奴隷魔法適正カンストの俺は、しかし彼女の犬になりたい~とりあえず「この犬!」って言ってみてくれないか?~

黎明煌

第一章「白銀の姫と黒猫姫……あと犬」

第1話「犬、魔法学院に這う」


 まるでロマンス小説の一幕のようだと、少女は思った。


「ふう、危ないところだった……君、大丈夫か?」

「う、うん。ありがとう、ございます……」

「まだ低い段差でよかった」

「あの、そちらこそ大丈夫……? 特に腰とか……」

「ああ、気にしなくていい。空を見るのが好きなもんで。この体勢の方が、大きく空が見えてお得なんだ」


 春の風が頬を撫でる中。

 冗談めかして言う少年の言葉に、少女の頬が甘い果実のように紅潮していく。最後の言葉の意味はあまりよく分からなかったが。


「あ……」


 胸の高鳴りを感じながら、少女は自分を受け止めたままの少年をぽーっと見下げる。


 そう、見下げる。


 くすんだ灰色の短髪に、人のよさそうな柔らかい笑顔。

 線はそれほど太くないのに、階段から足を滑らせた少女をしっかりとその腰で受け止めている。その腰で。


 ――四つん這いで。


 ちょうど少女の椅子になるかのように。

 周囲には誰もいなかったはずであるのに、その少年はいつの間にか現れ事もなげに少女をその腰に乗せていた。

 ……強化魔法でも使っているのかもしれない、と少女は思考する。でないと背骨さんがポッキリいっちゃってるだろう。


「? どうかしたか?」

「あっ、ううん!」


 少女はかぶりを振り、またチラリとその少年を見る。

 少女と同じく新品の制服を身に纏っているが、右腕にはジャラジャラと巻き付く鎖と、それに繋がる装飾品にしては大きな金属製の腕輪が目を引く。首にもかけられそうな大きさであった。

 しかし、最も少女の目を引いたのは……その目だ。


 ――紫色の光彩の奥に、確固とした意志の炎が宿っている。


 それは夜明け前の光のように。

 おそらく少女と同年代であるはずの少年。この学院には、立派な魔法使いになるという目標を掲げる者が数多く入学し在籍するが、新入生でここまで覚悟を決めた目を持っている子もそういないだろう。


 きっと少年にとって大事な……崇高とも言える目標が既にあり、それを叶えるべくこの学院の門を叩いたのだと、少女は少年の瞳を見てそう確信させられた。


 ……いいな、と。


 生来気弱な性質を持つ少女は眩しいものを見るかのように目を細めて少年を見つめる。優しげに笑う目の前の少年が、少しだけ大人に見えた気がした。

 早く少年から降りなければと思うのに、不思議と少年の姿から目が離せない。難しいことが考えられない。その声にまるで、魔力でも宿っているかのよう――


「――君、可愛いな」

「…………へ?」


 だが、まじまじと姿を見ていたのは少年も同じであった。


「せせらぎにも優る澄んだ声。水精霊の住まう湖のように深みのある青い髪に……ほら。その前髪に隠れた、恥ずかしがり屋で綺麗な瞳」

「!? っ!?」


 少年は四つん這いのまま器用に腕を伸ばし、前髪を指でそっと掻き分ける。その仕草に、少女は声にならない声を上げた。

 並べ立てられる美辞麗句に、心臓の鼓動が痛いほど高鳴っていくのが分かった。


「……これも一つの縁か」


 そんな可愛らしい反応を返す少女に、少年は一つ呟いて浮かべていた笑みを引っ込めた。


「なあ、君に一つお願いがあるんだ」

「え、えっ!?」


 その真剣な瞳を向けられ、少女は真新しい制服である白いブラウスがシワになるのも構わず胸元をキュッと握る。


 周囲には誰もおらず、晴天の空に白い鳥が羽ばたくのみ。

 目下には今までの人生で向けられたことのないくらい、真剣な表情を浮かべる男の子が自分をお姫様のように椅子に座らせている。椅子は彼だったが。


 ――まるでロマンス小説の一幕のようだと、少女は思った。


 白亜の学院を臨む入学式のこの日。

 ピンクの花弁が舞う中で……ほんの少しだけ早く、大人の階段を登る。近くの教会から鳴る鐘の音さえ、自分達を祝福しているかのよう。

 そんな状況に、少女はどこか夢のようなフワフワとした心地で、キュンと胸を押さえて少年の言葉を待った。少女は結構いい性格をしていた。


「俺を――」


 言葉の途中。

 さっきまで柔和だった少年の顔が、どこか獲物に狙いを定めた獣のような獰猛さに変わる。

 そんな少年から、可憐なる少女に向けて紡がれた言葉は……!


「――試しに俺のことを、『犬』って呼んでみてくれないか?」


 ――出来れば、より蔑むように頼む。

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