第8話「犬、ハラスメントを受ける」



 状況が詰んでいるのでは……!?


「ほら、れーくん。あのね、私こういうの人にしてもらうの初めてだから……徐々に強くしていってね?」


 いやいやいやいや!

 飼い主に牙を向けるなど、殺処分されても文句は言えない畜生の所業! 俺にだって犬としてのプライドがある!

 なんとか、この状況を回避しなくては――!


「し、シア姉、それはできない。ほら、ゲイル様にもシャロン様にも『シンシアをよろしくね~♪』と言いつけられてるし!」

「ああ、お父様とお母様? もう、過保護なんだから……」


 窓ガラスに映るシア姉の顔は、疲れたような表情を浮かべている。

 先程、シア姉は「両親の期待が重かった」と言っていたが、別に両親がビシバシ厳しかったわけではない。むしろ逆だ。


 ――ひたすらに、ジェイルニール家の者達はシア姉を溺愛していた。


 だが……いや、だからこそと言うべきか。

 シア姉はその家の者の態度に遠慮のようなものを常に抱いていたのだった。優しい子なのだ、彼女は。


「何でもかんでも私を甘やかして……私をいい子だって決め付けて。そんなの、本当の私を見ようとしてないだけだよ……!」

「し、シア姉……あんまり動くと見える……!」


 家族に不満を抱くのはいいけれども!

 さっきから壁に手をつく彼女が動くたびに短いスカートがチラッチラッとして大きめのお尻が! フリフリと揺れる尻たぶがー!?


「れーくん、どう思う!?」

「柔らかそうだと思います」

「そう! 皆態度が柔らかすぎて、私が強く当たっちゃうと壊れちゃいそうで怖いの! ホントにズルい人達だよもう!」

「家族に強く当たった時のことを心配するよりまずこの状況を家族に見られたらどう思われるかを考えた方がいいんじゃねえかな……」

「え……なんだろう、もっとドキドキしてきた……」


 このお嬢様もうダメだー!


「はぁ……はぁ……んっ、ほられーくん……早くぅ」

「い、いや、だからそれはさすがに――」

「私が、やれって、言ってるの」


 切なそうな声から絶対零度の声へ。

 お尻を突き出した姿勢ながらも、こちらを振り向くその紅の瞳は怜悧に細められ王者の貫禄を見せつけている。


 なぁ~! このお嬢様SとM使い分けてきてすげえやりづらいんだけどー! どちら様ー!?


「そ、そもそもだシア姉。攻めを極度に嫌がる人に強要するのは、誇り高きドMとして物申したいというか……」

「知らない」


 すげえ誇りを四文字でかなぐり捨てるじゃん……。


「私も君を叩いたんだからさ、君も私を叩くべきだよね」

「マゾハラだ……」


 古き悪しき同調圧力じゃん……。

 俺は今、マゾハラを受けている……!


「ねえ、お願い。こんなこと頼めるの、れーくんだけなの……」

「うっ……」


 上目遣いは、ずるい……。

 ど、どうすればいい。

 確かに彼女の言う通り、こんなことを頼めるのは俺しかいないだろう。家の者はいい子の彼女しか知らず、おそらく学院でも彼女の仮面の内を見た者はいない。これでも名門校の生徒会長様なのだ。

 彼女はそうやって、内に溜め込む。こういう顔を見せるのは、昔から俺にだけだった。


「ほら、道具でも素手でもいいから……私のお尻におしおきしてみて? れーくん、お尻好きでしょ?」

「好きだけども!」


 幼馴染には好みも筒抜けだ。

 だが俺は女の子の尻に敷かれるのが好きなのであって、尻にお仕置きするのが好きなわけでは!


「……まだ? 冷えてきたんだけど」

「下着穿いてないからじゃん……」

「君が早く私にお仕置きしないからだよ」


 マゾヤクザだ……攻めの取り立てだ……。


「くっ……!」


 今俺の中では、飼い主(仮)の命令に従わねばという使命感と、飼い主(仮)に牙を向ける忌避感がない交ぜになってグルグルと渦巻いている。

 誇り高き犬として、女の子の手に噛みつくなど俺には――待て、噛む?


 ……そうか、それならまだ!


