9. 救世主とは

「普段から大事なことは隠す人でしょ、哲弥って。ここふた月くらい、哲弥の様子がおかしいの。本人に聞いても教えてくれない。ぼぉ〜っと外を眺めたり、頭を抱えてみたり、変なのよ」


 食いかけの茶碗と箸をカウンターの端に置いて、僕は母さんの話に聞き入った。


「あんな哲弥、初めて見た。仕事にも身が入ってないみたい。辞表出したり、遺書書いてみたり、そこからもう、変なの。本を読むのも、新聞読むのもやめたのよ? あの、本の虫が。食欲もないとかでゲッソリしてきたし。……って、それはあんたもだけど。とにかくね、変なの。中身がどこかに消えたみたいに反応が鈍くなって、生きてる感じがしないの。ここしばらく、ずっとよ? 急に白髪も増えちゃって。四十にしてはすんごく老けて見えちゃうの、なんか悔しくない?」


 辞表と遺書については心当たりがある。僕だ。リアレイトとの決別を迫った。けれどそれが直接の原因ではないと思う。

 考えられるとしたら、あの時。僕の知らないところで、何者だか分からないあいつがシバに何かをしたんだ。

 干渉能力が消えたなんて、そうじゃなきゃ説明が……。


「父さん、結局仕事は辞めたの?」

「ううん。辞表は受け取って貰えなかったって。そうでしょ? 気の迷いだったと思うんだけどね……」

「父さん、帰り何時?」

「さぁ。残業かも」

「けど、そんなには遅くならないよね。迎え、行ってくる」


 僕の台詞の意味が分からず、母さんは少し時間が経ってから「え?」と言った。

 茶碗の中身を無理矢理口に全部押し込んで流しに置いてから、手袋やマフラー、コートを具現化させて、外に出る準備をした。


「ちょ、大河! 迎えって……」


 母さんの台詞が終わる前に、僕は転移魔法で区役所に飛んだ。






 *






 区役所は、オフィス街の一角にある。

 すっかり暗くなったこの時間でも、未だ各階の窓からは煌々と明かりが漏れていた。

 外灯の明かりが静かに落ちてくる雪の粒を照らす。外はキンキンに冷えていて、足元には僅かに雪が積もっていた。

 

 カレンダーは二月。

 このまま景色が全部白くなるまで積もったりはしないのだけれど、薄衣を掛けたくらいには街が白んでいる。

 雪よりも冷たい風で、コートの下まで寒さが染みた。


 僕は通用口の壁にもたれ掛かって、父さんの帰りを待った。

 退勤の公務員達が前を通る度、僕にチラチラ視線を向けた。その度に軽くお辞儀をしたり、今晩はと小さく言ったり。

 白い髪が変に目立たないよう、ファー付きのフードを深めに被って、マフラーで首元を覆った。スマホを持っているわけでもなかったから、ただただ通用口の出入りと道行く車や通行人の観察をして過ごした。


「誰か待ってるの? 呼んでこようか?」

「いいえ、大丈夫です。もうちょっと待ちます」


 何人かとそういう会話をした。

 暗くて僕の人相がよく見えないのもあったのか、話し掛けてくれる人がいたのは嬉しかった。


 三十分程待つと、見慣れた顔が別の誰かと一緒に通用口から外に出た。僕はもたれていた背中を剥がして、彼の前を塞いだ。


「お疲れ」


 フードを少しだけ持ち上げて顔を見せると、父さんはギョッとして歩みを止めた。


「来てたのか」


 一緒に出てきた男性が「誰」と聞くと、父さんは「息子」と言った。僕は男性に軽く会釈をして、「芝山大河です。父がお世話になってます」と社交辞令的に挨拶した。


「芝山さんより背、高いな」

「父親の背が高かったんです。気付いたら追い越されてましたよ」

「……あ、そっか。そういうこと」

「お先します。一緒に帰るので」

「お疲れ様。じゃ、明日」


 軽く手を上げて去る男性を見送ってから、


「少し、歩くか」

「うん」


 父さんと二人、外を歩いた。






 *






「いつ来た?」

「夕方。母さんがパートから帰って来たくらいの時間。……背、縮んだ?」

「お前がデカくなったんだろ。で、どうなんだ。向こうは落ち着いたのか」

「それなりに」

 

