第五話 放課後譚
☆☆☆その①☆☆☆
教室でクラスメイトたちが、弧燃流についてアレコレと話している頃、校門付近では、話題にされている少年が、やはり人目を避けるようにコソコソと下校をしていた。
「よし、先生はいないぞ…っ!」
校門近くの植木に身を隠し、最も人が少ない瞬間を見極めて、素早く校外に脱出。
影が走るような一瞬の素早さは、まさに忍者のそれであった。
校門から急いで、朝に来た道を屈んで走って下校。
姿を隠すようにカバンを抱えて、音もない速足で、生徒たちが行き交う表通りを曲がって、更に人のいない裏通りへ。
「はぁ、はぁ…早く、帰りたい…」
泥棒でも気づかないような無音の足で、遠回りでも裏通りを、家へと速足。
裏通りを歩くのは、人込みを、というか女生徒たちを避ける為だけではなかった。
「今日は、どうかな…ああっ!」
裏通りから表通りへと続くギリギリの角地にある、小さな洋菓子店。
若い夫婦が営んでいる「ほまれ屋スィーツ」は、何を隠そう弧燃流が唯一、女性店長でも入る決意をするほどのお店であった。
運が良ければ若旦那の男性パティシエさんが接客をしてくれるし、若奥様の店長さんに当たったとしても、怯えながらの小声な弧燃流の注文を、イライラしたり急かしたりせず辛抱強く、優しく聞いてくれるのだ。
そういうトコロは、乱暴者な姉の波流香も、ぜひ爪の垢を煎じて飲んでほしいと、心の底から思ったり。
また、弧燃流がどうしてこのお店に、月に一度くらいとはいえ、決死の覚悟で入店できるのか。
それは、眼鏡のコミュ障少年が、ケーキや和菓子が大好物な、スウィーツ男子だからである。
弧燃流が十五歳の誕生日に、母がこのお店のケーキを買ってきてくれて、食べたら、超絶に美味しかったのだ。
イチゴのホールケーキは、クリームの甘さが絶妙で、スポンジ部分もフワフワ食感。
クリームでのデコレートも派手過ぎず地味過ぎずで、かなりのハイセンス。
イチゴも甘くて微妙に酸っぱくて、食べるとイチゴの香りが口の中いっぱいから鼻の奥まで広がる夢心地。
今まだ食べたイチゴケーキの中でも、これほどまでに美味しい、シンプルなイチゴケーキを、弧燃流は知らない。
それ以来、チャンスがあればこのお店のケーキを買って食べたいのに、いつも若い女性たちが並んでいたりする。
少年自身がケーキを買えた事なんて、二度ほどしかなかったりする人気店だ。
今日も、思い切って死んだ気になって、女性店長でも入店する覚悟。
それくらい、弧燃流は甘いお菓子が大好きなのである。
☆☆☆その②☆☆☆
でも。
「今日は駄目か…しかし、うぅ…」
お店の前に立てられた、高さ一メートルほどの黒板のボードには、新作のイチゴケーキ「ストロベリー・プリンセス」なる紹介が描かれていた。
「た、食べたいなぁ…」
お店の女性客がいなくなるのを、電信柱の影で二時間以上も待ち続けた弧燃流が見届けたのは、最後の一つが売り切れて看板が下げられる、悲しい瞬間だった。
「そ、そんな…」
ガックリと肩を落とした小柄な少年は、それでも表通りに出る事なく、裏通りを複雑にクネクネ曲がりながら、帰路に就いた。
トボトボと家に帰って来た、昼下がりの、弧燃流の実家。
母親への帰宅の挨拶もそこそこに、自室へと逃げ込むと制服を脱ぎ捨てて、怯える子猫の如くベッドの中へ。
掛け布団にくるまって外界の光までもシャットダウンすると、心の底から安堵が出来る。
「…はあああああぁぁぁぁぁぁぁ……今日も学校が終わった~…♪」
ベッドの中でゴロゴロと転がって、安心感を満喫する眼鏡の少年。
右を向いたり左を向いたりと寝返りながら、シーツとタオルケットに挟まれる肌の感触という、底深い安心感に身を委ね続ける。
「はあぁ~……もう明日まで、このままでいいんだ……誰にも、文句を言われる筋合いなんてないんだ…」
そんな幸せを噛みしめつつ、やはり思う。
「…ストロベリー・プリンセス…食べたかったなぁ…」
明日もまたチャレンジするか。
しかし平日でも女子学生とか多いし。
今日だってお客さんの大半は女子生徒だったようだし。
でもやっぱり、食べたいなあ。
などと苦悩をしていると、ズボンのポケットに突っ込んであったスマフォが、震えながら着信コールをしてきた。
「ひぃっ–だだだっ、誰が僕にっ!? アっ、アドレスなんかっ、–ク、ク、クラスの誰にもっ、教えて、ないのにっ!」
恐る恐る、震え続けるスマフォを手に取る。
「ま、まさか、姉ちゃんが『荷物運び手伝え!』とか……!?」
そういう呼び出しが、何度かあった。
一度目は気づかないふりをしてスルーしたけど帰宅した姉のバックドロップで反省させられ、二度目の時は高校の女子陸上部部の荷物運びに駆り出され年上の女子たちに囲まれた。
また、あのような恐ろしい場面が。
「うぅ…あ…」
不安に怯える弧燃流は、画面を見て、落ち着きを取り戻した。
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