第5話「犬、踏まれる」



 こちらを観察するように目を細めながら、ユエは竜の絵柄を見せつける。


「……相手に種族を聞くのはマナー違反だぞ?」 

「あら、答えたくないのですか?」


 かつての戦争は種族の違いから勃発した。

 ゆえに昨今の教育では、早いうちにそういったマナーも叩き込まれる。無用な差別意識をなくすために。

 まあ俺の場合は……


「言えない、が正解だ。"言い付け"でな」

「……会長の、ですか。お利口なワンちゃんですこと」

「ああ、飼い主(仮)の命令は絶対だ」

「どうしたら教えてくれます?」

「それは、俺の首に首輪をかけてからのお楽しみだな」

「……へえ、飼い主を試そうと、そう言うのですね?」

「俺は誇り高きマゾだからな、飼い主は選ぶ」

「――面白い」


 こちらの挑発するような言葉に、ユエは楽しそうに唇を歪める。

 俺は可愛い女の子に尻尾は振るが、腹を見せるのは飼い主と認めた者だけなのだ。

 ……本命の彼女には、フラれっぱなしだけどな。


「……なあこれオレはどういう気持ちで見てればええんや?」

「ジュウベエは黙ってて!」

「今いいところなんだよ、カッコつけてただろ!」

「オレの知ってるカッコよさとちゃう……」


 マゾたる者、常に新しさに目を向けよ。

 そこには、感じたことのない未知なる快感が広がっているのかもしれないのだから。


「ジュウベエはマゾとしてまだまだだな」

「行きたないわー、その新天地……」

「新たな快楽の海へ漕ぎ出せよ!」

「海賊やんけ……」


 マゾの素質のないジュウベエに肩を竦め、ベッドから下りる。そんな俺を、ユエが試すように眉を上げて見つめていた。


「さて、それではどうすればいいのでしょうか?」


 ……どうすれば、か。なるほど。


「……そうだな、やはり俺のことを『犬』と呼んでみてくれないか?」

「――犬」

「んー、マァーベラス……」

「きんもいなー、お前……」


 間髪入れない『犬』にゾクリとする。やはり可愛い女の子に蔑まれながら呼ばれる『犬』はいいものだ。今朝の女の子は言ってくれなかったからなあ。

 その点、ユエは高得点だ。高慢な態度を隠しもせず、その目を見下すように冷たく細めている。ニーズをよく分かっている。

 細身であるのに纏うオーラは人一倍。そのアンバランスさも、どこかニッチでたまらん。


「くす、これでいいのかしら?」

「くっ、はあ……はあ……ユエ、なかなかいいものを持っているじゃないか」


 俺はまるで戦いの最中にいるかのように激しく息をつく。

 効いたぜ、お前の罵倒……!


「だが、まだまだこれからだ!」

「ふ、いいですよ。かかってきなさい」

「なあこれ何の戦いなんや?」


 性癖を賭けた戦いだ!


「――じゃあ次は俺を踏んでくれ」

「え、きゃっ……」


 俺がガバッと制服のシャツを脱いで床に四つん這いとなれば、ユエは頬を赤くしスカートをパッと押さえる。黒ストに覆われた細いあんよが、もじりと恥じらうように動いた。


「ど、どうして脱ぐのですかっ?」

「家に入る時は靴を脱ぐだろう、そういうことだ」

「え、どういうことです……?」


 そんな問答をする俺達を見て、しかし傍らに立っていたジュウベエが色めき立つ。


「おっと、うちのお嬢にセクハラしようもんなら――」

「――動くな、俺はマゾだ」

「!?」


 俺の奇行に職務として刀を抜こうとするジュウベエに、先んじてそう告げる。

 俺の言葉の、この意味が分かるか?


「いいのか? お前が斬っても、俺を気持ちよくさせるだけだ」

「くっ……!」


 暴力なんざ俺にとっては脅しにすらならん。


 理解したか?

