第80話:誰かの特別

「弟よ。このような日が、どうして訪れた。聡いお前が、鈍い我に教えてくれ」


 謁見の部屋。宝石の光る椅子に、国王レミトラス二世は無事な姿を見せた。敷かれた布の両端へ立つのは、騎士団長とラエト。それに怪我の少ない騎士たち。

 その列の最後尾に、ザハークも立たされた。王の話す相手でないからだが、居心地は良くない。


「全て、私の愚かさゆえにございます」


 レミル公爵は床へ膝を着かせ、腕は背中で縛られた。両脇には一人ずつ兵士が付き、槍の柄で姿勢を真っ直ぐにさせられる。

 ザハークにも何度か覚えがあるが、長く続くとつらい格好だ。


「形式は要らぬ。起きた事実も概ね聞いた。残る理由をお前の口から教えてくれ、と我は言っておる」

「理由、でございますか……」


 王の表情に怒りはなく、戸惑いと憂いが共存していた。声もやや震えて柔らかで、いつぞやの屋根から降らせるような高慢さがない。

 さしもの愚鈍さも、全幅の信頼を寄せた弟に裏切られては休暇を取ったようだ。分からぬながらも事情を把握しようと、質問攻めに遭ったと騎士団長は言っていた。


「兄上があって、弟の私が居る。単なるこの事実に、何の不満を抱いたこともございません」


 公爵は正面へ向けさせられた顔を、強引に俯けた。兵士が咎め元へ戻そうとするが、国王は「良い」と止める。


「我が王であることそのものに不満はない。ということか?」

「然り。先に生まれた兄上が王となる。どこの国へ行っても、誰もおかしいとは言いますまい。しかし、弟はどうでしょう」

「弟のお前が。優秀な頭脳を持つ弟が公爵となり、我を助けてくれる。これとて何もおかしくはない。が、不満はそれか?」


 公爵の首は横へ動き、「いいえ」と声も出された。

 するともちろん王は「では何だ」と問いを重ねる。急かすのでなく、真に知りたいと欲求を感じさす眼差しで。


「長子たる男子が王となる。それは決まっていても、次子が助けるとは決まっていないのです」

「何か他に、やりたいことがあったのか?」

「そうではありませぬ。私がやれとは決まっていない。即ち、私でなく他の誰でも良いということ」


 何を言っているのかさっぱり分からない。という顔で、王は周囲に説明を求める。問われた騎士団長も答えに困り、声を出せない。

 けれどもザハークには分かった。


 ――イブレスと反対か。

 王になるには条件があり、レミトラス二世が当て嵌まった。死亡したりで繰り越される可能性はあっても、当人に問題がなければ変わることのない確定事項だ。

 だがその輔佐役は、王弟でなくとも良い。レミル公爵は、自身でなければ出来ぬという縛りが欲しかったに違いない。

 一つの国に一人という、最高級の特別な存在。国王を兄に持ったが為、なのだろう。


「公爵も宰相も、私という人間である必要はない。幼きころから兄上に尽くし、それが全て兄上の功績とされた。ならば私は不要だと考えたのです」

「やはり我の下に居るのが――」

「違います。違うのです。兄が兄上でなければ、もっと早くに何ごとかしでかしたでしょう。私はただ、特別になりたかった。誰かの記憶に残りたかった」


 それで選ばれたのが、イブレスとなるらしい。

 国王の求愛をも、黄昏の巫女を言いわけに退ける。特別な者の特別になれば自分も、と考えたのだろうか。


「イブレス殿は別の人生を求めていた。だからこの騒動のさなか、死亡したと見せかけるつもりだった。そうすれば私は、イブレス殿の居場所を作って差し上げたことになる」


 それが理由だと公爵は語り終え、再び顔を上げた。疲れた表情に、憤りや無念さは見えない。


「何もかも、兄上の引き止めた蛇人に覆されてしまいましたが」

「――そうか。お前の気持ちの、欠片ほどをも察せぬ我を許せ」

「私が許すなどと。何度言われましても、兄上に後ろ向きな思いはございません」


 互いの気持ちを見せあっても、王と王弟は理解し合うことが叶わなかった。公爵が連れていかれ、列席した者に解散が言い渡されても、国王は項垂れて動かない。


 ◇ ◇ ◇


 ザハークは城を出て、一軒の扉を叩いた。道中の家はほとんどが瓦礫と化した中、家屋の体裁を保っている。

 セルギンが懇意にする飯屋だ。正面でなく、裏の勝手をもう一度叩く。


「へいへい。聞こえてまさあ」

「居るのかよ」

「呼んでおいて、居るのかはないでしょうや」


 扉開けたのはセルギンだった。頭にも腕にも包帯が大量に巻き付く。少し顔を見せるくらいはしたかと考えたのだが、しっかりと治療を受けて休んでいたと見受けられる。

 言いつつ彼は、後ろ手に持っていた物を陰に押しやる。ちらと見えたのは、白い瓶だ。


「ああ、包帯ですかい。あたしは戻ろうと思ったんですがね」


 安静で居られる場所と考えて、弟分たちが運び込んだようだ。目を覚ましたセルギンは隠れ家へ戻ろうとしたが、引き止められたと言った。


「空腹も怪我も、ほどほどのうちに頼れって言われやしてね。こんなに大怪我じゃ、しばらく帰せないって泣かれちゃあね」

「女を泣かせるたあ、罪な男だな」

「旦那、そいつは意味が違うでしょうや」


 実際はそれほどの怪我でないと、セルギンは強がる。しかし包帯の下に当てられた布には、赤い染みが大きく拡がった。


「夫婦と弟分はどうした」

「お二人は、よその家の手伝いに。家を失くした人が多いでしょうからねえ。弟たちは隠れ家でさ。あたしと違って、奴らは不細工なんでね」

「大して変わりゃしねえ。まあせっかくだ、しばらく人の世話になるのも楽しいだろうさ」


 そうする。と答えたセルギンに、「またな」と告げる。閉まりかけた扉の隙間へ手を伸ばし、隠された瓶を奪う。


「旦那?」

「横取りしやしねえよ。お前がこいつを必要っていう理由を聞いてねえと思ってな」


 軽く振ってみると、瓶には中身がある。光の炎は使ったようだから、闇の炎と思われる。


「そりゃまあ、隠すようなことでもないんですがね」

「じゃあ言え。幸いに暇を持て余しててな、手伝ってやらんでもない」

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