第9話「犬、デートに誘われる」
「――ジュウベエー! もうお前でいいから俺を踏んでくれえー!」
「帰ってきて早々同居人に向かって何言うてんねん……」
「詳しくは言えないがマゾハラに遭ったんだよお!」
「オレや、それを今受けとるんは」
まるで地獄のような時間を終え。
割り当てられた寮の二人部屋を開けて、俺は辱められた乙女のように涙を流す。
まだ荷ほどきの途中なのか、いまだ殺風景な部屋の中で大きな風呂敷をガサゴソしながら、同居人となった彼は嫌そうな顔でこちらへ振り返った。
「……その様子やと、会長さんの犬にはなれんかったみたいやな。意外なもんや」
「俺もそう思う……」
「まあお前キモいしなあ」
「俺もそう思う……」
「自覚あったんか……」
そりゃそうだ。
だからこそ、今朝の女の子のように嫌がる子には無理に迫ったりはしない。
だけど、あのマゾヤクザ様は……! 俺に、無理矢理……!
「オォーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!」
「うっさ……月に向かって遠吠えすんなや、近所迷惑や」
彼女を思い、月に吠えた。
この寮は学院敷地内にある四階建ての建物。無論、アルビオン内に屋敷を持っていない他の生徒もここで生活をしている。
一、二階が男子寮、三、四階が女子寮だ。そしてここは二階で俺とジュウベエに割り当てられた部屋である。
「二段ベッドやけど、レイド希望あるかー?」
「上……」
「意外やな、お前やったら下かと」
「数十センチ上に女の子の足があるということは、それはもうほとんど女の子に踏まれながら寝ているということと同義では?」
「完璧な説得力や、勢いだけやけどな」
ああ、その雑に俺を扱う感じが落ち着く。男相手だが、今はこれでも……だがもう少し……。
「踏め、踏めー!」
「コールやめろ。なんや、そんなに痛みが欲しけりゃその尻にくれてやるわ、おらっ」
「――ふんっ」
「なっ、こいつオレの刀を尻で!?」
おっと、唐突な攻撃につい身体が反応してしまった。
ジュウベエが鞘に入れたまま振るった刀を、俺は尻の力で挟んで受け止めたのだ。
「ふ、ジェイルニール家の使用人たる者、飼い主がどのようなプレイを所望してきてもいいよう尻も鍛えている」
「ジェイルニール家への風評被害やめーや。絶対お前だけや」
「だが、いい刺激だった感謝する。やはり俺はこういう扱いが落ち着く。俺の括約筋も緩むってもんだ」
「おいお前絶対やめろ」
「おっとバカにするな。俺はこれでも誇り高き犬。トイレの場所くらいおよそ把握している」
「完璧に把握しとるんや、普通の人間は」
「お゛う゛っ」
「ぎゃー!? 柄が! 柄がスッポリ入ったー!?」
「――ジュウベエ? こちらに私の荷物が紛れこ、んで……」
あ。
ガチャリと部屋のドアが開けば、そこには雅な服(確かワフクとか言ったか?)に身を纏ったユエが立っていた。
「……」
目を見開いた彼女が見る先には、俺の尻に魔道具を突っ込む兄の姿。その光景は、彼女にはどう映っているのだろう。
「ち、違うんやユーちゃん、これはやな……」
「普段はユーちゃんって呼んでんの? ジュウちゃんかーわーいーいー」
「お前殺すわ……」
おうっ、刀がより深くに!
そしてそんな俺達の姿を見てユエは……
「ドキドキ……」
なぜか胸を押さえ、頬を赤らめていた。
「なぜでしょう……私この部屋の観葉植物になりたいと唐突に思ったのですが、二人はこの気持ち分かりますか?」
『すまん、それは分からん』
声を揃えて彼女に答える。
アルビオン魔法学院。
ここは、将来有望な魔法使いの卵達が勉学に励む清き学び舎である!
「では、レイドは会長の犬にはなれなかったのですね?」
「ああ。詳しくは言えないが、俺の中で消化しきれない問題が生まれてしまってな……」
「ふ、ふふふ。そうですかそうですか」
なぜか嬉しそうに、ユエは袖で口を隠しながら微笑む。それを見たジュウベエはどこか複雑そうに顔をしかめ、自分の魔道具を消毒していた。
「とても気分がいいです。レイド? 何か私にして欲しいことはありますか?」
「腹が減った……」
「ああ、もう食堂は閉まっていますが、各部屋のキッチンは使えます。私が夕餉を作って差し上げましょう。とはいえ――」
くすり、と。ユエは悪戯っぽく微笑む。
「私は占いの魔法使い。レイドがそう言うと思って、既に私が用意しておきました。これでも料理は得意なのですよ?」
「え、本当か!?」
占いの魔法使い、恐るべし。
俺の希望などお見通しというわけだ。
ユエは袖をたなびかせ、廊下から銀のトレーを取り寄せた。
「はい、レイド。あなたの好きなタマネギとチョコレートをふんだんに使ったカレーライスですよ」
「あ、ありがてえ!」
なんと! 俺の好みまで把握しているとは!
