④SNS、遺書編【終】

〈佐藤蓮によるSNSでのつぶやき〉



(20××年9月10日)

【新たな作品を書き始める。そしてこの作品は私にとって間違いなく、特別な作品となる。そして、これが私の最後の作品となる……というのは冗談だが、そのくらいの気持ちで書いている】





(20××年9月23日)

【文芸誌に載せるエッセイの依頼を受ける。かなり久し振りの文筆の仕事だが、まったく気持ちが乗らない。書き出しも全然浮かばない。自分はおそらくもう作家と名乗ってはいけない人間なのだろう。作家としての死をすでに迎えているはずなのに、ひとはまだ私を小説家と呼ぶ。本を一冊出版すれば作家。そうでなければ素人】


【不思議な話だ。作家を目指していたあの頃のほうが、ずっと作家だったような気がする】





(20××年9月27日)

【きっと今書いている作品は最後の作品になるだろう。とても苦しい作業のはずなのに、何故か他愛もないエッセイを書く時よりも捗っている】






(20××年10月1日)

【完成した。出版社からの依頼ではない。そもそもこれは売り物という形で本になるものではない。これは私のための、私だけのための作品だ。そしてそれが終わる】


【今日を持って私は創作者としての人生を辞めることにした。プロの小説家という肩書きは一度手にしてしまえば永遠に掲げていられる。それが私には不満だ。私という作家はすでに死んでしまって久しい】


【私以外の誰かにこれを伝えるのは、今が初めてだ。私の作品を読んだことのある読者など稀だろう。わざわざ表明するようなものではないのかもしれない。それでもわずかにでも私の作品を楽しんでくれたひとがこの文章に目を止める可能性を考えて、この言葉を置いておくことにする。作家としての私は死んだ。そして書くことは、私にとって唯一の存在意義だった。そんな私は――】





〈編集者が佐藤蓮に送ったDМ〉



 ――ご無沙汰しております。つい先ほど佐藤さんのつぶやきを見て、慌ててメッセージを送らせていただきました。今はフリーの編集者をしている渡辺と言います。……という言い方をしてもぴんと来ないですよね。古潮社の編集部にいた頃、佐藤さんのデビュー作『地球爆破計画』を担当させていただいた、渡辺と言えばすぐに思い出してもらえると思います。かつて逃げるように仕事を辞め、佐藤さんにひどく迷惑を掛けてしまった私にこうやって気軽にメッセージを送る資格があるのかどうか分かりません。そして私自身、メッセージを送ってあなたと何を話すべきなのかまとまっていないところもあります。だけど急がなければ、と胸がざわついてしまい……。すこしだけでもいいので、やり取りさせてもらえないでしょうか。


 ――こちらこそ、ご無沙汰しております。すべてのメッセージを無視する気だったのですが、まさか渡辺さんから来るとは思わず……。渡辺さんは私にとって特別なひとです。それは良い意味でも悪い意味でも。今でも編集者をしているとは思っていませんでした。この業界は広いように見えて、驚くほど狭い。渡辺さんが編集者をしているのだとしたら、気付かないわけがない、と思っていたのですが……。私に残された時間は短いです。長々とお話はできませんが、すこしだけやり取りしましょう。もう十年近く前ですか……、『地球爆破計画』を書いた頃。私たちは、若かった。特に渡辺さんは二十代半ばでしたよね? 懐かしいです。お互い若かったからか、私のほうがすこし年上でしたが、すぐフランクに会話するような仲になったのを覚えています。


 ――気付かないのも無理はありません。だって私はもう文芸の編集者ではないのですから。今はファッション雑誌の編集者をしています……と言えば、あなたにはどう思われてしまうでしょうか。人生どこでどうなるか分からないですよね。ダサいダサいと馬鹿にされていた人間が、ファッション雑誌の編集者として流行の最先端を探り続けているわけですから。かつて佐藤さんについ言ってしまった言葉を覚えていますか? 作家に必要なのは流行りを追うことでも人間性の良し悪しでも交流のうまさでもなく、優れたものを、自分が面白いと思うものを、かたくなに信じ、追い掛けていく気持ちだ、と。今の自分にもそのまま刺さってしまうような言葉ですが、でも根底にある気持ちは今も昔も変わっていません。小説家も編集者も、自分にとって何よりも面白い物語を、不特定多数のひとに届けるために存在していると思っています。


