第4話【冷めた心。言葉の熱】

 フリッツが私に発した言葉は力強く、彼の身にまとう静かな情熱が電波を介して国際宇宙ステーションISSからここまで伝わってくるかのようだった。

 彼の祝辞が鼓膜を通じて自分の頭の内を巡る。思わずため息をつきたくなった。そして不意に出してまった言葉が、

「私の手柄ではないもの」

 すると、彼はHD画質の鮮明な通信画面の向こうで、

『そんなことはない』

 そう言ってやさしく首を横に振ってくれる。

『もっと胸を張るといい。君たちのチームの情熱と優秀さが、世界に証明されたんだ』

 と、言ってくれた。

『リナ。君は嬉しくないのか?』

 彼の率直な問いが、私の耳を突くように響く。

 端末のディスプレイは動画サイトを開いたまま静止していて、お互い無言になり、空間にはほんのわずかながら静けさが漂った。

 嬉しくないのか。……ううん、嬉しいに決まっている。

 でも、

「どうなんだろう」

 喉元で詰まっていた言葉がそのまま出てきてしまった。

『リナ……』

「嬉しい。うん、嬉しいんだと思うわ。ただ、あまりにも大きなプロジェクトだもの。携わっているスタッフだって大勢いる。私ひとりじゃないどころか、私はひとつの枝葉でしかないわ。まだあまり実感が沸いてないっていうか——」

 自分に言い聞かせるように言葉を並べていることを自覚している。

『主任研究員の君は十分にこの栄誉を受け取る資格がある』

「でも……」

『珍しく弱気じゃないか』

 ——だって。

「このニュー・フロンティア計画の『ロゼッタ』は、私が参加した時にはもう打ち上げ前の段階にあった。中核を担うエンジニアが投入されていて、たくさんの資金と長い時間が既に注ぎ込まれていた……。私はそうした彼らを熱意のおこぼれを、預かったに過ぎないもの」

 確かな夢を描き、夢の絵図を形にした者達の熱意の証を、私はそのまま受け取って、宇宙そらに飛ばす手伝いをしただけ。

 ——我が子、なんて調子のいいことを言いながら。

 でもそれは、私がやり遂げたものだと言えた?

 私の力によるものかと言われれば、内心で俯いてしまう自分がいる。

 そしてなにより……。

『しかしだ、リナ』

 フリッツは、穏やかに熱を込めて言う。

『そうしてプロジェクトに加わり、引き継いで見事に宇宙そらへ送り出したのは君だ。そして小惑星に向かうまでの探査機の軌道を見守り、調整を続けたのも君だ。これが君の力でなくてなんなのか。そしてなにより君は、かつてこの計画を担っていた君の兄の意思を継いで——』

「ええ、そうね……」

 そう。この計画はもともと、私ではなく私の兄が心血を注ぎ続けていたもの。『ロゼッタ』。遠い宇宙の奥の奥。人類が繰り出せるところまで。過去数十億年の太陽系、そして地球の歴史を物語る記憶の欠片サンプルを拾いに行くプロジェクト。

「もうこの世にいない兄が、文字通り死ぬまで寄り添いつづけた計画を、私はそっくりそのまま貰い受けて宇宙そらに送り出しただけ」

『リナ。君は疲れているようだ。無理もないことだが』

 私は彼の言葉を受け止めて頷く。

「そうみたいね。だからね、フリッツ。こうして探査機が宇宙に行ってしまって、肩の力が抜けちゃって、ふと思ってしまったのよ。本当に宇宙そらに行きたかったのは、私ではなくて兄で、宇宙探査機我が子宇宙そらく様を見守っていたかったのも兄で、接地タッチダウンに立ち会う日を夢見たのも、私ではなく兄だった」

 ——私は、届けたかっただけ。なのに、その兄は先に逝ってしまった。


 さっきまでの外から差し入っていた光は消え、ブラインドの奥から夜の冷ややかな空気が漂いはじめるのを感じた。

 画面越しで私の愚痴じみた独白を聞き通してくれたフリッツは、一言だけ、耳元に添えるように言う。

『我が友のマットにも、きっと届いている』

「……フリッツ」

『少なくとも、私はそう信じているよ』

 その言葉がたとえ綺麗ごとでも、お為ごかしでも、真偽を問えないことだとしても、フリッツの言葉には芯が通っていた。温かい言葉だった。

「——我が友。あなたはまだそう言ってくれるのね」

『リナ?』

「ううん」

 そっと首を横に振った。自分の唇の端、口角が柔らかく上がるのが自分でもわかる。

「ありがとうね、フリッツ」

 そう返すと彼は嬉しそうにして、宇宙の仮宿からこう提案してきた。

『リナ。ところで今度地球に降りたとき、君とふたりで行きたいレストランがあるんだが——』

 途端に照れ出す彼の仕草がなんだかおかしくて、ふふっと笑みがこぼれる。

「ごめんなさいね、フリッツ。今は疲れているから、その話はふたりの今後の楽しみにして、またゆっくり話しましょう」

『あ、ああ。そうか……。わかった。おやすみ』

「ええ、おやすみ」

 通話を切る。

 部屋にふたたび漂いだした静けさを認識し、なにげなく左手を天井にかざした。薬指がちょうど真上を向く。この天井を貫き、夜の暗闇に包まれた空を進み、成層圏を越えオーロラを駆け抜けた先に、国際宇宙ステーションISSはある。

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そらに夢見る者達の言葉 ななくさつゆり @Tuyuri_N

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