第7話「犬、選択を迫られる」



 何が、起こっている……?


「れ、れーくん、これは! そのっ!」


 俺の目の前には、かつて数々の暴力と理不尽をその御手自ら味わわせてくださった至高の飼い主(仮)……シンシア様が座しておられる。


 だがその身を飾る物が、あまりに似つかわしくない。


「まさか、敵か!? おのれ俺の飼い主(仮)に許せねえ……シンシア様! 今こそ俺を"飼い慣ら――」

「か、"解除"! ……あはは、久しぶり。れ、レイド」


 焦ったような彼女の言葉と共に、ゴトリと重い音を立てて彼女の手を縛っていた拘束具が外れる。

 その手でシュルリと目隠しを取れば、入学式の時に見た紅玉の瞳が照れくさそうに細められていた。


 なっ、敵襲じゃ、ない……?


 色めき立ち、右手に巻かれた首輪を解き放とうとしたところで俺は静止する。


 どういう、ことだ……?


 なぜ彼女は拘束されていた? なぜその拘束が自分で解ける? それとも俺が知らないだけで名門の生徒会にはそういった業務が――?


「む……私は久しぶりって言ったんだけど?」

「はっ!」


 頭が真っ白になっていたところ、彼女の噛み砕くような言い方で意識を無理矢理こちらに引き戻される。


 ああでも、今の言葉で少し安心した。


 このニッコリとした笑顔の裏と、甘い声色に見え隠れする威圧感と強制力。間違いなく昔から俺が知る彼女の気質に相違ない。


「い、いや、ごめん。上手く状況を飲み込めなかったから……久しぶり、シンシア様」

「うん、でも減点。二人きりの時は」

「――シア姉」

「ふふ、よろしい」


 いつの間にか立ち上がり、こちらに近寄ってきていたシア姉は俺の言葉に満足げに頷いた。

 拾われた身である俺に、彼女はこうして家族のように接することを許してくれる。

 そして――


「よいしょ」

「おっと」


 上質なカーペットの敷かれた生徒会室。

 俺達が立つその中央。椅子も何もない空間に、彼女はなんでもないように腰を下ろそうとする。


「一年かあ、あっという間だね」

「俺は長かったよ」


 言いながら、俺は彼女のお尻がちょうどいい高さにくるよう四つん這いになって残像が見えるほど素早く滑り込み、その柔らかさを腰で受け止めた。


 ――二人きりの時は姉と呼び、俺が椅子になる。


 それは俺達が幼少の頃に交わした、照れくさくなるような甘酸っぱい約束。


 一年会わなくても、覚えていてくれたんだな……。


 別れる前は少し疎遠気味だった彼女だけど、一年会わない内に何か心境の変化があったのかもしれない。


「シア姉、少し痩せた?」

「……そうかも。いっぱい、考え事があったから」


 パタパタと、ニーソに包まれたスラッとした足が視界の端で遊ぶように揺れる。

 彼女はスタイルも抜群にいい。出るとこは出て、引っ込むところはキュッと引っ込んでいる。

 お尻はもう少し小さい方がいい、と愚痴を溢していたのが懐かしい。今、腰に押し付けられるそれは、足を動かす度にぐにぐにと形を変えていた。


 ……妙に感触が生々しいが、久しぶりで俺の感覚も鋭敏になっているのだろう。


「痩せはしたけど、お尻はスクスクと成長している、と」

「うるさいっ」


 俺が冗談めかして言えば、ムッとして脇腹をゲシゲシと蹴る。懐かしい痛みに涙が零れそうだ。


「うーん……」


 しかし。

 彼女から送られる甘い刺激に微笑んでいると、なにやら彼女は悩ましげな声をあげる。

 いまだスルーしているが、やはり先程の痴態と何か関係が……?


「よっと……えい」

「おうふっ」


 見事な銀髪ストレートを翻らせ、彼女は俺の上から勢いをつけて立ち上がると(背骨がミシっとなって素晴らしい)、靴を脱ぎ脈絡もなく俺の頭を踏んで柔らかいカーペットにグリグリと押し付ける。


 ああ、これだ!

 この、俺の確認すら取らない脈絡のなさ!

 特に理由のない唐突な刺激! たまらねえ!