 ――こんなすこしだけのやり取りで分かったような気になるわけにもいきませんが、渡辺さんの考え方は今も昔も一貫していてすごく嬉しくなります。きっと今でも素晴らしい編集者なんだろうな、と思います。これはお世辞じゃないですよ(笑) それに比べて私は変わってしまった。あの頃、一番なりたくなかった自分に近付いている感覚を抱いてしまったのです。それを自覚してからはずっと、私はこの感情に怯え続けているのです。


 ――それがあのつぶやきに繋がるのでしょうか?


 ――そう事実を認めたのです。私はもう作家としてすでに死んでしまっている。ずっと前から気付いてはいたけれど、認めるのが怖かった。ただただ怖かったのです。私には小説しかなかったから、その小説を否定されることは、私自身を、その人生を否定されることに等しいのです。……でも、そもそもこんなことを傲慢にも考えてしまえる自分が何よりも嫌いなのです。


 ――作家と作品は別物です。仮にあなたの作品や作家としての資質が誰かに否定されたとしても、それは決してあなた自身が否定されたわけではない。作品や作家としてのあなたが切り離されたところに、作家ではないあなたの価値、というものがあるのです。


 ――それは書きながら、魂や命を削ってこなかった人間だけが言えることです。私には才能がなかった。だから魂や命……人生のあらゆることを創作に捧げなければ、彼らと同じ土俵に立つことができなかった。そんな人間が作家としての終焉を自覚してしまったんです……。じゃあ他を頑張ればいい。生きているだけで価値がある。そんな風にはなれないよ。


 ――つぶやきの最後にほのめかしたのは、やはり、自殺……だったんですね? あなたが死にたい、と思っているなら、私は意地でもそれを止めたい。


 ――何故、止めたい、と思うんですか?


 ――佐藤さんが、作家である自分とそうでない自分を繋げて考えるなら、私も〈他を頑張ればいい〉、〈生きているだけで価値がある〉のような陳腐な言葉で生へと引き止めるつもりはありません。そもそも私も佐藤さんと小説で繋がった関係です。だから私はそもそもとして、作家としての佐藤蓮にも生きていて欲しい、と思っています。


 ――渡辺さんはここ5年くらいの私の作品を読んだことありますか?


 ――ありますよ。全作品、読んでます。


 ――面白かったですか?


 ――はっきり言ってつまらなかったです。あなたがそう言ったことで確信が持てました。佐藤さん……3作目の『あこがれ』以降の作品、すべて自分でつまらないと思いながら、書いていますよね? さっき私は作家と作品は別物だ、と言いました。だけど、作家が面白いと思わない作品をいやいや書いたとしても、それは駄作にしかならない、とも思っています。


 ――渡辺さん以外にそんなことを言ってくれるひとはいませんでした。みんな口を開けば、〈新しさ〉や〈売れる〉を求めた。そしてそれは圧倒的に正しい。ただ私にはそれがひどく息苦しくて、だけどその感情を表明してしまえば、私の守りたかった大切なものが消えてなくなるような気がした。怖かった……だから私は他者の言葉に合わせていくしかなかった。そもそも私は、大切なものを履き違えていたのかもしれない。


 ――私はまた佐藤さんと一緒に仕事をしたい、と思っています。正直な話をします。その感情にあの頃の後悔がないか、と言えば、それも嘘になります。他社の編集者の嫌がらせに負けて、抱えている仕事を無責任に放り出してしまった過去への後悔は今も残っています。


