10. もう大丈夫
レグルノーラに戻った僕は、翌朝、教会本部棟にあるアーロン枢機卿の執務室に赴いていた。
アーロンは僕のことが相変わらず大嫌いで、それを我慢してグッと耐えている、とても良い人だった。
彼は僕の話に耳を傾け、すっかり禿げた頭を抱えた。
「貴様は自分の立場が分かっているのか」
「分かってます。これ以上迷惑、かけられないし。せっかくだから、世界中見て回ろうかと」
額に手を当てて、アーロンは唸り声を上げた。理解出来ない、どうしたらいいと、頭をグルグルさせているらしく、不安の色が密集して漂っている。
「放浪の旅に出て、どうする気だ。世界中の人間が神の子の正体を知っている。良からぬことが起きるかも知れぬ」
「大丈夫。もうそんなことにはならないから」
「なんの根拠もなしに、そんな」
相当に優しい人なのだろう。
白い竜がとても危険で、とてもヤバいってのをずっと間近で見てきたから、ハイそうですかなんて無責任なこと、言えないんだ。
だから僕はアーロン枢機卿を安心させるつもりで、力を抜いて、満面の笑みを向けた。
「神と思しき何かが、僕に言ったんです。もう大丈夫、生きろって。――長い間、本当にありがとうございました。教会の皆さんにも、神のご加護がありますように」
その後直ぐに、僕はリサと教会を出た。
*
塔の直ぐそば、草木の生い茂る公園のベンチで地図を広げ、リサと旅の計画を練る。
天気は良好で、陽射しが木々の間から降り注ぎ、地図に揺らめく影を落としていた。
「行ったことのない場所は全部回りたいけど、そう上手くはいかないよね」
「そうだよ。大河君が教会の援助を全部断ったから、お財布空っぽからのスタートなんだよ? 忘れないで」
「大抵のものは具現化出来る。食い物も出せるから困らないでしょ」
「でもでもでも! 野宿は嫌だよ? まがりなりにも私、女の子なんだけど」
「あ、そっか……。それは考えてなかったな……。生きて行くにも金がかかるんだよね。お金を手に入れるには、働かなくちゃ」
計画は早々に頓挫しそうだった。
ベンチにもたれてため息をついていると、誰かが恐る恐る近付いてきて、「もしや、神の子では……」と言う。見ると三十代前後の男性が二人。
「配信、観ました。とても心打たれました。あ、あの、お困りのようですけど、僕たちに出来ることがあれば……!!」
配信の時と変わらぬ格好で外に出ていた僕は、直ぐに一般人に見つかったらしい。
けれどこれは好機だ。
「寝るとこと、仕事……探したいんだけど」
変なことを頼んだかも知れない。しばらく二人は目を丸くして動かなかった。
「えっと……旅に、出たいと思って。軍資金貯めたいんだ。で、僕ら二人、寝るところも欲しくて」
「無理にとは言わないけど、情報貰えたら嬉しい……!」
僕とリサは二人に向かって手を合わせ、必死に気持ちを訴えた。
「旅……? 軍資金?」
「は、働くんですか? 神の子、なのに……?」
「お金、持ってないからね。で……どうかな。頭を使う仕事は無理だけど、肉体労働ならいけるよ。なんたって竜だから、人間の数十倍は働けると思う」
「だ……だったら今、塔の取り壊しが始まってて、そこだったら」
「そうそう、求人広告出てて。危険だから確か、日当高かったはず……」
そう言えばカンカンと高いところで音がする。
工事用車両が何台も連なって、塔の方へ向かっていくのも見えていた。
「ありがとう。行ってみるよ」
礼を言うと、彼らは何だか嬉しそうに手を振って去って行った。
*
「神の子だからって特別扱いは出来ませんよ。第一、一緒に働く人間が何て言うか」
「そこは自分で説明します。無理なら他をあたります」
「あ〜、いやいや。働いて貰えるなら一向に。経験も資格もないから、最低賃金からのスタートになるけれど」
「それで良いです。リサのこともお願い出来ますか。事務とか、魔法補助とか、やれることは多いと思うので」
「この子も……?」
「我が儘言ってすみません。僕と違って彼女は、たくさん経験積んでると思うのでお役に立てると思います」