 巷ではよく"加減を弁えたプレイを"、などと聞くが俺にとっては糞喰らえだ。


 そんなバブちゃんのごっこ遊びで満足できるほど、俺の器は小さくねえ。伊達や酔狂でマゾをしているわけではない。マゾは遊びじゃねえんだ!!


 ご主人様の理不尽な要望を全て受け入れ、そして俺も気持ちよくならなくては、俺だけでなく飼い主の器量も疑われるというものだ。誇り高き犬として、飼い主に恥をかかせるわけにはいかないのだ!

 飼い主を立てて気持ちよくさせ、そして俺も気持ちよくなる。それこそが完璧な主従の在り方!


 たまにこの世界に迷い混む"転移者"も、こんな言葉を残している。


 ――エムエムレバサバクタニ神はマゾを見捨てても

   マゾ思うゆえにマゾ在りマゾ道を信じ抜けば気持ちよくなれる、と。


 いいこと言う。あいつら魔獣に喰われてすぐ死ぬけど。いっつも危険なダンジョンの奥とかに転移してくるんだよな。よほど元の世界で悪いことをしたのだろう。

 俗に俺達はステタスオプン族って呼んでる。なんかあいつらそう叫びながら死ぬんだよな。多分、栄光在れとか、そんな意味じゃないか。知らんけど。


「……やっぱり、違う」


 先程のユエでは味わえなかった理不尽に感銘を覚え己のマゾ道を確認していると、なにやらシア姉は確かめるように小さく呟く。

 どうしたのか。違うとは……?


「ねえレイド、私にこうされて嬉しい?」

「もちろんだ。地に近ければ近いほど、見上げた月は美しく輝く」


 満面の笑みでノータイムで答える。こればかりは俺の性癖だ。

 だが……昔から当然がごとく楽しげに俺を犬扱いし、俺も気持ちよく受け入れていた間柄で、改めてそう聞かれるのは初めてだった。


「……そっか。ねえ、さっきのこと、なんだけど」

「あ、ああ」


 疑問に眉を寄せていると、彼女は自らその話題に踏み込む。

 そんな彼女に、なんだか妙な胸騒ぎを覚えた俺は口早に言葉を並べ立てた。どこか虚しく響く言葉を。


「あ、さては俺のために買っておいてくれたんだな?」

「……ううん」

「危険がないか試着までしてくれてたんだろう、なんて優しい飼い主(仮)なんだ」

「……違うの」

「そ、そうじゃなきゃ、あのシンシア様があんなこと――」

「違うの!!」


 鋭い声に、踏まれたまま顔を上げられない。


「……私ね、目覚めちゃったの」


 な、に……?


「それは、どういう……」

「……君が、初めて魔道具を出した日、覚えてる?」


 もちろんだ。

 あれこそ俺の最も忌まわしき記憶。

 大切な女の子を傷付け、自分の魔法が嫌いになった日だ。


「あの時、君にねだって奴隷魔法をかけてもらって……気付いたの」


 そう。

 ほんの興味本位で、俺は彼女に乞われるまま魔法をかけた。

 彼女はその感覚がショックで、涙すら流し――


「――ああ、私も"そっち"だったんだって」

「え……」


 その言葉に、理解が追い付かない。

 そっち……? 商人の家に年季奉公する子ども? それは丁稚。


「魔法の素質に目覚めてから、習い事や両親の期待が重くてずっと君に当たってた。君も嬉しそうに受け入れてくれるからそれに甘えて……その時は気分が晴れたけどすぐに雲って、また君に当たって……」


