君と互いの星を数えて

藤咲 沙久

君と互いの星を数えて



 キラキラ、チカチカ。それはまるで夜空。




「聞いてますか、高野たかのくん」

 春休みも間近に迫った、広い講義教室の端。授業前、ざわめきの中で小さなプラネタリウム鑑賞に浸っていた俺を呼び戻したのは、訝しげな椎名しいなの声だった。

「ん? ああ、聞いてるよ」

 嘘をつくのは得意じゃない。椎名もそれに気づいているだろう。それでも耳はともかく意識を彼女に集中させていた事実があるので、俺は堂々と続きを促した。

 わずかに咎めるような視線を寄越したものの、椎名も薄い唇を再び開く。

「それで、まずは筋トレをすることから始めたんですけど」

「ごめん俺が悪かった聞いてなかった、何の話だそれ」

「腕を鍛える話です」

 筋トレなんだからそりゃ鍛える話だろう、そうじゃない。前提だ、俺の聞いていなかった大事な前提があったはずだ。そして聞いていなかったことを素直に白状されたとしても、その大前提をすっ飛ばして説明するのが椎名という女の子だ。

 俺としてもそれはよくわかっているので、それ以上引き出すのは諦め予測しながら耳を傾けることにした。

「それで、ヒトデの型を探してたんですけど」

「ごめん俺は悪くない聞いてはいたんだ、何の話だそれ」

「動物ばかりより可愛くなるかもって話です」

 椎名、椎名よ。脈略とはいったいなんだったか。

 もはや苦笑いを浮かべるしかなく、会話の着地点も見失いそうだ。そもそも見えてない。それでも小さな口で一生懸命喋る彼女に呆れずに付き合ってしまうのは、キラキラと光る瞳を見ていたいからだった。

 キラキラ、なんて言葉は子供っぽいだろうか。けれど他にいい表現も思い付かない。大きめの目は人よりも深い夜色に見えて、彼女が話をしている時やお菓子を食べてる時──見ている限りとりわけチョコに反応を示す──とにかく楽しそうにしていると、そこに星が浮かんでいるように輝いて見えるのだ。

(……詩人じゃあるまいし)

 瞳が眩しくて素敵だよ、だなんて。現実の大学生風情が言えた台詞ではない。そっと胸にしまうに限る。

「高野くんは変な人です」

 またも椎名の煌めきにばかり気をやっていた俺に、彼女は今度こそ責める声音で言った。

「なんというか、とても、楽しそうというんでしょうか。目をキラキラとさせて私の話を聞いてくれるから、ついついたくさん喋ってしまうんですよ私。なのに時々高野くんは、私を見ながら上の空ですよね?」

 は、とか、え、とか。俺は無意識に何か単語にならない音を溢した気がする。俺が躊躇った表現をさらりと口にする素直さにも驚きつつ、頬が熱を持つのを感じた。

 俺が楽しそうだったっていうなら、それは君が楽しそうだからだ。

 そんな風に伝えてみたら、俺たちは同じ授業を取っているだけの友人から、少しだけ関係を変えられるだろうか。

「……椎名、あの」

「高野くんが本当に聞いてくれていたなら、これが何かわかるはずです」

 知らず掠れてしまった声を遮って、俺たちを隔てる机の上に、椎名は透明な包みを優しく置いた。残念ながら聞いていなくともわかる、どう見てもクッキーだった。俺の気持ちも残念でならない。

「何をしょげているんです。問題はそこではありません」

「あー、うん。わかった、形だ。猫っぽいのと熊っぽいのが動物うんぬんのくだりで、どう考えても星形なのがヒトデってことだな」

 ヒトデなんです! と強く主張したあと、椎名は恥ずかしげにコホンと咳払いをした。

「やはり聞いてませんでしたね。これは高野くんに作ってきたんです。先月、お腹が空いて空いてひもじい思いをしていた私にチョコレートをくれたでしょう? 謂わば、少し早いホワイトデーのお返しみたいなものです」

 奇しくも先月の十四日だったその偶然を、覚えていたというのか。女の子からチョコを貰えないどころか手持ちのおやつを分け与えるという間抜けをやったはずだったのに。

 意図したものでもなく、また順番や意味もあったものではないが、口の端がうずうずとした。

「ありがとう……うん、その、嬉しい」

「喜んでもらえたなら何よりです」

 キラキラ、チカチカ。夜空のような瞳がキレイに光るのは、これも、俺が喜んでいるからなのであればいいなと思う。

「ところでさ、椎名」

「なんですか、高野くん」

 教室の入り口から講師が入ってきたのを確認して、慌てて包みを荷物にしまいながら椎名に視線を向けた。椎名の顔をしっかりと見る。

「最初からクッキーの話、してたんだよな。筋トレってなんだったんだ?」

「ご存知ありませんか。お菓子作りというのは、とても腕力と体力が必要なんですよ」

 女の子らしい笑顔を浮かべながらのあまりにたくましい発言は、ついに鳴り響いたチャイムにも負けず耳に届いた。そのちぐはぐな可愛さに、俺は授業が始まったというのに声をあげて笑ってしまった。

 椎名もつられたように微笑む。どうか、この優しいループをいつまでも。


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君と互いの星を数えて 藤咲 沙久 @saku_fujisaki

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