生命の輝き

海野しぃる

踊っている。跳ねている。弾んでいる。だから生きている。

【研究員の実験記録を再生します】

【心身に不調が起きた際は即座に再生を中止し、カクヨムサイト機能を用いてレビュー形式で感想に偽装した上、症状をご報告ください】


 赤黒い粘液で構成された真球が蛍光灯の光を反射してテラテラと輝いていた。

 俺の見ている前で血色の良い唇が現れてパクパクと開閉した。

 見る間に歯、舌、声帯が構築されてペラペラと喋りだした。


「センパイ、ぼーっとしてないで起きてください」


 それは生きている。

 それは視覚を持つ。それは聴覚を持つ。それは嗅覚を持つ。それは触覚を持つ。それは味覚を持つ。

 なにより、対話可能な知性体である。

 “生命の輝き”、博覧会はくらんかいのお偉方はヒカリをそう呼んでいる。

 1970年以来となる新しい成果なのだという。俺はこの“生命の輝き”の性能を試験したり、話相手となって記録を残したり、組織を分析して研究データをとっている。


「悪いヒカリ。少しぼんやりしてた」

「いよいよ実験も最終段階ですよ! これで私も外に出られるようになります……楽しみですね、センパイ!」


 赤黒い粘液を纏う球体“ヒカリ”が嬉しそうに声を上げた。

 それからポコンと音を立てて浮かび上がった眼球が、パチリとウインクしてからすぐ沈む。

 最初の一週間は頭がどうにかなりそうだった。

 一週間だ。一週間で、違和感は消えた。


「ああ……そうだな」


 俺はどうかしてしまった。今更ながらこんな実験を引き受けたのは失敗だったと思っている。だが、それでも辞められない理由があった。


「「そういえばセンパイ」」


 赤い球体が真ん中から割れて二つに分裂した。

 そして、また、一つになる。球体を二つくっつけたような形だ。


「なんだ?」


 最初の頃はもう随分悲鳴をあげたが、今では少し可愛いと思えなくもない。俺の頭はいよいよどうかしてしまった。


「センパイは、なんで博覧会ここの実験に協力するようになったんですか?」

「俺の先輩がさ。ここに就職したんだよね」

博覧会はくらんかいにですか?」

「ううん、ウーバーイーツの配達パートナー」

「ウーバーイーツ? それはなんでしょう?」

「食事の出前サービスみたいなものかな。ピザとか、天丼とか、運んでる」

「うわぁ! 素敵です! 美味しいご飯をみんなに届けるって、皆を幸せにすることですよね! 私もセンパイの先輩みたいになりたいです!」


 良いものじゃない

 大学院を出た後、結局就職活動が上手く行かなくなっただけだ。バイオ系は需要があると言ったところで、まあ結局駄目なものは駄目だし、駄目な時は駄目。

 あと、俺の場合は病気もある。こんな身体では、研究者なんてとても続けられない。


「それは結構だ。俺もそれを見て感動してな。研究の仕事をなんとしてでも続けたくなった。丁度ここでも行き場のないバイオ系の研究者を募集していた。渡りに船だった」

「そうして私とセンパイは出会った訳ですね!」

「そういうことになる」


 目の前の球体が嬉しそうに踊り、二つから三つに増えた。繋がった三つの球体が、実験台の上で跳ねている。跳ねる度に、四つ、五つ、いくつもの球体が重なって輪になる。弾んでいる。粘液が実験台に叩きつけられて響く水っぽい音が、俺とヒカリしか居ない部屋の中にこだました。


