君は今でも歌っているかい
***
「何してるんですか、奏さん」
いつまで経っても部屋から出てこない彼女を呼びに来てみれば、積み上げたアルバムに囲まれているではないか。大方、たまたま一冊手に取ってから止められなくなったのだろう。
「あ。……ふふ、渡り鳥さんだ。それとも鯨さん?」
「また随分と懐かしい呼び方を……何年前の話だと」
「もう何年経つかなぁ。今写真を整理してたの。見て、小学生の私。たぶんあなたと初めて会った頃じゃないかな」
ランドセル姿は確かに懐かしい。ひとつハッキリさせておきたいのは、間違いなく、当時の俺は恋などしていなかったということだ。それには自信がある。とはいえ結果的に現在の関係に落ち着いたことを思うと、なんとなく申し訳ない気がしてしまうのは何故なのか。
お嫁さんになってもいいよだなんて。子供の戯れだったはずなのに。
「あの神社って、たくさん階段のぼらないといけないでしょ」
罪悪感に浸っていた俺を気にする様子もなく、奏さんは楽しそうに目を細める。そういえば俺も不思議に思っていた。まだ俺がいるとも知らないはずだった初対面の日、どうして彼女がわざわざあんな場所に来たのか。
「初めてあなたに会ったとき、私呼ばれた気がしたの。だから階段をのぼってあの場所に行ったのよ。きっと、さみしいって声が聞こえたのね」
「……そんな大きな独り言を溢した覚えはありませんよ」
「はいはい、強がり強がり。恥ずかしがりの渡り鳥さん」
「あなたという人は……」
鯨に思いを馳せたいつかの夏。彼も自分と同じように周りと合わせて生きていると考えていた。でも違うんだ。五十二ヘルツの鯨は、擬態などしていなかった。
“五十二ヘルツの鯨”と呼ばれるそもそもの理由。彼は最初から、他のどんな鯨とも違う声音で堂々と歌い続けていたのだから。
(同じにならなくても一緒にはいれる、か)
理解されない、理解できない。今でも自分という人間は変わっていないと思う。ただ、そのままで在ることを認めてくれる友人が出来ただけ。そしてその小さな友人が、今では愛しい人になった。それだけのこと。それだけでいい。
「そうだ。ねぇ、久々に鯨の絵を描いて。お願い画家先生」
茶化す笑顔は今も華やかだ。俺から見た彼女は、少女の頃と変わらず花のように可憐だった。
「ならいい加減いつものように呼んでください。俺は、あなたに名前を呼ばれたい」
五十二ヘルツの鯨。君は今でも歌っているかい。
例え独りに思えても、心を許せる誰ががいれば孤独ではないと。君は、きっと知っているんだろうな。
花は咲み、鯨は夏に歌う 藤咲 沙久 @saku_fujisaki
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