「オススメは鞭かなあ。あ、それもね! ミノタウロスの革で――」

「いや、道具はいらない。失礼」

「ひゃっ、れーくん!?」


 覚悟を決めた俺は、そう言って彼女の傍らに跪く。

 そうしてゆっくりと、彼女のスラリと伸びる足に手を這わせた。


「な、なにっ? んっ……!」


 柔らかい。

 肉付きのいい太ももはしっとりと汗ばみ、吸い付くような弾力を指に伝える。顔を寄せれば、どこか甘酸っぱい汗の香りが鼻を刺激した。


「あ、あっ……!」

「シア姉……」


 真っ赤になってシア姉は手で自分の口を押さえる。目の前では仄かに色づいた太ももが恥じらうようにすりすりと擦り寄せられていた。

 その動きに合わせ、まるでこちらを誘惑するかのように短いスカートが揺れており、チラリチラリとその奥に隠すべき柔肌が視界の端に映ってしまっていた。


「あっ、れーくん、れーくぅん……!」

「はぁ……はぁ……!」


 あまりの刺激的な光景に、息が切れる。頭がクラクラする。初めて見る彼女の痴態に心臓が破裂しそうだ。

 俺の息が当たってくすぐったいのか、時折ビクッビクッと身体を痙攣させる彼女。その彼女の足の付け根に、俺はゆっくりと顔を近付けていく……。


「あ、ああ……!」


 その声は期待か、それとも恐怖を孕んでいるのか。

 今まで聞いたこともなかった彼女の声に血流を刺激されながら、俺は彼女のお尻の形をクッキリと浮き立たせる黒いスカートをチラリとめくり……、


「――カプリ」

「んぅっ!?」


 そのプルっと揺れる尻たぶを。


 ――噛んだ。


「あっ、はぁ!……んうぅっ」


 初めは感触を確かめるようにして、そのまま続けて二度、三度と。甘えるように。

 そのたび、彼女は甘い声を上げガクガクと足を震わせた。


 そう……これは"甘噛み"。


 鞭では強すぎ、素手では俺の心が耐えられない。

 これであれば過剰に彼女を傷つけることのない上に、俺も奉仕の気分をギリギリ味わえる。

 飼い犬に許される唯一の優しい暴力。

 それがこの、"甘噛み"なのであった。


「――ぷはっ」

「はっ――くぅううううぅうんっ!」


 魅惑の柔らかさから口を離せば。

 彼女は全身を一際強く痙攣させた後、へたりと女の子座りでカーペットに沈む。

 一瞬見えた彼女の尻たぶには、ほんのりと俺の噛んだ痕が浮き出てしまっていた。


「はぁ……はぁ……!」


 こ、これならば……。

 まだ飼い犬が甘えたという大義名分ができる。確かに刺激を与えはしたが、これはお仕置きなどでは決して――


「はぁ、ん……」


 頭の中でごちゃごちゃと言い訳をしていれば。

 シア姉はおもむろにポケットから手鏡を取り出し、チラッとスカートをめくって俺の噛んだ痕を確かめる。


「ふ、ふふふ……」

「!?」


 彼女はそうしてうっとりと笑みを浮かべたが……その赤い瞳はどこか仄暗い。引きずり込まれそうな妖しい光を宿している。

 そして、ゆっくり……その濡れた唇から甘い吐息を漏らした。


「――初めて、おしおき……されちゃった」

「う、あ……!」


 ゾクリ、と。

 彼女は赤い頬に手を当てこちらに微笑む。だが、その目で射竦められると俺の身体の震えは一層激しくなった。

 ああ、俺は……なんということを……!

 女の子の身体に、傷を……!


 ――こ、これ以上、ここにいてはいけない!


「そ、それではこの犬めはこの辺りで尻尾を巻いて……!」

「くす、"施錠"」

「なっ――!?」


 俺の根幹を破壊されかねない。

 そう瞬時に判断し扉に飛び付いたが……彼女の魔法が俺を追い詰める!


「れーいーくぅーん……どこに行くのかなあ?」

「ひっ、"開け"!」

「"施錠"」

「"開け"!!」

「"施錠~♪"」

「"開け"!!!」

「"せ・じょ・う♡"」

「きゃいん! きゃいん!」


 奴隷魔法を行使し、叫びながらガリガリと扉を爪で引っ掻くも虚しく、扉はテコでも動かない。魔道具を行使した全力の魔法すら……!


「ば、化け物……」

「君に言われたくないなあ」


 そう、化け物。

 彼女の魔法使いとしての力量を示すなら、その言葉が相応しい。


「全魔法適正……」

「あ、噂を聞いたの? そうじゃないのにねえ」


 そう、それは正確な表現ではない。俺はそれを知っている。

 彼女は確かに全魔法を高水準というのも生ぬるい練度で行使するが……そうじゃない。


「いったい何なんだろうね、私の適正魔法」


 ――まだ、判明していないのだ。


 それどころか魔道具すら発現していない。これ見よがしに光るその手の指輪も俺が昔贈ったただの玩具。魔法使いとしては赤子同然の状態なのだ。

 で、あるのに……俺の奴隷魔法すら、片手間に払ってのける。俺の測定不能な規格外の魔力に、さらに俺の魔道具を通した強力な魔法行使でさえも。


「私も早く、私だけの特別が欲しいのに……」


 寂しそうなその言葉に、一瞬だけ同情する。

 それは強者ゆえの孤独。たとえ全ての魔法が高水準で使用できようと……


 最初から全てが特別であれば、それはつまり例外がないということ。彼女にとっての特別が無いということなのだから。


「おかげで色々誤魔化さないといけないし」


 俺が適正試験の時に「奴隷魔法適正あり」と言われるのが嫌で魔石を狂わせたように、シア姉もその規格外の魔力で魔法適正がないという事実を隠したのだろう。適正無き者に、魔法学院の門は開かれない。


 彼女の抱える問題はまさに前代未聞。そしてそのストレスを一身に受けるからこそ……


「さあ、れーくん? 次はこれを試してみよっかあ……」

「クゥーン! クゥーン!」


 こうして、定期的にストレス発散をせねば彼女の身がもたないわけで。

 しかし……それは俺の思い描いていた方法から、この離れていた一年ですっかり変わってしまっていて。

 俺を虐げるためではなく、俺に虐げさせるべく。彼女は扉に縋り震えるこちらに手を伸ばす。


「れーいーくぅーん……?」

「ぎゃいん! ぎゃいん!」

「ああ、やだどうしよう。でもやっぱりれーくんのその姿も、とっても堪らなく感じちゃうの……」

「そ、そっちで! そっちで頼む!」

「くすくす――だーめ♡」

「サディスティックな笑顔のはずなのに嬉しくなーーーい!!」


 その日。

 真っ赤な夕焼けを受ける生徒会室からは、情けない犬の声がいつまでも響いていたという……。

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