 ――もうひとつも怒っていませんよ。昔の話です。


 ――いえ……でもそんな後悔以上に、私はまたあの興奮を味わいたいのです。初めてあなたの小説と出会ったのは、小説投稿サイトに載せられた『地球爆破計画』のプロトタイプというべきもので、私はこの小説に衝撃を受けたのです。このひとと一緒に仕事したい。いつか最高に面白い作品を書くはずだ、って……。すくなくとも私は、佐藤蓮の描く最高に面白い作品にまだ出会っていない。今でも私にとっての一番は『地球爆破計画』で、それでは物足りないのです。だってあなたはもっとすごい作品を描けるはずのひと、なんだから……。


 ――買い被りです。だけどあの日の嬉しさは今も覚えています。投稿サイト内でもほとんど読まれていなかった私の作品を読んで、「本にしたい」と言ってくれる出版社のひとがいたわけですから。騙されてるのか疑うほどの驚きと不安、そして嬉しさがありました。仮に騙されていたとしても、このひとを信じてみよう、って……。


 ――だったら、お願いです。もう一度、騙されたと思って、私の言葉を信じてもらえませんか。作家としても人間としても、あなたはまだ死ぬには早すぎる。


 ――すみません……。もうすべてが遅すぎます。だけどその言葉を聞けて、嬉しかったです。


 ――佐藤さん、考え直してください!






〈佐藤蓮『裏側のない遺書、真実の告白』より一部抜粋〉



 これは殺人の告白である。


 私、佐藤蓮は人を殺し、そしてその罪の告白とともに命を絶つことにした。


 どこから語ればいいだろうか。何かが始まる時には、つねにきっかけが存在する。明確な始まりなんてものはどこにも存在しない。だから私はたとえしっくりと来なかったとしても、明確な始まりにもっとも近い場所を自分で定めて、そこから語り始めなければならない。


 もっとも近い場所、それは私の書いた小説に書籍化の話が舞い込んだ時だろう。小説投稿サイトに載せた私の『地球爆破計画』を全面的に改稿することを条件に書籍化したい、という話で、私は喜ぶよりも怯えた。自分にとって都合の良すぎることをひとは真実だと思いづらいものだ。詐欺かもしれない、と恐怖を覚えながら、その編集者の方から送られてきたメールに返信した覚えがある。そんなに疑うなら無視すればいいじゃないか、と感じる人間もいるかもしれないが、ずっと小説が好きで、そして小説を書いてきた人間にとって、プロの小説家や書籍化という言葉には、特別な響きがある。おそらくこれを気軽に無視できる人間のほうが少数派だろう。今になって思えば、私は意地でもこの少数派にいるべきだったと思うが、それは後になって分かることに過ぎず、この頃の私には分かりようのないことだった。


 こうして私は『地球爆破計画』という作品でプロの小説家としてデビューすることになった。この作品は昔からわくわくして読んできた壮大なSF作品が書きたい、と自分の好きをつめこんだ小説で、ひとに読んでもらいたい、という気持ちよりも、自分が楽しみたい、という想いのほうがずっと強かった。荒唐無稽の限りを尽くして、自分でも先の読めない作品を書きたい。そんな一心で創った。


 初めて私の担当編集者となった私よりも若いそのひとに、私は正直にそう告げた。


「私はこういうのしか書けないし、プロットだって作れるような人間でもない」と。


「そのままを貫いてください」


 その時の編集者の言葉は今もしっかりと耳に残っている。プロに向いた人間じゃない、と正直に告白したのに、プロ向きでないあなたを貫いてください、と彼は言ってくれて、それは思いの外、前向きな気持ちに繋がった。


 だめでもともと、やれるだけやってみよう、と思えたのは彼のおかげである。彼とパートナーを組んだのは、結局この1作だけだったが、私が過去に出会った中でもっとも感謝している編集者だ。


 この作品は私が想像していたよりもずっと多くのひとから評価された。その年のベスト作品に『地球爆破計画』を挙げてくれた作家や評論家の方もいたし、大々的ではないが、テレビや雑誌で紹介されることもあった。


