第2話「犬、入学式で決意の炎を燃やす」



『えーであるからして、今から数えて五百年前。ここイーファ大陸中のあらゆる種族を巻き込んだ戦争が終結し、疲れ果てた人々は手を取り合いました。えーであるからして、各国が多く隣接する大陸の中央にここ中立都市“アルビオン”を造ったわけであります。えーであるからして、その活動の中で最も重宝されたのが我々魔法使いであり――』


 すげえ「であるからして」って言うじゃん……。


 目前の壇上で。

 入試を受ける前にさんざっぱら暗記したことをクドクドと宣う学院長っぽい男の声を聞き流す。

 そんなことより優先すべきことが、俺にはあるのだ。


「うぅ~ん、いい手首のキレだった。あれは将来化けるな……」


 俺、レイド・ハオールはどでかい講堂に並べられた椅子の一つに着席しながら、ジンジンと痛む頬に手を伸ばす。


 ――く、熱い……きっとこの熱が、あの少女の心の熱なのだ!


 残念ながら先程の少女には頬を叩かれ逃げられてしまったが、この入学式が行われている講堂内に彼女がいると思うと胸がときめく。

 全員上は白、下は黒を基調とした真新しい制服を着ているためなかなか見分けがつかないのが残念だ。


 ああ、あの気弱そうな子がゆくゆくは、俺を冷め切った目で見てくるのだと思うと……ん゛っ!


『であるからして、魔法使いの職務は多岐にわたり、それぞれの適性に応じた魔法をこの学院で修め、人々の役に立つべく――』


 思わず身悶える間にも、拡声用の魔石を通した声が講堂内に響き渡っている。

 しかしそれを聞く子ども達の意識は散漫だ。まあそれもそのはず。

 ここ、アルビオン魔法学院は曲がりなりにもそれなりの名門。魔法使いの定義など、耳タコというやつなのだった。

 周囲を見渡せば欠伸を漏らす者、寝る者、雑談に興じる者、自分を犬にしてくれる飼い主を探す者――俺のことだが、キリが無い。


 そして――


「おー、この時期にまさか綺麗な紅葉が見られるとは思わへんかったわ。さすがは名門校やなあ」


 俺の隣に座り、感心したような声を出す少年もその内の一人だった。


「ああ、綺麗だろ? 勲章なんだ」

「お、おう……あんさん変わったやっちゃな。女か?」

「分かるか。特にこの手相まで分かるほどクッキリしたところとか芸術的だろう。長くて細っこい生命線で手相まで可愛いよな」

「すまんそれは分からんしめっちゃ語るやん……」


 冷や汗を流して身を引くのは、気の良さそうな雰囲気の少年。

 少し痩身だが非力というわけではなく、どこか気持ちよく木々をすり抜ける風を思わせた。

 おそらくここ近辺の者ではない。

 アルビオン魔法学院を擁するここ、中立都市アルビオンでは様々な種族が手を取り合い生活しているが、彼のような風貌の少年はそこそこ珍しい。


「その黒髪に黒い瞳、特徴的な話し方……東方の人か?」

「せや、ヒノクニな。海も渡るしここは遠いでなあ……苦労したで。交通費もバカにならんし」


 苦笑して肩を竦める少年は気安い様子で言葉を紡ぐ。こちらとしても話しやすい相手だった。


「でも大方は魔石列車だろ? 時間は仕方ないにしても、安席ならそんなに金もかからなくないか」

「や、お嬢がな……『こんな固い椅子に座ったらお尻がゴーレムになってしまいます!』って駄々こねて――あだっ」

「駄々ではありません、弁えなさいジュウベエ。我々は誉れあるシキノミヤの血族。それ相応の立ち居振る舞いというものがあるのです」


 ぴしゃり、と。

 彼の頭を叩く音と共に、鈴を転がしたような美しい声が鼓膜を揺らす。聞いていると自然と背筋が伸びるような、凜とした声だ。


 むむ、俺の鼻がヒクつく。これは高貴な香りを感じるぞ……!


「ご機嫌よう、紅葉のお方。私はユエ・シキノミヤ。うちの従者の言葉は聞き流してくださいね」


 痛そうに頭を押さえる彼――ジュウベエといったか。その更に奥に座った子が、ひょっこりと顔を出した。


 ――可愛らしい、お人形のように整った顔立ちの少女だ。


 まるで夜の帳のように美しく長い黒髪が揺れれば、香木のような高い香りが風に乗って鼻をくすぐる。

 淑やかに笑みを浮かべるが、その身に纏うオーラは人一倍。その姿を一目見れば、簡単には目を離せないほどの存在感を放つ少女だった。


「いたた……こら、お嬢。無闇に兄貴の頭を叩くもんやないで」

「あら、今は従者の時間でしょう? くれぐれも言動は慎みなさい。特に私を敬うように」


 ジュウベエと違い、左右で色の異なる金の片目を瞑って高飛車に言葉を放つ少女。

 ツンと顎を上げるその仕草は、彼女の気性を十分にこちらに伝えてきてくれた。

 ……そういえば名前も交換していなかったか。


「あー、申し遅れた。俺はレイド・ハオール。しがない田舎出身の男だ。それより――」


 気になる点が一つ。


「……今、彼をして従者と言ったか?」

「ジュウベエ・シキノミヤや、ジュウベエでええで」

「そうか、じゃあありがたく……ジュウベエは、その子の従者なのか?」

「おう。まあその前に双子でな、この留学もお嬢が『独りじゃ寂しい』って言うからお兄ちゃんとして仕方なくやな――」

「かーわーいーいー」

「じゅ、ジュウベエ! でたらめを言わないで!」


 頬を染めて怒りを露わにする少女――シキノミヤは否定する。長い黒髪の中で一房だけ結った髪がフシャー! っと逆立った。

 彼の言う事情が本当かどうかはまだ分からないが……彼女が可愛らしいことは確かだった。


 しかし、俺が聞きたい部分はそこじゃない。


 高貴な雰囲気を醸し出す少女の従者であること……それは、つまり――!


