オリジオン (「声を届けて......」スピンオフ)

春嵐

00.オリジオン

 オリジオン、という名前だった。


 好きではない名前。


 父方も母方も、この国の人間ではない。でも、自分は、この国の人間。


 不思議な感じだった。所属する組織や、国が、わからない。ナショナリズムや、団結応援意識が、持てない。


 幼稚園でも、浮いた。


 子供の遊びに、付き合えなかった。


 隅で、ひとりで本を読んで過ごす。幼稚園には絵本しかなかったので、自分で漫画や本を持ってきて、読んでいた。


 幼稚園が終わると、研究所に帰る。


 家がそのまま研究所になっていて、父親と母親が研究を行っている。


 私への接し方は愛のあるものだったけど、それでも、被検体だという気分を、捨てることができなかった。


 肌の色が違う。


 知能が違う。


 成長度合いが違う。


 なんでもいいから、自分と同じものが、ほしかった。友達でもなんでもいい。


 自分を、自分扱いしてくれる、誰かがほしい。自我同一性を定めてくれるような、誰かが。


 いつものように退屈な幼稚園を終えて、退屈な研究所へ帰った。


「おかえり、オリジオン」


 オリジオンという名前が、好きではなかった。ナツカという名字も微妙。


 唯一、この国に帰属するときに付けた名前だけが、好きだった。酒彩さやか。酒という飲み物に、憧れた。人を、つらい気持ちやおそろしさから逃れさせてあげられるらしい。最後まで、人に寄り添う飲み物。


