最終話:天空都市の終焉

 その後サリハと顔を合わせたのは、十日が過ぎてからだ。避けたわけでなく、ザハークとダージは瓦礫の処理やらに追われた。

 もちろんそんな日数で終わるものでもない。これから復興と並行し、何年もかけて取り除かれていくだろう。

 当面すぐに空けておくべき通路や、王の仮住まいの準備などが終わったのだ。


「女神は何か答えてくれたか?」


 水面に向かって跪き、無言で祈る背に声をかける。

 サリハは街の女たちが着るのと同じ、長衣を纏っていた。黒くなく、顔を隠してもいない。


「いえ。前ほどはっきりと、ミトラを感じることも出来ません。やはりコーダミトラは、見放されてしまったんでしょうか」

「さあな」


 祈りを中断し、サリハは振り向いた。その隣へ座ると、彼女も楽に座り直す。

 周囲は崩れてしまった光の神殿。目の前にあるのは光も闇も発することのない、ごく普通の泉。


「島が、沈んでいるとか」

「ああ、ほんの少しずつだがな。次の春までには下の地面へ着いちまうとさ」


 一日に数サンテ。僅かな変化に気づいたのはダージだ。浮遊島は近いうちに、ただの岩山と化すことが測量で明らかにされた。


「心配すんな。村は潰されねえってよ」

「それもお聞きしました。希望するなら、街へ移住して良いとも」


 島の底は、ゲノシスによって抉られた。その窪みに、ちょうどすっぽり覆われるらしい。でこぼことした面が通路に使える洞穴となり、横方向への移動も支障ないという。

 ゆくゆくは薄くなった岩盤を切り開き、直接に行き来する案も出ている。


「サリハも戻ってみるか? 下の泉も、普通の水になっちまったが。ああ、毒蟲も見なかったな」

「それは困りました。ザハークにお支払いする当てが」


 泉を見つめたまま、否定に首が振られる。

 闇の炎を運び、女神に祈ることが彼女の使命だった。そうすることで人々の過去と未来、そして今を守っていた。

 女神の去った現実を前に、途方に暮れるのもやむを得まい。


「気にすんな。実を言うと、毒蟲はあんまり好きじゃねえ」

「それでは、なおさらですね」


 冗談でうやむやにしてくれれば良かったが、やはり生真面目な彼女には通じない。むしろ困ったという表情にさせてしまった。


「だから気にすんな。セルギンがな――」

「セルギン? ええと、飛盗の方でしたか」

「そのセルギンだ。奴が故郷に家族を待たせてるらしい。迎えに俺も着いていってやろうと思う」


 故郷を襲ったのは巨大な獣と彼は言った。一時的にでも弱らせ、両親と姉を連れ出す。その為に闇の炎が使えると考えたのだ。


「成功したら、またこの国へ戻るんだとさ。何を代金にするか、そのときまでに追々でいいさ」

「ザハークも行ってしまうんですね」

「ん? そう言ってるつもりだ」


 分かりやすく話したと思うが、伝わらなかったか。ならばもっと噛み砕くべきか。

 ザハークが言葉に悩む間、サリハも何やら考え込む。小さく自分に問いかけをし、否定と肯定を繰り返す。


「あのなサリハ」

「ザハーク、お願いがあります!」


 彼女は真面目が過ぎて、抱え込む癖がある。それならば、まずは深呼吸でもするべきだ。

 勧めようとしたのを、ひと際大きなサリハの声が制した。


「お、おう?」

「私も連れて行ってください。私を賞金稼ぎの相棒にしてください」

「はあ? 急に何を言い出すんだよ」

「武器は使えませんし、騎獣に乗ったこともありません。でもすぐに覚えます。だから」


 息継ぎも惜しむように。ザハークの反論を封じるように、サリハは希望を並べ立てる。

 どうしてこんなことを言い出すのか、ザハークにはさっぱり分からない。ラエト辺りが言うのなら、まだ理解出来るけれども。


「いや、サリハ。とりあえず落ち着け。賞金稼ぎなんざ、いつどこで死ぬか分からねえんだ。覚えのない恨みを買うことだってある」

「だからです。だから私は行きたいんです。いつかザハークが旅立つのは、覚悟しています。でもこれほどすぐなんて」


 最後の言葉で理解した。サリハは賞金稼ぎになりたいわけでない。ザハークとの別れを惜しんでくれているのだ。


「まあまあ、これでも食って落ち着けって」


 飯屋の夫婦にせめてもと貰った焼き菓子を差し出す。食事をするのも忘れがちと聞いたサリハに、そもそもはこれを届けに来たのだった。


「甘くておいしいです。けど、ごまかされません」

「ごまかしてやしねえよ。サリハの勘違いだ」

「勘違い、ですか?」


 袋ごと渡した焼き菓子は、サリハの胸に抱かれた。どれほど貴重な宝物かと言うほど、柔らかく丁重に。


「セルギンの家族は、もう死んでる。家ごと踏み潰されるのを奴は見たのさ。襲った相手が今でもそこに棲み着いててな、亡骸か形見かを拾いに行きたいってわけだ」

「それは……つらいお話です。でも、だからそこへ行くということでしょう?」

「行くさ。いつかな」


 何を言っているのか。と今度はサリハが、怪訝に眉根を寄せる。それでも顔には、心配とか寂しいとかいう言葉が張り付いたままだ。

 やれやれと失笑して、ザハークは斜面の下を指さした。


「あれを見ろよ」

「城壁の、監視塔。ですか?」


 王の住まいも、新しく作り変えることとなった。ただし街の復興に応じ、賄える兵士を収める分だけ。