 これが、マゾを相手にするということだ。


「お前ただ踏まれたいだけなんとちゃうか……」

「これも大事なステップだ。飼い主とは常に上に立つ者。その生において、必ず他人を足蹴にせねばならん時が来る。その覚悟を、俺は問うているのだ」

「嘘つけ」


 ホントですぅー。


「どうしたユエ、出来ないのか? お前の覚悟はその程度か!」

「――くっ、バカにしないでください!」

「四つん這いで半裸の男にそんなん言われたらそらバカにされてるわな」


 うるさいジュウベエ。


「ふ、踏みますよ……」

「ああ、好きなところを踏め」


 四つん這いで待機する俺に近付き、ユエは俺の視線にスカートを押さえつつ逡巡する。

 そうしてしばらく目を泳がせた後に……


「え、えいっ」

「……ほう」


 外気に晒されたちょうど腰辺りを、靴を脱いだ柔らかい足でグニッと踏む。

 半裸の男の腰を踏みながら、ユエはどこか勝ち誇った笑みを浮かべた。


「ど、どうですかレイド、屈辱でしょう?」

「まあ待て。あともう少し強く」

「あ、はい……」


 ぐに、ぐに、と。

 二度三度、露になった腰を強く踏まれる。タイツ越しに味わう彼女の足はスベスベしており、時折刺すような痛みも伴ってお得感が素晴らしい。


「さ、さあレイド。私の犬になりたいでしょうっ?」

「お嬢、もう迷ってへんか?」


 ジュウベエは冷や汗を流すが、ユエはどこか自棄になったかのようにそう言葉を紡ぐ。

 そんな彼女に、俺は――


「――優しいんだな、ユエは」

「…………は?」

「……ほーん」


 そう、言葉をかけた。

 今なお腰を踏み続ける、彼女に。


「わ、私が? こ、この誇りあるシキノミヤ次期当主に向かって何を――」

「そもそも!!」

「っ!?」


 一瞬の戸惑いから、すぐに憤慨した様子で反論しようとするユエに鋭く言い放つ。


「俺は犬と言ったはずだ」

「え、ええ」

「犬に『どうすればいいですか?』などとお伺いを立てる飼い主などいない!」

「!?」


 ユエが目を見開く。


「俺が『飼い主を選ぶ』と言った時、お前は俺に伺いを立てるのではなく、その瞬間から容赦なく犬と呼び足蹴にすべきだったのだ!」

「そ、そんな……!」


 わなわなとユエが震える。

 そうとも……自分の犬にしようとする者に、何かを選ばせる権利を与えるな!!


「俺が四つん這いになった時、スカートを押さえたな。いいか、犬に恥じらいを持つな。むしろ自分の下着をイヤらしく見た犬に追加の罰を与えるくらいの気概を持て!」

「くっ……!」


 俺の腰から足を下ろしたユエは、ギュッと悔しそうに制服のスカートを握りしめる。


「踏み方もなっていない! なんだあの弱々しい踏み方は、マッサージかと思ったぞ! 骨折するくらいの勢いでいけ!」

「虐待やんけ……」

「何のために治療魔法があると思ってる!」

「事故った人のためやろなあ……」

「俺みたいな犬のために、医療は発達したのだ」

「医者に謝れ」


 いいや、俺は感謝する。

 おかげ様でいろいろ無茶を通させていただきました。


「く、好きに言わせておけば!」

「――ユエ、お前は痛みを知っているな?」

「なっ!?」


 俺の指摘に、ユエはビクリと肩を跳ね上げた。


「強気な態度、高飛車な言葉……しかしどこか相手を慮るその仕草」

「――」


 じわり、と。

 ユエの白い肌に汗が浮かんでいくのが見えた。


「……仮面、だな」

「なんっ」

「おそらく、昔苛められていたクチなのだろう。原因は……そのオッドアイ。そして俺を踏むときに見せたどこか猫が甘える時のように足踏みする仕草。それで大方予想もつく」

「あ、あなたっ」

「なんらかの獣人系のハーフ……いや、ジュウベエは普通だから過去に取り入れた血の発現といったところか。平和な世で差別意識を無くす教育も進んでいるとはいえ、子どもは残酷だからな」


 俺達くらいの年齢になればそれなりに分別がつくだろうが、小さい子だとどうしても難しい部分もある。


「そうしてその境遇に負けじと強気な態度を身に付けていき、魔法の才能に開花したことで次期当主という地位まで登り詰めた。占いの魔法と言えば聞こえはいいが、精度が高ければそれは未来予知と変わらないからな。使いこなせるようになってからは楽だっただろう」