 だけど決して好意的な評価ばかりではなく、目立てば目立つほど批判の声も聞こえてくるようになった。特に文章や設定の粗さは指摘され、私は指摘を受けるたび、その部分を読み返すようになり、『ここの部分には、こういう意味があるのだから……』と心の中で自作品を弁護するようになった。私は間違っていない、と言い聞かせる。そうやって言い聞かせてる時点で、その言葉に縛られていることにも気付かずに……。


「すれっからしのひとはweb発の作品っていうだけで軽視したりもしますからね。そういうひともいるんだな、ってくらいで、気にせずいきましょう。次作で見返せばいいんですよ」


 編集者の方にはそう言われたが、こんなのは生まれ持った性格なので、どうしようもない。


 次作の構想なんて何もなかったが、ちょうどその時期に中学の同窓会に行く機会があり、そこで初恋のひとと会い、結局ほとんど話すことのできないまま終わってしまう、という経験をしたことがきっかけで、『あこがれ』を書き始めた。


 その途中で私をプロの世界へと導いてくれた編集者が突然、その出版社を辞め、音信不通になった。詳しい理由が私の耳に届くことはなかったが、別の出版社のベテラン編集者とのトラブルがきっかけで心の調子を崩していた、という噂は聞いていた。


 私の『あこがれ』が出版される約束は暗黙の了解的に白紙になった。驚きはあったものの、私の感情は凪いだ海のように落ち着いていた。そもそもあの頃はプロである自分にこそ違和感を抱き、その先の道が閉ざされたことで、ようやく元の自分に戻るような感覚を抱いていた。正直なところ、ほっとしていたのだ。


 ふたたびプロになるために小説を書いていくのか、趣味として小説と向き合っていくのか。


『あこがれ』を書き上げた時、私はひどく迷った。作家が自分の作品への愛を語るなど恥ずかしい話だが、この文章を書いている時点で生き恥を晒しているのも同然なのだから、書いてしまおう。


 私は『地球爆破計画』『あこがれ』『聖域を踏む』の三作を愛している。それは私の作品を好きと言ってくれたどの読者よりも、間違いなく。いやこの言い方は正しくない。厳密に言えば、『聖域を踏む』までに書いた私のすべての小説作品を、私は愛している。それは優れている、という話ではない。つたない部分も悪い部分も知っている。


 それでも……。


 書きたい、と心の底から思ったものを、書く衝動を抑えきれずに紡いだあれらの作品は、何度も憎しみを覚えながらも、確かに特別なものだった。


 書籍になったデビュー作を世に放った時の、私の作品への指摘が頭によみがえってきて、その言葉が私をためらわせた。時間が経てば消える、と思うだろうか。それは違う。時間が経って消えなかったものは、定着してしまって、もう永遠に消えなくなるのだ。十年以上前にもらった批判の言葉を、私は今でもしっかりと覚えている。


 怖い……。


 インターネットの片隅でほとんど誰の目にも触れられていないのと変わらないくらいに反応のなかった頃とは比べ物にならないほどの反応の大きさと、その言葉の鋭さ。それがとにかく怖かった。


 だから『あこがれ』を〈那賀川進歩エンターテイメント大賞〉に応募するかどうかは、ぎりぎりまで悩んだ。


 何故応募したか、と言えば、

 それは、プロという肩書きが重かったから、という一言に尽きる。いやこれも言い方が正しくない。私が勝手にプロという肩書きを重くしていたに過ぎないのだ。


 結果は最終選考に残りながらも落選だった。結局この作品は私の3作目の著作として日の目を浴びることにはなったが、この時点では本になる可能性が潰えた作品でもある。


 もしかしたらこの落選は、引き返すならば今が最後のチャンスだ、と私に教えようとしてくれていたのかもしれない。実際、私はその落選から1年近く、小説を書くどころか読むこともできなくなったのだから。もう小説から完全に足を洗おうと思っていた。


