8. 帰る

 踏ん切りと心の整理が付かなくて、しばらく他人との接触を絶った。

 リサは差し入れを持って足繁く通って 来たけれど、要らないと断った。そんなの、具現化させて食えばいいから困らなかった。

 シスター長のイザベラも一度顔を見に来たけれど、僕は無視した。


 自分の立場というか存在意義というか、神の子、神の化身、偉大なるレグルノーラの竜ドレグ・ルゴラ……どう呼ばれても構わなかったけれど、どれも僕ではない気がした。

 そもそも僕を何かと定義付けるのが間違っている。

 僕は僕だ。

 どんなに強い力を手に入れても、人間じゃなくても、前と全然変わらない。……そう、思いたかった。


 何日も何日も、僕はベッドの上から動かなかった。

 完全な引きこもりだった。


 途中、ウォルターが男性を数人引き連れて地下に降りてきて、工事の打ち合わせをしていた。ドレグ・ルゴラの脅威もなくなったことだし、教会に強固な結界を張り続けている祈りの館が不要になるとかで、業者を呼んだらしい。

 ここをこのまま僕とリサの居所にしたらどうかと、教会の上の方に打診してくれているとか何とか。

 まぁ、僕は、どう考えても普通の人間みたいに家を借りたり買ったりは出来ないだろう。森の竜グリンとエンジみたいに森で擬似的な人間生活みたいのも性には合わなさそうだった。だから、ありがたいっちゃありがたいんだけど、僕に相談もなしにそんなこと。