「それでセンパイ! 今日の実験はなんなんでしょう! 耐久試験ですか、消化試験ですか、それとも……」

「記録によればお前に知性が備わってから今日で六ヶ月が経過した」

「センパイと出会って実験のお手伝いを始めてからは四ヶ月です! 記念日ですね! パーティーしましょう!」

「そうだな。それは後でやろう。博覧会は“生命の輝き”に対して現行人類に比肩する知性が存在すると認めた。そこで実験は次の段階に進む」

「わぁ! 人間と同じですか?! すごいです!」

「お前のことだよ」

「えへん」


 ムフン、と鼻息を荒くする赤い数珠。こいつと会話すると何時もそうだ。こいつが、見慣れたもののように見えてくる。案外、そこまで怖いものじゃないんじゃないかと思えてしまう。


「次の実験は、お前自身に“生命の輝き”の来歴を聞かせるというものだ」

「私は博覧会における十分なセキュリティクリアランスを保持していません。そんな話を詳しく聞いてよろしいのでしょうか?」

「お前に対して情報のロックを解除する許可が出た。話を通すのにここ二週間くらいずっと会議しっぱなしだったよ」

「ああ、だから毎晩おかえりが遅かったんですね! 顔色が悪かったので心配していましたよ! センパイの体調管理も私の役目ですから! センパイは持病があるんですから無理をなさってはいけません!」

「分かってる。だが今日はお前と話すだけだ。面倒なPCRも、時間のかかるゲル泳動も、何も要らない。今日はゆっくり眠るから安心してくれ」


 ヒカリはホッと安堵のため息をついた。


「では聞きます!」

「よろしい。話の始まりは1970年の大阪万博に於いて行われた実験だ。それは人間の認識にまつわる大規模な実験で、万博のマークをとして認識するかどうか、世界中の人間をテストしたらしい」