『聖域を踏む』を書き始めたのは落選から2年後の夏だった。その年の春に私は結婚をしたので、それが心境の変化につながった面はあるのかもしれない。


 元妻とはかつてテレビで取り上げられた際、大学からずっと付き合った上での結婚だった、と印象付けるような内容で放送された。確かに大学の同級生なのは事実だが、付き合い始めたのは卒業後、結婚までの交際期間も数か月程度だった。アマチュアの頃から私の書いていた作品を、彼女に読んでもらっていた、というエピソードも紹介されていたが、あれも嘘だ。


 彼女は上昇志向が強く、周囲にもそれを求めるところがあった。私が以前に小説を書いていたことを知ると、「何故、また書かないのか?」と責めるような口調で言った。だからと言って、彼女の言葉に乗っかり、すぐに物語を書き始めたか、というと、そんなことはない。


 私を小説の世界に引き戻してくれたのは、過去の原稿だった。


 それは10代の頃に、プロットと導入だけを書いて断念してしまった小説原稿で、私は古い記憶に浸るように、その話の続きを書き始めた。それが『聖域を踏む』だった。……でも誰かに読ませるために書き始めたわけではない。書かずにいられない衝動にあらがえなかっただけだ。


 この瞬間のことは今でも強烈に焼き付いている。ただ好きなものと向かい合っている時間ほど愛おしいものはない、と。大げさではなく、自身の生を実感する時間だった。


 書き終えた時、1年以上の月日が経過していた。書き終わった直後くらいだった、と思う。元妻からSNSで知り合った編集者を紹介されたのは。何故か、彼女は私以上に私をプロの作家へと戻すことに躍起になっていた。気乗りはしなかったが、「会うだけでいいから。お願い」と言われ、待ち合わせたカフェで初めて顔を合わせた編集者が、Kさんだった。


 その年配の編集者であるKさんは、開口一番、

「小説家にもっとも必要なのは、若さだ」

 と言い、彼の小説哲学を聞きながら、私は彼を軽蔑していた。しかしそれでも私はこの信用の置けない編集者に、気付けば『聖域を踏む』の話を語り、原稿のデータまで渡していた。


 自分のために書いた、と言いながら、結局私は誰かに読んで欲しかったのだろうか。そしてふたたびプロの作家として活動する自分を望んでいたのかもしれない。


 行ったり来たりする曖昧な感情に、私は自己嫌悪を覚えた。


 私は書くことが好きで評価されることを望んでいたが、実際に得た評価は小説への好意、愛を、私から奪っていった。


『聖域を踏む』が刊行された時、評判は決して良くなかった。好意的なレビューや書評を書いてくれるひともいたが、重版がかかることもなく、すぐに消えていく一冊になるはずだった。しかし何故かこの作品は直江賞の候補に挙がってしまった。


 Kさんは職人肌的な編集者ではなく交友が広いことで有名な編集者だった。どう考えても候補作のラインナップの中で場違いな鈍色を放っていたこの作品は、直江賞をしている出版社のKさんが裏で根回ししていたのではないか、という憶測を呼んだ。当然だろう。実際にKさんが根回しをしたのかどうかなんて私は知らないし、そんなことはどうでもいいが、確かに、この作品に直江賞は場違いだ。


 だけど私はこの作品を愛していた。


 批判や非難、口さがない噂はその真実さえも歪ませようとしているのではないか、と私の心を苦しめた。


 どんな精神状況であろうと、時間は私の想いなど無視して進んでいく。


「今の流行りを的確に捉える。出版社にとって優れた作家というのは、売れる作家のことです。現代の優れた作家にもっとも求められるものはマーケティングの力です。売れる作家の本から学んでください。何が売れるのかを」


 直江賞を落選した後、それなりに仕事を依頼されるようになった。疑惑の候補作であったとしても、このノミネートが私の認知につながったことは事実だ。


 その言葉に従うように私は何ひとつ魅力を感じられない物語を書き続けた。ベストセラーに似せただけのまがい物がベストセラーになることなどない。当然、私の書くまがい物は売れなかった。「〇〇さんっぽいものを」「今、人気の〇〇というジャンルで」とKさんに言われて私が提出したものは、Kさん程度なら騙せても、読者を騙せるような代物ではなかった、ということだ。他の一緒に仕事をすることになった何人かの編集者の方々はKさんと違ってそこまで露骨な言葉を投げ付けてくることはなかったが、その時にはもう私自身が、私らしい作品の書き方を忘れてしまっていた。


 本当に私が書きたいもの、って何なんだろう……?