責任者の中年男性は、僕を見るなり驚いて、酷く困惑していた。
現場事務所で面接して貰い、どうにか契約に漕ぎ着ける。
塔の解体のために集められた数百人が、ここを拠点に解体作業にあたっている。
世界を見渡せる塔の解体は、それこそレグルノーラ史上初の一大プロジェクトらしい。
「神の子は機械操作はお得意ですか?」
「どうだろう。やってみないと分かんないかな。――そうだ。僕のこと、大河って呼んで貰えますか」
「しかし」
「本当はどう呼ばれても構わないんですけど、名前で呼んで貰った方が嬉しい。神の子じゃなくて、レグルノーラに生きるひとりの人間として、働かせて貰いたいんです」
*
もし仮に、白い竜が邪悪でどうしようもない凶暴な竜だったなら、あいつは塔の建設には携わらなかった。
行く先々で名前を貰って、自分のことを知らない人達と過ごすなんて、きっと勇気が要っただろうし、きっと……ワクワクした。
あいつは自分の正体をひた隠しにしたけれど、僕は全部晒すよ。だって僕は僕で、それはどうしたって変えようのないことだから。
「優しそうな人達で良かったね。しばらくここで働いて、それから旅に出るってことで良い?」
「うん。それと……リサのこと聞かれたら、ぼ、僕の大切な人だって、彼女だって紹介しても、良い……?」
少し照れながら言うと、リサは大きな目に涙を潤ませて「うん……!」と僕に飛びついた。
傾いた日が壊されていく大きな塔の真後ろにあって、僕らに大きな影を落としていた。
………‥‥‥・・・・・━━━━━■□
「あんたも哲弥も凌も、みぃ~んな同じようなことやるのね。リアレイトでの生活も、レグルノーラでの生活も失いたくないって?」
「うん。今はちょっとだけレグルノーラの方が比重高めだけど。――そうだ母さん。僕さ、向こうで働き始めたんだよ。給料が出たら、リサと美味しいもの食べに行くんだ」
「あらあら、良いわね。リサちゃん、相変わらず良い子なんでしょ。また連れてきなさいよ」
「そうだね。前より美人になってるから、期待してて」
「分かった分かった。大河からそんな惚気が出てくるとは思わなかったな」
僕はまた、芝山の家で暮らし始めた。
今のところは凌と同じように、レグルノーラに本体を置いて、リアレイトに干渉してきている状態。学校に行っているわけでもない、自由の身だし、今はこれが丁度良い。
日中はフラフラと外を散歩してみたり、母さんの家事を手伝ってみたり。
初めの頃は白髪赤目のまま外に出るのを父さんに止められた。仕方なく凌みたいな格好をしてみたけれど、何か変な感じがして吐き気がしたから、やっぱりそのままの姿でいることにした。
最近はコンビニの店員さんも普通に接してくれる。近所のおばさん達も挨拶してくれるから、居心地は悪くない。
父さんの変な言い訳がずっと功を奏していて、僕は本当の親が住むという、どこか外国に長く居たことになっていた。外国帰りだから奇抜な格好もするわよねと、そういうことらしい。
「まぁ、あれから四年経って、僕も十七だし。色気付いたりもするよ。母さんだってその頃から父さんと付き合ってたんでしょ。一緒じゃん」
「そうなんだけどね。あんたみたく顔の良い男じゃなかったから、哲弥は。ダサ男の代表格みたいだったんだからね」
「今の父さん、格好良いじゃん」
「前はね、服と髪型のセンスが最低だったのよ。性格イケメンだったんだけど、そこが残念でねぇ~」
まるで僕の居なかった時間なんて存在しなかったみたいに、母さんは接してくれる。
いつか凌の格好で現れたことを謝ったりもしたけれど、それはそれで面白かったと言ってしまう辺り、母さんは凄い人なのだと思う。
「それで、どう? 哲弥の資料、役に立ちそう?」
僕の白くて長い髪をブラシで丁寧に梳きながら、母さんが背中から話し掛けてくる。
ソファに腰掛けて、僕は為されるがまま、母さんと会話する。
「役に立つどころじゃないから。凄いよ、父さんは。干渉能力が消えたの、本当に勿体ない」
