最終話 知らない方がいい

 一日水をやらないでも、徒花たちに変化はなかった。そこでふと考える。踏みつけたりねじ切ったりするのは心が痛んで出来ないけれど、水をやり忘れることは出来るのではないだろうか。誰にでもミスはあるのだし、枯れる分には私のせいではない。そんなことを思い、それから数日水をやらなかった。


 実際のところ、他の家の花壇の花を見るのが精神的に苦痛になっていたと言うのが、大きい理由としてある。


 掃き出し窓のカーテンから外をちらちらと窺う毎日。

 しかし数日が過ぎても、花が枯れることはなかった。しかし代わりに、他の花壇の花に異変が起きていた。


 あれは、もしかして。


 私は如雨露じょうろを手に持ち意気揚々と庭に出た。

 自分の花壇を見るふりをして、他の花壇に目をやる。まだ一部ではあるが、花は枯れ始めていた。


 クスクスクスと込み上げる。笑い。あざり。愉悦ゆえつ


 そうだ。花だ。花は枯れるのだ。当り前だ。こんな当たり前のことにどうして気付かなかったのか。これで劣等感に苛まれる毎日も終わる。と言うか、なんだったら私の花壇には、どれだけ水を与えなくても土が乾いても朽ち果てない丈夫な花が二輪ある。結果的には私の勝ちなのではないだろうか。心の中のせせら笑いが上がって来ないように必死に堪えながら水を与えた。


 そこへお向かいさんがやって来て、花を見てため息を漏らした。


 くふふふ。ああ、かわいそうに。

 この優越感をあと何回味わえるだろうか。




 いよいよすべての花が枯れたときにも、私の花壇の花は咲いていた。


 勝った。そんな心根を悟られないように水を与える。


 しかし彼らは花が散った後もアルバムを持ち寄り、花壇と写真を見比べて思い出話に花を咲かせていた。


 そうだ。花は散る。当り前だ。けれど花が咲いていたという事実も残り続ける。永遠に。それも当たり前だ。


 優越感と悔しさがシーソを漕ぎ始める。

 自分には辿り着くことの出来ない栄光を知っている。彼も彼女も知っている。

 ちらりと見える写真の赤、黄、青、紫……その、鮮やかなこと。ついに悔しさが勝ってしまうギリギリのところで、私は一つのことに気が付いた。


 部屋に戻り、中からカメラを持って庭に躍り出た。

 そう。彼らに出来なくて私に出来ること。それは、今咲いている花を撮ることだ。あまりにも醜くて怖い花だから、写真に収めるなんてことを思い付きもしなかった。しかし、今のこの花たちは戦友のようなものだ。きれいに咲き誇る花々に見下されながらも、無様にただ咲き続けて来た。そう考えると、なんだか愛おしくも思える。

 私はシャッターを二度三度押して、それから自分も入れて撮ってみた。うまく撮れているかわからなかったので、何枚か撮った。

 この花たちが誇れる思い出になるかどうかはともかくとして、花壇の花を撮ると言う行為は、今現在私にしか出来ない。その優越感だけが救いだった。




 しかしある日、そんな救いもちゃちな優越感もすべてを覆すような出来事が起こる。


 お向かいさんとお隣さんとはす向かいさんの花壇から新しい芽が吹いたのだ。まもなくそれは花となった。


 花は枯れる。けれど花が咲いていた事実は残る。そして花からは種子が生まれ、花壇に落ちる。それはやがて芽吹き花となる。


 さらに驚くことに、花壇を世話する人々が変わった。お向かいさんの次にお向かいさんの花壇の世話をする人はお向かいさんに似ていた。お隣さんの次にお隣さんの花壇の世話をする人はお隣さんに似ていた。斜向かいさんの次に斜向かいさんの花壇の世話をする人は斜向かいさんに似ていた。それぞれ似ていたが、若かった。私より一回りほど。


 私は、新芽が出てからと言うもの外に出ていない。だからおそらくみんな私のことを知らないだろう。でもそれでいい。いや、それがいい。あの二輪の徒花あだばなを育てている人の正体を、姿を知らない方がいいのだ。


 テーブルの上に置いた、あの日撮った写真を見つめる。


 そこには、二輪の徒花と共に映る私。目と鼻と口とが複雑に絡み合い、真ん中に虚空を穿った顔の女が居た。

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徒花の庭園 詩一 @serch

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