俺の賛辞にユエはどこか得意げな顔をし、湯気を立てるカレーライスの皿を掲げた。
「机に置きますよ?」
「いや床に置いてくれ」
「あ、そうですか……」
「そこまでするんか……」
いつもなら机で食べるが、今日はかなり打ちのめされたからな。
「はい、レイド。おすわり」
「わん」
「お手」
「わん」
「……よし!」
「ぶしゃらぶしょぶべは!!」
「きったね……」
いいぞ、ユエもなかなか俺の扱いを弁えてきたと見える。
一通りの芸の後、俺はユエの許しを得て這いつくばりながらカレーにむしゃぶりついた。そんな俺を、ユエはどこかゾクリとしながら見つめていた。
「なるほど、私もどちらかというとSであると思っていましたが……ここまで極まると悪くないものですね」
「兄ちゃん、妹が間違った道に進むの見るの嫌や……」
「ムシャムシャ……間違いとはなんだ間違いとは。今の時代リベラルというものを――ゴフッ」
「急に血ぃ吐いたー!? お嬢、何入れたんや!?」
「え、ええ!? 私は別に何も――!?」
「犬にタマネギとチョコレートを食わせると死ぬぞ」
「なんでそんな身を削るもん食うんや!」
「だからだろうが!!」
痛みを伴う食事はこれでしか味わえないからよぉ……!
「ありがとうユエ、旨みが身体に染み渡るぜ」
「染みるのは中毒性物質だと思うのですけど……」
「ムシャムシャムシャ――ガハッ」
「無茶苦茶やこの犬、絶対人間やあらへん……」
ジェイルニール家では禁止されてたからな、カレー。見栄えが悪いとかで。
「ふぅ、ごちそうさまでした」
「血まみれやんけ……」
「お、美味しかったですか、レイド?」
「最高だ。ユエはきっといい嫁になるな」
「そ、そうですかっ?」
俺の言葉に、ユエはどこかテレテレとしながら身体を揺する。
ああ、ヒノクニに何かそういう言葉があったな。ヒノナデシコとかなんとか。彼女はまさにそれだった。
「ふ、ふふふ。ねえ、レイド? レイドは明日なにか予定はあるのですか?」
「いや、特に何もない」
本来であればシア姉の所に行って椅子にでもなろうと思っていたのだが……今日のこともあり、さすがに腰が引けた。
だってあの子、俺に鎖で縛らせたり! 鞭で叩かせようとしたり! なんて恐ろしい!
「アルビオンは慣れていますか?」
俺が顔を青くしていると、ユエは上目遣いでチラリとこちらを見る。
「いや、俺も詳しくはない」
「そうですか。……どうでしょう、二人で明日アルビオンを散策しませんか?」
「なっ、ユーちゃん!?」
ユエの言葉に、ジュウベエがガタッと立ち上がるが彼女はどこ吹く風。
「それは、つまり……」
「で、デート、になるのでしょうか」
長い黒髪を落ち着き無くクシクシといじり、彼女ははにかむ。
なるほどな……そういうわけなら。
「断る」
「そうですか、でしたら――え?」
当たり前だ。
目を点にするユエに、もじもじと俺は答える。
「デートとか、そんなん恥ずかしいし……」
「なに急に童貞臭くなってんねん……」
うるせえ。
躾ならまだしも、そういう経験なんて無いんだよ。急に言われてもどうしていいのか分からん。
「ええー……あ、そうです」
困惑するユエは、しかし何か思いついたのかポムと手を叩いて長い袖の内側に手をやる。
「ではこういうのはどうでしょう、レイド? お散歩に行きませんか?」
そこから出したのは――犬用の赤いリードだった。
「行く」
「行くんか……」
「ふふ、だいぶ扱いが分かってきましたよ」
即答する俺に、ユエは満足げに微笑む。
まったく、ユエは優しいなあ。きっと占いで俺を犬扱いしろとでも出たのだろう。彼女は俺を癒やすように犬扱いしてくれる。ありがたいことだ。
ということで、明日はユエにアルビオンの散歩に連れて行ってもらうことになったのだった。
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