 ――この世界で生きてくってことが、そもそも全然想像出来なかった。

 僕はずっとずっと、どうやったら死ねるか、どういうシナリオなら躊躇なく殺して貰えるのか……そういうことばっか考えていた。

 急に生きろと言われても、どういう意味に捉えていいのか、理解出来ない。


 生きるって何だよ。

 やりたいこと……? 知らない。

 シバみたいに異世界で冒険したいとか……ない。

 ジークみたいに二つの世界を股に掛けて成り上がるとか……無理だな。

 僕に残されたのは、人間でも竜でもない身体だけだ。


 悩んで悩んで、悩んで悩んで悩みまくって……結局、僕の口から出たのは、


「帰りたい」


 その、一言だった。






 *






 干渉すれば良いなんて、リサは簡単に言ったけれど、それはそれで凄くハードルが高かった。

 目を瞑って、行きたいと願うだけ。

 なのに、人間ですらない僕があの場所に戻っていいのか、また暴れないか、おかしくならないか、人間を襲わないか、そればかり考えている。


 どう考えても僕は異質だ。

 どちらの世界でも。


 僕はやっぱり消えたら良かった。そしたら何も考えずに済んだのに、帰りたいと思い始めたら最後、その想いがどんどん大きくなって、僕を蝕んでいく。


 また、しばらく悩んだ。

 何日も何日も何日も悩んだ。

 どれくらい悩んだか分からないくらい悩んで、泣き腫らして、頭の中が空っぽになった。


「……帰らなくちゃ。僕はやっぱり、リアレイトで生きたい」


 ベッドの降り方すら忘れるくらいずっとずっと丸まって、誰とも会わずに考えて考えて、結局そこに行き着いた。

 明かりも付けず、風呂にも入らず、食うものも食わず、冬眠したみたいだった僕は、ようやくのっそり重い身体を持ち上げた。

 あばらが浮き上がって、顔も相当げっそりしていた。

 長い白髪は薄汚れてボサボサだった。


「きったねぇな……」


 言いながら僕はようやっと、何十日か振りにシャワーを浴びに行った。






 *






 一度湧き上がった衝動は、なかなか消せない。

 誰にも言わず、黙々と身支度を調えた。

 すっかり汗と涙の染みたベッドの縁に腰掛けて、僕はふぅとゆっくり息を吐く。

 目を閉じて、精神を落ち着けて、あとは地面に吸い込まれる感覚を思い出していく。


 沈め、沈め。


 ――ズンッと一気に身体が地面の中に吸い込まれたような浮遊感。

 久々の感覚に、僕はウッと身構える。

 大丈夫、僕はちゃんと――……。











………‥‥‥・・・・・━━━━━■□











 ガクッと膝から崩れ落ちて、地面に付いたズボンが濡れた。慌てて付いた左手に地面の冷たさが伝って、驚いて姿勢を崩して、右手も地面にびちゃっと付いた。


「雪だ」


 濡れた草の上に、白いものがあった。

 膝を付いたまま上を見上げると、曇天からチラチラ落ちてきた雪が、僕の顔に触れた。

 吐き出した息が視界を白く覆って消えて行く。

 すっくと伸びた桜の枝には、雪が少しだけ積もっていた。


 ガチャンッと大きな音がして振り向くと、自転車の籠から買ってきたばかりの食材が転げ落ちている。葉物野菜と、肉と、牛乳と……卵のパックからは黄色いものがはみ出して見えた。


「大河」


 呼ばれて僕は、ゆっくりと立ち上がった。


「ただいま。腹減った。何か食いたい」


 言われた方は少しの間、何が起きているのか理解出来なかったみたいで、何分か、硬直した。

 冷たい風が頬を撫でて、僕の長い白髪を揺らす。

 転げた車輪の音がようやく止まった。


「待ってて。今、何か作るから」


 母さんの顔は、涙でぐちょぐちょだった。






 *






「帰るなら帰るって言ってくれれば準備したのに~! ほんっと、あんたってば、いっつも気まぐれなんだから」

「ごめん。連絡手段がなくて」

「卵も全部割れちゃったし、ちゃんと手伝いなさいよ」

「うん」


 後頭部でまとめた髪を緩いお団子状態にして、髪ゴムで結ぶ。垂れてくる前髪を掻き上げながら、買ってきた食材を片付ける手伝いをして、それから母さんと台所に立った。

 引きこもりを満喫しすぎて季節感覚も時間感覚も一切なかったから、人間らしい生活が懐かしい。


「痩せたね。ご飯食べてないの?」

「食欲がなかった」

「いつから食べてないの? まさか二、三日食べてないとか?」

「覚えてない。もっと前……だったような」

「は……ハァ?! 餓死寸前じゃない。手伝いはいいから、その辺にあるもの食いなさい!!」

「じゃあ、手伝いながら食うよ」


 母さんは、嬉しそうだった。

 冷蔵庫の残り物を引っ張り出してレンジで温め、ご飯の上に載っけて無理矢理出してくるのを、僕は台所に立ったまま有り難く頬張った。肉じゃがの残りと、銀鮭。煮汁がご飯に染みて、それだけでほっぺたが落ちそうになる。


「うま。やっぱり、米は最高だね」

「冷凍室のご飯、チンして食べていいから。哲弥と二人だと、残しちゃうのよね。せっかくだから冷蔵庫の中途半端なおかず、食べちゃってよ」

「いいの? ありがとう。母さんのおかず、好き」


 好きと言われて喜ばない人はいない。例に漏れず、母さんも正直に喜ぶ方の人だ。


「哲弥に全部終わったって聞いて、私、直ぐに大河が帰ってくるもんだとばっかり思ってたのに。何かあったの? 帰れない理由とか」

「いや……それは、なんて言うか」


 まさか、死にたい消えたい、そんなことばっかりを、ひと月以上閉じこもりながら考えてたなんて、とても母さんには言えない訳で。

 箸を止めて、目を逸らす。


「僕が来たら……迷惑かなって」

「迷惑? どうして?」

「りゅ、竜……だから」


 今度は母さんが包丁の手を止めた。


「大河は大河じゃない。竜とか人間とか、そんなのどうだっていいよ。バカね」


 フッと笑う横顔に、僕は「うん」と小さく返事した。


「ところで大河。哲弥は最近、レグルノーラに干渉してる?」

「さぁ……。ここしばらく、誰とも会ってないから知らないけど」

「そっか……」


 包丁を動かしながら首を傾げる母さんに、僕は何だか嫌な予感がした。


「哲弥、もう干渉出来ないのかも」

「え?」

「干渉能力……消えてるのかも知れない」


 箸が急に進まなくなった。

 コンロの鍋から、ぐつぐつとお湯の煮える音が聞こえていた。

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