「あっ、お母さんの似顔絵ですね! よく似てますよね! ねぇ?」

。お母さんっていうのはよく分からないけど、俺もよく似ていると思うよ」

「私もよくわからないんです。けどお母さんだっていうのは分かります!」

「お母さんか……まあ確かに、そうなのかもな。けどヒカリ、君のお母さんは人間なんだよ」

「え?」


 正確には君の素材は胎児なんだよ、と言うべきか。

 生まれる前の子供たち、生まれなかった子供たち、博覧会が日本各地の医療機関から収集した5894例の胎児サンプル。そこから生まれたのが“生命の輝き”だ。

 だがそこまで悪趣味に伝えなくて良いと言われている。

 俺もそうしたい。彼女は可能性だから。


「君は死ぬ筈だった人間を使って、1970年に地球に発生した“お母さん”が作成した生き物だ」

「そうなんですか~!? てっきり人間じゃないとばっかり思ってました!」

「君だってある意味人間だ。人間にとって大事なものは思想であり、思考であり、自己であり、自我だ。君の名前は?」

「ヒカリです!」


 嬉しそうに叫ぶ。眩しかった。


「そう、それだ。君は名前を持っていて、俺と話していて、実験データの考察まで手伝ってくれた。だから人間と変わらないと思う……俺はね」

「本当ですか!? やったぁ! 私も人間! 私も人間! センパイと同じ! 仲間ってことですね!」

「そうだな。そこらの人間より、君のほうがよっぽど人間らしい」

「考えたり、名前を持ったり、こうやってコミュニケートするからですか?」

「ああ、そうだ。そうだと思う。博覧会ここのお偉方は、そう考えたんだと思う。だから――君たちを“生命の輝き”と呼んだんだ、ヒカリ」

「――アハッ」


 ヒカリが恥ずかしそうに、でも本当に嬉しそうに、唇の隙間から笑い声を漏らす。

 その時だ。

 赤い粘液の数珠だったヒカリの体が増殖した。

 細胞分裂と同じように、数珠は二つに。

 見ている間に四つに。

 増えた数珠は絡まりあい、増殖し、分化し、新しい形を作っていく。

 変わらないのは俺と会話する為の人間を模した口と声帯だけ。


「嬉しい……嬉しいです。センパイ!」

「センパイね……。なんか俺の先輩思い出しちゃうからさ。名前で呼んでくれ……有葉あるばでいいよ。有葉あるば緑郎ろくろうでさ」

「では人間の流儀に合わせて……緑郎センパイ!」

「ずっと思ってたけどなんでセンパイなんだ?」

「人間としての先輩ですから!」

「ああ、そういうことか。そうか、それなら……そうだな。それもいい」


 赤い数珠は増えて増えて増えて増えて増えて増えて、形を失い、溶け合い、判別のつかない極小の球体が寄り集まって漆黒の原形質めいた非常に粘性の高いゲル状の生物になる。これまでの“生命の輝き”とは異なり、人間一人分くらいのサイズはある。


「センパイ?」


 タール状になった黒い“生命の輝き”は、身体の端から燃えるように赤くなって、全身が泡立ち弾けて煙を吐き出す。泡の一部が固定化して、全身が奇妙に膨らんだ異形の、人間の胎児や魚に似たデザインにまだ不完全な目がついている。そしてそれは重力を無視してゆっくりと宙へ浮かび上がり、俺に近づいて心配そうに触腕を伸ばし、頬に触れる。


「どうしたんですか、センパイ、顔色が悪いですよ?」


 煙の中に港の近くで漂うみたいな磯臭さが混じってくる。それに血の匂い。二つが混じって魚の血抜きでもしているようだ。不完全な目からまぶたに相当するパーツが剥がれ落ちてそれがまたヒカリの体内に触腕によって取り込まれて作り変えられて。発生している。新しい肉体、人間に近い肉体、魚も混じっている。エラらしいものがパクパクと開いては酸素を求めている。おかしい、なにもかも。いや違う。おかしいのはお前じゃないのか。有葉緑郎。おかしいのは、お前だろう。


「あれ? センパイ、顔が……」


 鱗がポロポロと剥がれ落ちている。いや、違う。変化している。糸だ。陸上に適応する進化の後追い。鱗ではなくて体毛だ。人間に近づいている。これは模倣ではない。猿のような、人類の遠い祖先のような、上手く声が出せなくて少しだけ苦しそう。けどすぐに、人間に近づいていく。まだ十代前半の、少年とも少女ともつかない風貌に、ヒカリは変わっていく。体毛だったものを衣服のように加工して、今はまるでレインコートかなにかを羽織っているように見える。


「センパイ、そんな顔なさってたんですね!」


 ヒカリは、男性とも女性ともつかない美しい顔で、ニッコリと笑った。

 実験結果を報告しなくてはいけない。すぐに。それが俺の生きている意味だ。伝えなくては、少しでも早く。


「ヒカリ、少し外で待っててくれ。念の為、医療班にも連絡を」

「やっぱり具合が悪いんですね!? ご病気のせいでしょう!? うぅーっ! やっぱりなんか変だと思ったら……いけませんいけません! だからもっと早くお休みになるべきだったのです! とにかくすぐにベッドにつれていきますから!」


 ヒカリは俺の肩を揺さぶって不満たらたらの顔をする。


「悪かった。けど頼む。少し席を外してくれ。監督者と実験結果のディスカッションが必要だ。可及的速やかに。

「すぐ戻ってきますからね! おとなしくしててください!」


 そう言ってヒカリは俺の研究室を飛び出していく。彼女は出来の良い個体だ。施設内の一部区画を自由に行動することが認められている。医務室までは行ってくれるだろう。

 通信機を起動して、この研究所の所長との通話を開始する。


「“生命の輝き”と会話を行った結果、“生命の輝き”を人間の個体に近いものとして認識可能になりました」

「素晴らしい。我々の想像以上の結果です。有葉さん、よく頑張ってくださいましたね」

「あれはなんだったんですか。何も聞かない約束でしたが、もう良いでしょう。今更他所に行くつもりもない」


 所長は回線の向こうで少しだけ沈黙した後、話を再開する。


「“生命の輝き”は認識を汚染することで同族を増やしていく特殊な生態を持っています。君たちが相互に同族として認識することに成功した為、君も“生命の輝き”の一部となっています」