「それなりか……。お前の方はどうなんだ」

「どうって?」

「力、抑え込めてるのか。ここに来てるってことは、ある程度自分で制御出来るからなんだろうが……」


 仕事帰りの大人達が多い大通りを避けて、裏通りを帰る。建物の向こう側が夜を裂くような明かりに包まれているのを感じながら、僕は父さんの横を歩いた。

 父さんが小さく見えるのは、僕のブーツの底が分厚いからじゃない。知らないうちに十センチ以上差がついていた。僕の肩に近いところに父さんの顔がある。


「僕の気配、感じなくなった……?」


 探りを入れると、父さんはため息をついた。


「分からん。何も感じない。竜の気配とか、魔力とか……、前は第六感が働いてたはずなんだがな」

「じゃあ、母さんの言った通り」

「怜依奈のヤツ、気付いてたのか」

「なんでもお見通しなんだよ、母さんは」


 ハハッと父さんの乾いた笑い。

 ビルの横の自販機に吸い込まれ、そこで缶コーヒーを二つ買うと、父さんは僕に微糖の方を「飲め」と渡してきた。

 温かい缶コーヒーは寧ろ飲むより触っていたい気持ちだったけれど、父さんがプシュッと無糖のコーヒーを飲んでいるのを見ると急に飲みたくなって、結局進められるまま缶を開けた。

 コーヒーの甘い匂いが鼻を通って気分が落ち着いたし、しかも身体も温まった。寒い日はこれに限る。


「干渉は、もう出来ない。魔法も使えなくなった」


 飲み干した缶をゴミ箱に押し込んで、父さんはボソリと言った。


「全然使えない?」

「使えない。前は使えていた魔法が、一切使えなくなった。何度か干渉も試みたが、ダメだった。息するように使っていたのにな」


 一気飲みした缶を捨て、自販機の明かりに照らされた父さんの顔を見た。

 輪郭が少し変わっている。だいぶ、痩けた。


「――あいつ、父さんには何て言ってた?」

「あいつ?」

「光の中の」

「あぁ……それか。まぁ、アレだ。お前を育てた礼をされて、救世主とはなんたるかを聞いた。あとは……お前の処遇をどうするかの選択だな」


「救世主とは? 何それ」

「彼が言うにはな……、救世主が救うのは、二つの世界じゃなかったらしい」

「どういうこと?」


 再び裏通りを歩きながら、父さんは話を続けた。


「救世主は、白い竜を救うために存在したらしい。そこが、根本的に違ったんだ」

「白い竜を……救う?」

 

「彷徨える白い竜を救ってやりたかったと、彼は話していた。暴走を止めるために初めは力を重視し、金色竜と同化して戦う男を救世主にした。が……、白い竜は救世主の身体を自分のものにして、凶悪になるばかりだった。次は優しさを求め、白い竜の苦しみを理解出来る男を救世主にした。しかし、タイミング悪く三つは揃わず、しかも救世主はその優しさから、白い竜と同化してしまった。白い竜を救うどころか白い竜そのものになってしまったから、来澄は救世主から外れたんだ」


 なるほどね、と僕は頷いた。

 人が少ないのをいいことに、父さんは何でもかんでも吐き出した。

 実際、僕らのこんな話、気に留めている人なんかいなかった。


「凌は自分が父さんを救世主に仕立て上げたと思ってたらしいけど、どうだったのかな」

「来澄の意思か、神の意思か」

「前のドレグ・ルゴラが……ゼンが父さんを見つけたのも、偶然なのか分かんなくなる」

「神は、偶然すら操る。そう思う」


 父さんの吐き出した白い息が、冷たい外気に溶けていった。


「誰かの夢の中で弄ばれていたような感覚だ。大河はどうだ?」

「どうかな。僕はまだ魔法が使えてるし、竜になろうと思えばいつでもなれる。それに、今もこうして二つの世界を行き来できてるから……何とも」

「なるほどな。やっぱりお前と私は立場が違う」

「何だよその言い方」


「私は役目を終えたんだ。白い竜は愛されることを知って、幸せになりたい、大切な者を悲しませたくない、守りたいと思うようになった。自分の我が儘で力を暴走させたり、壊したりしない。それが、神の望みであり、お前はそれに達した。もう……可哀想な彷徨える白い竜はどこにもいない。自分の手で幸せを掴む力を持ったお前を、もう私が守る必要なんてないんだよ」


 そう話す父さんの声は、どこか悲しそうで。だけど、雪の止んだ冬の空に煌めく星々のように、どこか、澄んでいた。

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