 しかもそれは別の場所で、これまでの城は破棄される。蓄えた財産も売り払うと決まっていて、保管場所も必要なくなるのだ。

 だというのに、城壁の一角でしかない監視塔が修復されつつあった。


「そうだ。あそこが元公爵とイブレスの住む場所になるんだと」

「イブレスさまの――」


 王を弑逆しようとした者は死刑。どこの国でも変わらぬ法は、コーダミトラも同じだった。

 だが国政を一手に切り盛りした公爵を死なせ、掛け値なしの本当に何も知らぬ国王だけとなっては困る。


「だから必要な知識を全て引き継ぐまで、監視塔へ幽閉する。らしいぜ? うまい言いわけを考えたもんさ」

「それでイブレスさまも?」

「巫女さんを取り上げたら、公爵が何をしでかすか分かんねえからな」


 視力を失い、声も出せぬ。イブレスは公爵以外の者が触れると、酷く怯えるようになった。

 その代わりと言って良いのか、公爵ならばほっと安堵を見せるらしい。


「だからまあ、あの二人の希望通りにはなったのかね」


 自分でなければならない役目を負いたかった公爵。生まれながらに重すぎる宿命を背負った巫女。

 王がそこまで考えてはいまい。弟を死なせず、好いた女と一緒に居させてやろう。その程度だ。

 皮肉にしかならぬ結果に、ザハークもどう評価して良いやら迷う。


「そう、ですか」


 サリハは一瞬、悲痛に瞼を閉じた。しかししばらく監視塔を眺め、感想めいたことを言わない。


「希望通りなのか、私には分かりません。それにしても、どなたがそんな案を? 騎士団長さまでしょうか」

「あのおっさんにそんな、頭の柔らかい案があるかよ。と言っても、もっと意外なんだがな。王さまだよ」


 国を、街を、人々を。どこへ向けて動かすか、明確に言える者は居なくなった。

 王はそれを克服しようと、事務処理に使われるだけだった文官たちを頼ったのだ。


「どんなに身分が低くても、案のある奴は言えってな。あの王さま、人から話を引き出すのは得意らしい」

「それは素晴らしいことと思います。でもそれとザハークと、どう繋がるんでしょう」


 聞いたことの理解が早く、先回りして察してくれる。それでいて意見を押しつけることのないサリハは、話していて楽しい相手だ。

 おかげで何を言うべきだったか、忘れてしまいがちだが。


「監視塔の脇には、元奴隷たちの集落を作るらしい。自由にさせて問題がなければ、普通に街へ入れるようになる。その隣が、村の奴らが使う土地だ」


 コーダミトラの復興計画を一つひとつ、指で示しながら聞かせる。問いの答えになっていないのに、サリハはしっかりと聞いてくれた。


「光の川沿いは、新しい街だ。王家の財宝が資金だからな、贅沢しなきゃすぐに元通りだろうさ。仕事が出来りゃ、食う物も必要になる。賑わうぜ?」


 工事の人足として働いた者は、希望すれば兵士にもなれる。地続きとなり、活発化した街には外部からの出入りも増えるはずだ。


「でもまあ、すぐったって何年もかかる。その間、攻めてくる敵も居る。セルギンの件はその後だ」

「じゃあザハークは、それまでずっと?」

「だな。まあ時々、ふらっと遊びに出るくらいはするかもしれん」


 この国が再び独り立ち出来る日まで、ザハークは番人代わりとなる。それがサリハの願った、救ってほしいという依頼を叶えることだろう。

 だから彼女からの報酬は、まだまだ受け取れない。


「安心したか?」

「ええ、とても嬉しいです」


 現金な笑顔に、やれやれと思う。けれどもそうしたいと心から思ったのだ、後悔はなかった。

 おもむろに胸元から竜笛を取り出し、相棒を呼び寄せる。


「気分が良くなったんなら、散歩にでも行くか。サリハはどうしたって、ダージがうるせえんだ」

「まあ、私のことを?」


 ダージはザハーク以外を乗せたがらない。ましてや自分から要求したことなど、一度もない。

 どうしてそんなことになったか理由は分からずとも、断る理由もありはしなかった。


「キュエッ」


 勢いよく下りたダージは、サリハに向けて啼く。「元気にしているか」とでも問うように。


「ダージ、私を乗せてくれるの? ええ私は元気よ、元気になったわ」


 ザハークの補助を断り、サリハは自分で鞍へ登った。もちろん何度か足を滑らせ、尻を支えてやる羽目にはなったが。


「行くぜ相棒!」

「キュエエエッ!」

「お願いします!」


 高くなったコーダミトラの空を、白き竜が舞う。その背にはいつも、特等と呼ばれる賞金稼ぎの蛇人の姿があった。


「一人で生きられるようになれや」


 師匠の言葉は達成出来そうもない。ダージだけでなく、共に暮らすサリハ。毎日のように訪ねてくるラエト。

 騎士や兵士たちと、訓練も欠かさない。いつしか普通に笑い、泣くことも怒ることもする街の人々と、家や道を作る。

 新たに巨鳥を駆る彫銀騎士団も創設され、空を翔ける楽しみは増すばかりだ。

 だからもう、それでいいことにした。


 ―蛇人の賞金稼ぎ ザハーク【闇の炎と光の泉】 完結―

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蛇人の賞金稼ぎ ザハーク【闇の炎と光の泉】 須能 雪羽 @yuki_t

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