冴え冴えとした感性と筆力が、水の面を蔽うスイレンのように美しく開花します。
作者様の精神性が優位に感じられる昔々の物語。
是非、ご一読ください。