中学時代から止まった部屋を、少しずつ片付けはじめた。
あの頃好きだったラノベやフィギュアは、今はクローゼットの段ボールの中に片付けてある。
代わりに僕の部屋を占拠し始めたのは、父さんから譲り受けたレグルノーラの資料だ。
物質を転移させる魔法が不得意だった父さんは、干渉中の記憶を書き留め、大量に書き記していた。それを全部貰った。
今度は僕が、白い竜としての僕の記憶と共に整理する。
「それにしても、綺麗な髪ね。痛みもないし、サラサラしてる」
「ありがとう。なんかさ、短かった時は結構撥ねたんだけど、長くなったら重いからか真っ直ぐ下に伸びるんだよ」
「レグルになった凌と同じ髪質だよね。で、どうする? ちょっと編んだ方が良いと思うけど。食事の邪魔になるでしょ」
「そうだね。軽く編んで貰おうかな。自分じゃちょっと無理」
「ハイハイ、ちょっと待ってねぇ」
急に伸びた僕の髪を弄るのが、母さんは結構好きらしい。
女の子が欲しい、長い髪を可愛く結ってあげたいと、妊活を頑張った話をいつだか聞いた。自分の子どもを諦めて僕を養子に貰った母さんの些細な夢を、僕は知らず知らずのうちに叶えていたことになる。
「約束、何時だっけ」
「六時半で迎えが来る。母さんも遠慮せず来れば良いのに」
「遠慮してるわけじゃなくて、私が断ったの。一介の主婦に、ヨシノデンキ社長のお相手なんて無理だから! あんたと哲弥で楽しんでおいで。回らないお寿司、食べさせて貰えるんでしょ」
「寿司は楽しみだけど、薫子が面倒くさい」
「美桜のいとこだっけ? リサちゃんがいるから無理ってちゃんと言いなさい」
「言って納得してくれるような物分かりの良い子じゃないんだよ」
「モテモテのイケメンは大変ね。さ、出来たよ。スーツに着替えて。普段着で行けるようなお店じゃないんでしょ」
美桜の伯父、ヨシノデンキ社長の芳野泰蔵の前で、僕は自分の覚悟と苦しみを吐き出した。それを大伯父さんはずっと気に留めてくれていて、力になりたいと前々からジークを通して父さんに話をしてくれていたらしい。
父さんに見せて貰った大伯父さんからの手紙には、学校に行けなかった僕の学習支援や精神的ケアサポートについて書かれていた。そして普通の人間より遙かに長生きするだろう僕が、もし
「美桜への贖罪なんだろうけど、気が重いな」
「そんなの遠慮しなくていいから。厚意は有り難く貰っておくものよ。これも縁だよ」
「……うん」
着替え終わってしばらく待機していると、父さんが慌てた様子で戻ってきた。
「すまない、時間ギリギリ」
「お帰り。――あ! 哲弥、今日寝癖のまま仕事してたでしょ! 直すよ、全くもう……!」
二人のやりとりを見ていると、自然と笑いが零れ出た。
血とか、関係ないな。やっぱり僕は、ここが好きだ。
「で、どうなんだ、大河。芳野さんには何て返事をするつもりだ?」
母さんにブラシで寝癖を直されながら、父さんは僕に尋ねた。
「そうだね……。どっちの世界で生きていくとか、これからどうするとか、そういうのは未だ分からないけれど、勉強はしたいと思ってる。自分の生きてく世界のこと、何も知らないなんてつまらないから、ご厚意に甘えさせていただこうかなって……」
「うん。私もそれが良いと思う」
父さんはちょっとクマの出来た顔で、ニッと笑った。
家の前に、車がやって来た音がして、僕と父さんはいそいそと玄関に向かった。
チャイムが鳴ってから、僕はゆっくりドアを開ける。
迎えに来てくれた運転手に挨拶して、行ってきますと家を出た。
「あれ、この時間も未だ明るいね」
「春が近いんだ。――大河、行くぞ」
「うん」
雲一つない、綺麗な空だった。
つぼみの膨らみかけた桜の枝が、未だ暗くなりきれていない空によく映えていた。
<終わり>
黄昏のレグルノーラ~災厄の神の子と復活の破壊竜~ 天崎 剣 @amasaki_ken
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