 Kさん以外の編集者が、私の作品を受け取った時の微妙な反応は忘れられない。


 勤めていた会社を辞めたのもそのころだった。


 外側に向けての言葉は「作家として食べていける程度の稼ぎを得られるようになったから」というものだったが、それを鵜呑みにしてくれるのは業界を知らない人間だけだ。私程度の作家がそれほどの稼ぎを得られるような世界ではない。


 心の調子を崩したことを覆い隠すための嘘でしかなかった。


 喜んだひとがいるとしたら、私に作家としての成功を求める元妻と「あぁ若い。若い作家は後先のことなんて考えず、突き進めばいい」と私に無責任な言葉を投げたKさんくらいのものだ。


 会社を辞めてからも、どんどん作家としての評価は落ちていった。当然の反応だ。Kさん以外の編集者からは見向きもされなくなり、そしてKさんはただ首を傾げるだけだった。「おかしいなぁ。こんなに売れそうなのに……」と。


 Kさんは何故私を選んだのだろう、と思わなかった日はない。他のひとを選んでいれば、私の心がこんなにも傷つくことはなかった。


 彼は私の作品が売れない理由を、私の作品が古いからだ、と断定した。今でも、一言一句間違えずに思い出すことができる。「作家はつねに新しいものが求められ、もうきみの作品は色褪せて、戻ることがなくなってしまったんだよ……」と自分の感性の古さを棚に上げて、Kさんが言ったのだ。私はその言葉に耐え切れずに、気付けば彼の顔を殴り、絶縁状態になってしまった。


 元妻との関係が修復できないほど悪化したのも、この頃だ。彼女は事あるごとに、「売れない作家が偉そうにするな」という暴言を私に投げ付けたが、作家に戻る気のなかった私をその最低な世界へと引きずり戻したのは彼女だ。「私はもうあなたがいなくても困らないけどね……」私を見て嗤った彼女が不倫をしていることは知っていた。本当にその言葉通り、彼女にとって私は必要のない存在になってしまっていたのだろう。彼女が求める理想の作家の妻に、私と婚姻関係を続けても永遠になれないと、とっくに彼女は気付いてたはずだ。


「俺にとっても、もうきみは必要ないよ」


 もうこれ以上、彼女と関係を続けたくない。彼女といることは私の苦しみでしかなかった。だから私は彼女にそう告げた。つねにパワーバランスが彼女のほうが圧倒的に上だった私たちの関係において、私のその言葉は絶対にありえないものだった。それを知っていたからこそ、私ははっきりと言葉にした。彼女の受ける屈辱と怒りは相当なものだったはずだ。


 だけど……これでふたりからようやく離れられる。そこにあった感情は安堵だった。


 そんな時期にテレビのドキュメンタリーに出演することが決まり、私の出演はほとんどなかったが、彼女は見事な良妻を演じ切った、と聞いている。伝聞なのは、私がいまだにその映像を見れずにいるからだ。嘘だらけの言葉は嫌いではないが、自分が関わっているとなると話は別だ。見たくはない。


 相当、彼女は私を恨んでいたはずだ。それは私にとっては逆恨みだが、彼女にとっては正当な恨みだったはずだ。通販サイトの私の作品に低評価レビューを付けるなんていう嫌がらせが、その証拠だ。憎しみ以外であんなことをできるはずがない。


 ただあれによって私が傷ついたか、というと、ほとんど無傷だった。私が自分の作品へのレビューを異常に気にしていたのは、自分の作品を否定してくれ、という投げやりな気持ちがあったからだ。


 なんであんなにも大好きだった小説に、そして特別に想っていた自分の作品に、こんなにも複雑な気持ちを抱かなければいけないのだろうか。この苦しみを作った彼らに、私は殺意にも似た怒りを覚えていた。