「だから話して良いと。一体なんでこんな実験を」

「医療行為です。“生命の輝き”は、同化した対象の疾患や臓器不全を治癒します。ですが……本来ならば“生命の輝き”の繁殖に巻き込まれれば自我を失います。それでは意味がありませんでした。人間とは自己を保つ生き物であり、肉体は自己の乗り物に過ぎません。肉体の為に自己を差し出すのは本末転倒ですね。1970年、大阪で行った実験では、“生命の輝き”の原種と接触した参加者が全滅しました。研究所の前にあった桜並木を見たでしょう? あれはその際の参加者を忘れまいとするモニュメントです」


 俺も消えていたかも知れない訳だ。


「ですが、あなたはまだ自己を保ってこのように会話をしています。素晴らしい。実に素晴らしい。あなたは人類の誇りです。人類の可能性を拡張しました」

「……分かりました。では、所長、もう一つ質問です」

「なんでしょう?」


 再びの沈黙。

 彼女が俺の顔をハッキリ認識できるようになった。それは、つまり。


「我々はあなたを正規研究員として歓迎します。今後も研究成果をあげてください。然る後、我々はあなたに全ての情報を開示することでしょう。楽しみにしていますよ」


 つまり、俺はもう。

 まあ良い。体調は良い。今までにないほど良い。

 体の中の全ての毒が洗い流されたような、そんな気分だ。


「つまり――俺は」

「大丈夫。実験は成功です。そしてあなたが最初の一人だ。待っていてください。誇ってください。あなたと同じように多くの人々が救われます。とても素晴らしい。心から感謝します。じきに、ヒカリさんのお母様と人間の会話も成立することでしょう。その際にはぜひ貴方たち二人に活躍していただきたい」


 部屋に飾ってあった万博のマークが並ぶポスターは、微笑み合う母と子の絵に変わっている。

 実験成功第一例。

 “生命の輝き”を認識したものは“生命の輝き”になる。

 だとすれば、だ。“生命の輝き”をシンボルとして、博覧会が世界中に発信する意味は、それは、きっと。

 

「最後に仮説を報告いたします」

「人類は、“生命の輝き”の認識深度が深まるほど、“生命の輝き”に親しみを感じます。俺の彼女に対するこれまでのを踏まえると、そうとしか思えません」

「有葉さんの経験を元にした仮説ですね。実に面白い知見です。それも今後検討していきましょう。素晴らしい。何かやりたいことはありませんか? 私に頼みたいことはありませんか? これは個人的なボーナスです。美味しいものでもお酒でも、個人的にごちそうしますよ。組織としてのボーナスは……次の冬をおまちください」

「あはは……ボーナス、いい響きっすね。正社員の特権だ。けどまあ今、願うことがあるとすれば、そうですね……」


 正社員。ああ、正社員。人間の肉体よりよっぽど価値のある響きだ。心が踊る。

 1970と2025の万博のマークが描いてある筈のポスターを眺める。俺にはそれがもう母子像のようにしか見えない。


「願わくば“生命の輝き”が、


 所長は嬉しそうに声を弾ませる。そして『善処しますとも』と答えて通信は途切れた。良かった。

 そして丁度その時、医療班の先生を連れたヒカリが跳ねるようにして部屋に飛び込んできた。良い後輩を持って幸せだ。そしてきっとこの子は、皆を幸せにしてくれる。そんな子が俺を一番に心配してくれるのだから、幸せだ。


「センパイ! 緑郎センパイ!」


 俺たちは生きている。

 きっと君も。


【実験終了です】

【ご協力ありがとうございました】

【実験結果を検証する為、“生命の輝き”のシンボルを再度ご確認の上、カクヨムサイト上の機能を利用してご報告ください】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

生命の輝き 海野しぃる @hibiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