 だんだん熱が籠り早口になっていく声。

 堰を切ったように、彼女の口から言葉が流れ出す。


「だけどね! 君に奴隷魔法をかけられた時……」


 コクリと、彼女が小さい喉を鳴らす。


「――すっごく、気持ちよかったの」

「!?」


 陶然とした響き。

 頭を踏む足裏からすら甘い香りが漂いそうな音色。


「満ち足りた気分だった。まだ魔道具も、適正も判明してない私が……本当の自分になれた気がした」


 そっと……彼女は自分の指に嵌められた指輪を撫でる。

 その、彼女の“魔道具ということになっている”銀色に輝く、俺が昔贈った指輪を。


「あの時は自分でも理解できなくて、泣いちゃって、君とも恥ずかしくてあんまりおしゃべりできなくて……でもね!」


 待ってくれ。

 そんな……バカな……。


「……君が私を追いかけてきてくれたら、言うって決めてたの」


 それでは俺の存在意義が。

 拾ってくれた感謝と、傷付けた謝罪として、俺は……彼女の犬に――


「ねえ、れーくん……今までごめんね。痛かったよね? でも大丈夫。これからは――」

「ま、待ってくれ!!」

「きゃっ」


 俺は初めて、彼女の可愛らしい足を振り払った。誇り高きマゾであるこの俺が。


 ズキリと胸が痛むが、これ以上は!


 焦燥感に駆られ、顔を勢いよく上げる。


「シア姉、そんなこと――なっ!?」

「あ……み、見た?」


 だが、顔を上げた瞬間、信じられないような光景が俺の網膜を焼いた。

 彼女の美しく伸びる、ニーソに包まれた長い足。

 その白くむっちりとした太ももから続く付け根あたり……おそらく学院中の男子達が夢想しているだろう黒いスカートの中身。

 俺はだらだらと汗を流しながら、その白磁の肌を朱に染め、もじもじとする女の子に問う。


「ひ、一つ聞いていいですかジェイルニール様」

「う、うん。でもその呼び方なに?」

「――お、おパンツは、どうされたのですか?」

「……入学式の時もね、こうだったんだよ?」


 ない。

 あるはずのものが、ない。

 チラッとしか見えなかったが……彼女の大事な部分を守るはずの薄い布が、ないのだ。あっ、バカには見えない魔法のパンツだったのかな?


「イケナイことだって分かってるんだけど……こういう行事の時に穿かないの、癖になっちゃって」

「うそやん」

「あ、ヒノクニの友達でもできた?」


 俺の飼い主(仮)が、はにかんだ笑みを浮かべてそんなことを言っている。


「なんで?」

「ん? ストレス発散」

「そんな……と、友達も、話題の会長だって。きっといい志を持った立派な女の子なのだろうって……!」

「んっ……! ふふ、言葉責め?」


 俺が攻め!?


「そうだよ。私は澄ました顔して、壇上で下着も穿かずにドキドキしちゃう女の子なの。それに気付かせてくれたのは、れーくんなんだよ?」

「へ、変態様……!?」

「君に言われたくないなー」


 俺じゃなくても言うわ。


「今までは一人でできるようなことで済ませてたけど……ほら、こっち来て?」


 彼女に手を引かれながらも、俺の思考は全くと言っていいほど働かない。


「見て見て。最近の通販ってすごいよね。こっちはヒノクニだけで取れるヒヒイロカネで作った手錠で、この目隠しってアリアドネの糸でできてるんだよ?」

「すげえとこに金使うじゃん……」

「私、こういうところ凝り性みたい」

「もっと凝るべきとこがあったんじゃねえかな……」

「魔法使いたるもの、己の道を駆け抜けなきゃね」

「式の言葉を台無しにしていくじゃん……」


 部屋の一番奥に設置された立派な机から、彼女はポイポイとおよそ学習に使わないであろう道具を得意気に解説しながら出す。

 そんな彼女に、俺は弱々しく突っ込むことしかできない。え、俺がツッコミ……? 俺がツッコミに回らざるを得ない!?


「……君をずっと待ってたんだ」


 ああ、俺もずっと待っていた。そのはずだ。


「……分かったでしょ? 私って、君達の入学式に下着も着けずに出ちゃう悪い子なの」


 君の、犬になる日を。


「だから――」


 蕩けるような声でそう囁き、彼女は一面ガラス張りになっている奥の壁に手を付く。そこからは、中庭や別棟の校舎がよく見えた。


「そんな悪い子に何をするべきか、君なら分かるでしょう……?」


 ジャラリと。

 俺の足元で鈍い光を放つ数々の道具。


「――おしおき、して?」

「――!?」


 短いスカートに覆われ、何も穿いておらず形がくっきり分かる丸みを帯びたお尻をこちらに向け……


「私を――君の犬にして?」


 飼い主となるべきだった少女は、潤んだ瞳で俺という犬にそう告げるのだった。


 う、嘘、だろ……!?

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