 いちど、飲もうとして親に見つかったことがある。取り上げられた。叱られると思ったが、もっと自分を大事にしろと言われただけだった。


 愛のある言葉のはずなのに。


 どうしても。


 自分が被検体だからなのか、と、思う。


 研究所。


 自分の部屋。


 たぶん、どこか私の分からないところにカメラがあって、今日も知能指数とかを検査されている。


 退屈だった。


 部屋。


 誰かが。


 いる。


「誰」


 親からは、何も言われていない。


「あなたも、被験者、なの?」


 小さなこども。おんなのこ。声に気付き、こちらを向く。


 そして。


「わたしは誰」


 喋った。


「だれって、わたしも知らないけど」


「あなたのこと」


「わたし?」


「どなた?」


 同世代の子どもだから、やっぱり会話が通じない。知能指数が著しく離れていると、会話は成立しない。


「わたしは。酒彩。ナツカ・酒彩・オリジオン」


「わたしは、ええと、


っていう名前なの?」


期弥きみ。期が苗字で、弥が名前」


「べつな国の人?」


「うん。あなたと同じ」


 わたしと、同じ。


「どうして、ここへ?」


「連れてきてもらったの。たぶん、あなたの、おとうさんと、おかあさん」


 被検体を、増やしたのか。


「そうなの。あの二人のことは知ってるのね?」


「やさしいひと。期弥、好き。おとうさんと、おかあさんって、呼んでいいって」


「よかったわね」


 なんとか、会話はできる。この期弥という子も、知能指数がかなり高いのかもしれない。


 期弥。何かを、話しかけようとして、やめるしぐさ。


「なによ」


 無言。


「話していいわよ」


 無言。迷いが見える。ここは、幼稚園児らしいしぐさだった。


「わたしを見てくれるひとが、ほしい」


 自分の思っていることを言われているようで、びっくりした。


 期弥。明るい顔。


「わたしも」


 自分で会話してるのか。


「わたしも。みて、ほしい。わたしを」


 何を言ってるのか、分からない。


 期弥。また、黙った。話しかけようとして、やめるしぐさが続く。


 話しかけてほしいのだということに、ようやく気付いた。


「わたしから話しかければいいのね」


「うん。はなしかけて」


「何を話せばいいかしら。ええと、あなたの生い立ちを、おしえて?」


「生い立ち。ごめんなさい。ないの」


「ないの?」


「生まれたときから、こわがられてて。占いに使われてて。わたしが唯一喋れるのは、ごめんなさい、だけ。これだけ」


「そうなの」


 わたしの両親は、いいひとなのだろう。


 どこかでひどい扱いを受けているおんなのこを、救って研究所に連れてきた。


 そして。


 研究するのか。


「ここに来たのは、研究されるためなの?」


「研究」


「そうよ。今もたぶん、どこかで見られてる」


「それは、あなたが大切だから、だと思う」


「そうよね。でも、被検体扱い」


「ひけんたい」


「モルモットよ」


「もるもっと」


 語彙力が、足りない。やはり、歳相応の幼稚園児か。


 言葉を待った。


 期弥。また、話そうとして言葉をつぐむ。


「なんて訊けばいいのか分からないわ」


「ごめん、なさい」


「謝らなくても。ええと、そうね、私たちは実験されてる。わたしたちの違いとか、そういうのならどうかしら」


 細かい質問なら、話せる範囲が広がるかも。


「ちがう。実験されてない。被検体なら、私たちの頭には測定装置がついてるし、コミュニケーションも、たぶん阻害される」


 語彙力。こちらが思ったよりも、通じている。


「なんで、そう思うの?」


「いままで、利用されてきた側だった、から。占いで」


「占い。どういう占いなの?」


 訊き方が分かってきた。具体的で細かいコミュニケーションをすればいい。固有名だけだと、言葉が反射される。


「深層心裡を話すの。わたしね、自分から喋るとき、話し相手の心裡がわかるの」


「心裡。心裡って、どの心裡?」


「こころに、うち。ころもへん」


 漢字もわかるらしい。私と、同じ知能指数はあるかもしれない。


 それだけで、なぜか、うれしい。


「むずかしい言葉使っていいかしら。あなたは、発話するときに、相手の心裡を反射して口に出すのね?」


「うん。言語野のニューロンの受け手が異常発達してて、他者の脳の電気信号と混線するの。発話するときだけ」


「じゃあ、受動のコミュニケーションなら混線は起こらないのね」


「うん。思考に言語野が割かれるから」


「頭がいいのね」


「頭がいいの」


 ほめるだけだと、固有名詞と同じ、反射に近いコミュニケーションになる。それも分かった。


「わたしの今の心裡を、発話してもらえる?」


「え、でも」


「大丈夫よ。どうせつまらないとか退屈とか、思ってるんだから」


「こまったなあ」


 黙った。


 気になる。


 期弥。迷って、それでも、決心した表情。


「うれしい」


 発話。


 自分と期弥が、同時に驚いた。


 そして、同時に、笑う。


「うれしいのね。わたし」


「わたしも。わたしもうれしい」


「同じことを思って、会話ができる、ひとに。会えたの。うれしい」


「わたしも。生まれてはじめて、この発話で、うれしいって、思った。いままで」


 期弥。涙。急に泣きはじめた。


「いままで、どうしたの。どういうことがあったの?」


 会話が止まってしまったので、訊いてあげる。なるべく広めに、それでいて、具体的に。


「いままで。人に使われて。知らない人の心裡を発話して。でも。発話されるまで私も分からないの。こわい。こわかったの」


「こわかったのね。人の心を覗くのが」


「こころが、こわい」


 泣きじゃくりはじめる。


「そうね。こわかったね。ひとりで」


 近寄って、抱きしめてあげる。


「ごめんね。まだ小さくて」


 もっと抱擁力があれば。子どもであることを、いつも以上に、悔やんだ。


「ごめんなさい。ごめんなさい」


「いいのよ。ごめんなさいって言わなくても」


 きっと、期弥が混線しない唯一の言葉が、ごめんなさい。


 ごめんなさいと言うことしか、自力で能動のコミュニケーションができない。


 そのごめんなさいすらも、生きるためだけに身に付けた、ぎりぎりの反応。


「謝らなくていいの。いいのよ。わたしの心裡なら、いつでも喋れる。私は、知能指数だけ無駄に高いから」


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」


「わたしを信じて」


 期弥。泣きながら、こちらを見る。腕のなか。


「すき」


 ちょっと、びっくりした。ふたりとも。


「そうね。すきだけど」


 期弥。泣きながら、わらった。


「すき。わたしも。わたしもすき」


「好きなら、発話できる。うれしいね」


「すき。だいすき」


 私も、泣いていた。


「オリジオン。だいすき」


 自分の名前が、その瞬間から、好きになった。

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