の〜みそコネコネ

 遠い昔の思い出、彼(主人)と出会ったロックフェスでの出来事を振り返る田中さんの回想。
 何を書けというんです? いやもう、とてもよかった、好き、という言葉以外なんにも浮かんでこない……。
 打ちのめされました。とても静かで落ち着いた文体の中に、はっきりくっきり描き出されるこう、何か。やべーやつ。物語性の核にあたる部分というか、『溶けること』という要素に仮託されているなんらかの事柄。名前のない何かというか、容易に言い換えの効かない〝それ〟そのものだからこそこの物語の形以外は取りようがなかったという、その時点でもう面白いに決まってるし感想の書きようまでなくなるのでずるいです。
 まずもって文章そのものがとてもうまくてただただ気持ち良いので、正直内容をどう読んだか言語化できる気がしません。一度物語に乗ってしまうともう逃げられない。終盤なんかもう目が勝手に先へ先へと引っ張られるような感覚で読んでました。なんでしょうこれ。本当に説明できる気がしない……。
 これはとても個人的な感想になる(=人によって異論めっちゃありそう)と思うのですけれど、音の表現というか使われ方がすごかったです。フェスだし実際バリバリ上演されてる場面もあるのに、いうほど音楽が〝聴こえてこない〟。ワッときたりビリビリするような空気の振動と、群衆の発する湿った熱気、それに当てられた倦怠感に喉の渇き、さらにはスポーツドリンクを飲み下した瞬間の潤いと、感覚に訴えてくる描写がこんなにもてんこ盛りであるのに(しかもそのどれもがゾクゾクするほど生々しいのに)、でも音楽(聴覚)だけが少し違う。少なくとも「聴く」という感覚ではなくて、でも音の中に「いる」という感触はしっかりある。
 フェスやライブイベントでの大音響ってこんな感じ、というのもあるのかしれませんけど、でもそれ以上にというかそれ以前にというか、彼との会話の方にピントが合って、曲は自分の周囲にぼやけて漂うだけであること。これがもうすごいというか嘘でしょ何これ怖いというか、なんか脳味噌をハックされたみたいな感覚になりました。思えばこの主人公、最初から音楽に関してはほとんどぼやけたままで、なにしろ目当てがあるわけでもないままでのフェス参加、さらにはTシャツに書かれたバンド名を読み上げてすら〝平仮名で発音〟だったりして、この焦点の合い方とぼやけ方そのものが終盤の山場、彼女自身の望みというか今現在のありようそのものにがっちり繋がっていく、という、なんかもうここまでやられると悔しくなってきます。おのれ天才め。お前(の筆力)が欲しい。
 実はこの山場(特に「彼が溶かした。」の次、「私、」から始まる段落)、最初から実質丸裸というか、その通りに描かれてはいるんですよね。かなり序盤に出てくる『私は群集に溶け込んでしまいたかった』という動機、まったくその通りの行動と結末。なのにここで気持ちが「わあっ」と盛り上がるのがすごいというか、好きです。もう本当好き。いろいろ好きなところがいっぱいあります。序盤の溶け込みたかったのにうまくいかなかったところや、そのチルアウトの空気感(この辺すんごい共感しました)。『遠い過去を振り返る』という形式のおかげで静かな語り口と、その落ち着いた表皮の下でぐわんと立ち上がってくる大きな波。そして回想であることそれ自体というか、最終盤で一気に畳み掛ける「それから」の強さと、その上で辿り着く帰着点のこの、もう、何? 満足感? 本当もうなんにも言葉が見つからないんですけど、とにかくものすごい作品でした。面白かったです。大好き!

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