「ジュウベエは、その子の……犬、なのか?」

「……は?」


 呆けたような声を出すジュウベエに向け、俺は羨望の眼差しを送る。

 だってそうだろう!

 可愛い女の子に仕える者。それすなわち犬! なんて羨ましい!

 しかし俺の言葉を聞いたジュウベエは目を点にし、シキノミヤはクスクスと袖で口を押さえている。


「ぷっ、ふふふ……犬、犬ですって。いい心懸けじゃないですかジュウベエ。見習っていいですよ?」

「アホか……」


 嫌そうな目でジュウベエは笑うシキノミヤを見る。

 こ、こんな恵まれた環境で! なんて贅沢な男なんだ!


「お前、こんな可愛い女の子に仕えておいて犬扱いが嫌とか犬に失礼だとか思わねえの?」

「まあ、お上手」

「犬が思うやろなあ……」


 はーいはいはい! 見てくれよこれが持つ者と持たざる者の違いってやつだ!

 富裕層はいつでも俺達持たざる者を蔑む目で見やがるありがとうございます! 今時貧富の格差もそうないけども!


「くぅ、いいなあ。俺も可愛い女の子に踏まれて逆に足つぼ刺激してその子を健康にしてあげてえ……」

「キモいなー、お前……」

「おいやめろよ、俺は男に飼われる趣味はないんだ。あまり強い言葉を吐くなよ、気持ちよくなるだろ」

「お前無敵か?」


 効かねえ、マゾだから。


「お前何しに学院来てるんや……」

「そりゃあもちろん――」


 壇上に立つ校長は立派な魔法使い云々と言っているが、俺が目指すのはそうじゃない。

 攻撃魔法に特化し、民を脅かす魔獣を狩る魔法騎士になるのもいいだろう。色とりどりの花を咲かす魔法を極めて、最近流行りだしたマジックアイドルになるのもいいだろう。


 だが、俺は――!


『続きまして、生徒会長挨拶。シンシア・ジェイルニール』

「はい」

「!」


 その名を聞き、慌てて目を向けた瞬間。


 ――月が落ちてきたのかと……そう思った。

 

 名前を呼ばれた一人の少女が、壇上へと登っていく。それだけで、ざわついていた周囲が水を打ったように静まっていった。


「――」


 彼女が歩くたびに月光のような輝きを放つ銀の髪は揺れ、少女に淡い儚さを印象づける。

 そうして静かに壇上の中央に立った少女は、その閉じていた瞳をゆっくりと開けた。


『新入生の皆さん、初めまして。この場で皆さんに出会えたことを、私は誇りに思います』


 儚く長大な月光の髪に対し、眼光は血のように紅い。その湖面に波一つ立てることもなく、彼女は俺達を見下ろしていた。


『これから皆さんは己の適性に応じて魔法を学んでいきます。きっとそんな日々の中で自信を失うこともあるでしょう、挫折を味わうこともあるでしょう。しかし、私はそれらを拒みません』


 こちらを睥睨するその瞳からは自信と、冷徹さと……そして決意が伝わってくる。


『――途絶えた道に橋を架けてこそ、我々は魔法使いなのですから。己の道を見定め、最後まで駆け抜けてください』


 誇りある魔法使いとはかく在れと、彼女は俺達を叱咤する。

 人を諭し導くその在り方はまさに天性のもの。上に立つべき者としての姿をありありとこちらに見せつけていた。

 なんだったら美少女にのみ許される風が吹き、彼女の白銀の髪をフワリと揺らす。あ、舞台袖に風魔法使ってる奴いるわ。芸が細かい!


『――っ』

「――」


 刹那の間だけ。

 その宝玉のように煌めく瞳に俺が映った瞬間、その湖面が一つ揺らめいたと思うのは自惚れが過ぎるだろうか。


「ほーん、あれが最年少で生徒会長になったっちゅう話題の女の子かいな。今は二年生か」

「なんでも全魔法に適正があるとか。ふふ、美しい方ですね。外見もそうですが、内面にも染み一つなく輝く……月のような御方です。きっと素晴らしい志をお持ちなのでしょう」


 口々に言うシキノミヤ双子。

 だが俺にはそちらに反応する余裕もなく、雷に打たれたように身を打ち震わせる。


「――てえ……」

「あん? なんやてレイド」


 ここは未来ある少年少女が集まるアルビオン魔法学院。

 立派な魔法使いになるために、適正を持ったあらゆる種族がこの学院の門を叩く。


 だが、俺は――


「彼女の犬になりてえ……」

「ええ……」

「まあ」


 双子の声も置き去りに、俺は胸の中で猛る炎に身を焦がす。その炎を燃やす薪に“立派な魔法使い”という文字は無い。


 ――そう。俺が目指すべきは“立派な魔法使い”などではない。


 俺は……俺は……!


 俺はシンシア・ジェイルニール様の“犬”になるべく、この学院に入学したのだ!

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