 とはいえ、それはそれで悪い大人達に利用されてしまいそうだが……だからこその、このような遠方への入学。だからこその、唯一信用できる双子の兄の護衛なのだ。

 そして、俺の力を求める理由もそれだろう。


「お前は傲慢な少女じゃない。周囲を見返し自信を溢れさせようと、他人の痛みを知るがゆえどこか踏み切れない、強がりで心優しい少女だ」

「――」


 弱い自分を自覚し、自分か兄のためにより強い力を求める聡い少女。最初から強大な力を持っていると知られれば、相手が襲ってくることも返り討ちにして傷付けることもない。


「……俺の飼い主になるには優しすぎる」


 俺は立ち上がり、すれ違い様にポンとユエの頭に手を置く。

 真っ赤になり涙目でこちらを睨むその姿は、先程より年相応に見えた。


「――まあ、そこそこいいプレイだったぜ?」


 そう言い残して、俺は医務室を後にする。


 ……会いに行かなくては、ならない人がいるからな。




「……」

「……」


 レイドが退出した後、沈黙がシキノミヤ双子を支配する。


(……まさかユエの性格を見抜くとはな)


 彼が出ていった扉に目をやりながら、ジュウベエは意外そうに心中でそう呟く。


(ただの変態や思てたけど)


 まあ変態なんだけども。

 しかし、自分しか知らぬ妹の姿をつまびらかにしたのは事実として認めなくてはならない。変態なんどけども。


「……けったいなやっちゃ」


 まあええ、とジュウベエは肩を竦める。

 レイドがいなくても、妹の身は己で守る。そのための武装型魔道具。そのために修めた魔法なのだから。


(妹を傷付けたら、あの鬼の師匠にも申し訳が立たんしなあ……)


 ブルッと震え、切り替えるように首を振る。


「ほら、お嬢? それこそ犬に噛まれた思て、元気だし――」

「トゥンク……」

「うせやろ?」


 先程から俯いていたユエに、慰めるように声をかけたジュウベエが凍り付く。

 顔を上げたユエ。そんな彼女の瞳は潤み、キュンと痛そうに胸を押さえてレイドの出ていった扉を見ていたのだった。


「男の子に、見透かされた……」

「お、お嬢?」

「今まで誰にも、見抜かれたことなかったのに……」


 ブツブツとした呟きに、ジュウベエは頬を引くつかせていると……


「!」


 バッと、ユエは勢いよくレイドが出ていった扉を指差した。


「――お兄ちゃん! アレ、欲しい!」

「ユーちゃん、クラスメイトをアレって言うたらダメやていつも兄ちゃん言うてるでしょー」

「欲ーしーいー!!」


 ユエはお餅のようにプクっと頬を膨らませ、ダンダンと地団駄を踏む。まるで店先で玩具をねだる子どものようであった。


「兄ちゃん困らせんといてーな、ユーちゃん」

「やだやだやだ欲ーしーいー!!」


 長い黒髪を振り乱す妹の駄々っ子化に、ジュウベエは困ったように頭をかく。

 占いの魔法に目覚めてから、ユエは欲しいものは必ず手に入れてきたのだ。こんなに感情を表に出すユエを見るのは、ジュウベエも久しぶりのことであった。


「ほらユーちゃん、お耳出てるで」

「ふにゃっ!?」


 パッと、ユエが隠すように頭頂部に手をやる。

 そこには、ピコピコと動く黒い猫の耳が生えていた。


 レイドの推察通り、シキノミヤ家は過去に獣人――ヒノクニでいう妖怪の血を取り入れた家系である。その血がこうして覚醒するのは数百年振りのこと。

 まだ制御が甘く、興奮したりするとこうして出てしまうのであった。


「とりあえず落ち着き」

「ぐすっ、レイド・ハオール……!」

「はいはいお鼻チーンしてなチーン」

「ズビビー」


 兄の出す手拭いで鼻を噛み、ユエはレイドの残影を追うようにキッと視線を鋭くする。

 そうして宣言するように、声高に言葉を言い放った!


「必ずあなたを、私のものにしてみせますからね……!」

「兄ちゃんイヤやー、あんな変態……でもまあ今回ばかりは相手が悪いでお嬢」

「なんで」

「蹴るな蹴るな。なんせ相手は一年生でこの名門校の生徒会長にまで登り詰めた、ジェイルニール家の天才ご息女様や」

「私だって久方ぶりに血に目覚めた、シキノミヤの次期当主です!」

「そもそもレイドは会長さんに首ったけみたいやし、今会いに行ったんやろ。"よっぽどのこと"がない限り正式に犬になってルンルンで帰ってくるやろやなあ」

「むうぅぅぅぅぅううう~……!!」

「叩くな叩くな」


 頬を膨らませるユエの唸り声と苦笑するジュウベエの声が、夕暮れ染まる医務室に木霊するのだった……。


 そしてその予想は、意外な形で裏切られることとなる。

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