 傷ついていないのに、元妻を侮辱罪で訴えた理由はこれしかない。


 低評価レビューを読んだ時、ひとつだけ気になることがあった。小説をほとんど読まない彼女は、同様に私の小説など一冊も読んだことがないはずで、いくらなんでも低評価レビューを付けるために全作品読む、というのは現実的でもない。なのに、レビューの端々には核心に触れるようなところもあったのだ。


 そして鈍感な私は離婚の後になって、ようやく気付く。


 何故、Kさんが私を選んだのか。そして何故、売れない私の作品を出し続けてくれたのか。もっと早く気付くべきだったのだ。そもそもKさんは、かつて若い女性作家とのスキャンダルが大騒動になったり、と女性トラブルに事欠かないことで業界では有名だった。


 最初からふたりにとって私は、使い勝手の良いただの駒だったのだ。私が仮に失敗しても彼ら自身に痛みはない。


 私が何か悪いことをしただろうか。私は小説が好きなだけの、そして小説を好きでいたいだけの人間でしかなかった。それ以上なんて望むつもりもなかった。そんな私を標的にした彼らは、そんな私をただの運の悪いやつで済ませるのだろう。


 もうふたりとは決別している。今後、会うこともない。それを理解していても、ふつふつと込み上げる怒りを抑えることができなかった。


 私はKさんの自宅に乗り込み、そしてその寝室には彼女の姿があった。


 その後のことはあまり覚えていない。


 冷静さを取り戻した時、血だまりの部屋で生きているのは私だけだった。私はふたつの死体を車に乗せ、山中に隠すように棄てた。埋めるのが理想的だったのは分かっているが、たったひとり大きなシャベルを使って穴を掘る、というのは、現実では想像以上に過酷で諦めるしかなかった。


 その後、ぽつりぽつりと何故かまた文筆の仕事が来るようになったのは、ふたりがいなくなったおかげだろうか。だけどそんなものは、もういらない。


 ようやく私は書かなくて済むのだから。


 私は小説を書くことが好きで、かつて小説家になりたかった人間だが、小説家になるべき人間ではなかったのかもしれない。


 だけど最期の際の際まで、私は文章を書いている。それはやっぱり私が書きたかった文章ではない。私はこんな文章を書きたくて、小説を愛したわけではない。


 私がもっとも憎み、殺したかったのは、彼らなんかではなく、意志の弱い私自身だったのだろう。


 人によって書かれる限り、言葉にはつねに裏がある。


 だけど……、


 私はふたりの人間を殺し、この文章を書き上げるとともに自らの命を絶つ。




 ここに嘘偽りはない。すべて真実である。






〈週刊誌『週刊夕陽芸能』の記事より一部抜粋〉




「崖下で発見された作家と謎めいた小冊子」




 先日、福井県相々市の崖下で倒れている男性が発見される、という出来事があった。意識不明の重体ではあるものの奇跡的に一命を取り留めた男性は、以前より行方不明で捜索願が出されていた作家の佐藤蓮氏である。倒れていた彼のそばにはおそらく彼本人が作ったと思われる小冊子が落ちていたとのこと。佐藤氏が、不倫関係にあった元妻と編集者を殺害し、自らも死を選ぶ、という内容で、その衝撃的な告白に、出版業界が大騒動となった。しかし調べてみたところ佐藤氏が殺害したとされるふたりは今も存命であり、小冊子の内容は創作であると断定された。


 ただ佐藤氏自身が意識不明の重体で発見された、元妻と編集者のふたりが不倫関係にあったことを認める……など、事実に沿った部分があまりにも多いことは間違いなく、出版社数社が佐藤氏に承諾を取れ次第、書籍化しようと画策している、という噂が筆者の耳にも入ってきている。


 現在、佐藤氏は他者と会話のできる状況ではないため本人に確認するすべはないが、その小冊子の内容を伝え聞いた筆者が想像するに、その書籍化を彼が望むはずはない、と思うのだが……。

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