第3話 ようやく花開いた

 みんなの花壇が色とりどりの花々で賑やかになっていく中、私の花壇だけが取り残されていた。ぽつんと一つのつぼみがあるだけ。やはりみんなの言う通り、ちゃんとこれを駆除しなかったのがいけなかったのだろうか。いやでも、せっかく芽吹いた生命を踏みにじるなんてできない。私のやったことは間違ったことじゃあなかったはずだ。

 そう思って視線を上げると、固く閉ざされていた蕾がゆっくりと開いていくところだった。


 ああ。やった。ついにやった。ようやく花開いた。


 ぱっと開いた花弁のその……——グロテスクなこと。


 花弁は多肉植物のような厚みを持った茶色で、ところどころにささくれ立った棘のようなものがある。雄蕊おしべ雌蕊めしべは長さも太さもバラバラで、不規則的にぐちゃぐちゃと絡まり合っている。ただ醜いだけでなく、花としての機能をまるで果たす気のないようなそれは、まさしく徒花あだばなだった。


 せっかく咲いたのに。私は一生懸命にこんなものを育てていたというのか。

 うなだれて足下に視線を落とす。するとそこには新たな芽が吹いた。

 ホッとした。良かった。これで終わりではなかったのだ。


 私はそれらの花に水をやると、その日の世話をやめて部屋に戻った。




 次の日、花壇に二輪目の花が咲いていた。近くまで駆け寄って、如雨露じょうろを落とす。


 その花には、顔がなかった。顔、と言うのは、雄蕊おしべ雌蕊めしべがある部分で、そこががらんどうになっていた。まるでそこだけえぐり取られたかのように。


 私が言葉もなく二つの花を見ていると、お向かいさんが姿を現した。そして私の顔を見るや、がらんどうの花に目を向けた。彼女の位置からでもそれは見て取れたようだ。


「まあ……」


 それだけ言って、彼女も言葉を失くしてしまった。


 彼女は気まずい雰囲気のまま水やりを始めた。私は立ち尽くしている。そこへはす向かいさんが現れた。私の花を見るやため息を漏らす。


「ああ、だから言わんこっちゃない。どうしてその花を育てたんだ。一本目は仕方ないにしても二本目はなんとか出来ただろうに」

「いや、その。二本目がこんな花だったなんて知らなくて」

「土を見てみなさい」


 言われて土を見る。茶色い。どこにでもあるような、土。お向かいさん斜向かいさんお隣さんの土はみな黒いと言うのに、私の花壇の土はそこら辺の土と変わらない。栄養も水分も含んでいない証拠だ。干からびてぼそぼその土に変わり果てていた。


「そんな土の上に芽吹く種子が、きれいな花になるわけがない。第一、図鑑を見なかったのかね」


 図鑑。お隣さんが言っていたやつだ。


「ええ、その。でもたとえ見ていたとしても、やっぱり私には無理でしたよ。きれいじゃないとしても、咲こうとしている花を踏みつけるなんて。そんなこと」


 そうだ。この人は正論を言っているようだけれど、同時に酷いことも言っている。きれいな花を咲かせるためだったら、他の花の命をむしり取ってもいいと言っているのだから。自分の花壇にきれいに花が咲いているからと言って、無茶苦茶なことを言っている。横暴だ。


「良かったら、うちの土を使いますか?」


 気付いたらお隣さんも庭に出て来ていた。


「え?」

「いや、もうその土じゃあなんとも出来ないでしょうから」


 お隣さんは自分の花壇のまだ花が咲いていない部分の土を手で掬って私に見せた。ニコッと笑う。その笑顔に、心がくすむ。勝者の余裕というやつだ。彼の花壇には花がある。これは憐れみだ。私にやさしくしているつもりで、その実見下しているだけだ。なんと醜い心だろう。花壇の花はあんなにもきれいだと言うのに。もしかしたら、花壇の花々は人の心の穢れによって育つのかも知れない。だからあんなにもきれいな花が咲くのだ。きっとそうだ。そうに違いない。そうでないと説明がつかない。


「結構です。お宅の花壇の土が減ってしまいますから」

「遠慮なさらずに、どうぞ」


 そこまでして私を見下したいのか!


「いいって言ってるでしょ!」


 私が声を荒げると、お隣さんは顔を引きつらせて土を落とした。周りの人も息をのんで、顔を強張らせている。

 荒い呼吸が落ち着いていくとともに、怒気と熱も下がっていった。やってしまった。


「あ、あの、すみません」

「いえ、こちらこそ、出過ぎた真似をしてしまいました」


 私が頭を下げると、お隣さんは曖昧に微笑んだ。


「まあ、その。こう言うのも、きっとありなんですよ。種を蒔かれたことだけを知らされて、それ以上は……なにが正解って、言われてないですから」


 お向かいさんがやさしい声で私を慰めてくれた。この場を取りつくろうための、私をこれ以上刺激しないための言葉であり、本心からのものではないと簡単に想像が及んだけれど、それでもその偽物のぬくもりに、私はすがるようにして二度三度と頷きを返した。




 それからも私の花壇に新しい花が咲くことはなく、他の花壇の花々はどんどん咲き誇っていった。もう花壇に隙間がないほどに咲いている。お向かいさんもお隣さんもはす向かいさんもみなそれぞれ花壇の写真を撮り始めた。とてもきれいなものだから、撮りたくなるのもわかる。


 蝶々がひらひらと舞い始めた。三つの花壇から蜜を吸い、またひらひらと踊る。

 私の花壇には来ないのかなあ。


 すると一匹の蝶がこちらにやって来た。がらんどうの花の前を素通りすると、グロテスクな花に止まった。なんだ、うちにも蝶が来るのではないか。途端に嬉しくなる。他の三方に比べたら見劣りするこの花壇にも、ちゃんと花としての役割を果たす花が咲いているのだと思うと、少し救われた。


 蝶が羽ばたきを始める。もう行ってしまうのか。寂しいな。しかしどれだけ待ってもそこからなかなか飛び立たない。最初はこの花の居心地が良いのかと思ったけれど、それにしても羽をぱたぱたと忙しなく動かしているのは変だ。不審に思って近づく。見ると、ぐちゃぐちゃに絡んだ雄蕊と雌蕊に足を捕られていた。そしてぱたぱたとはためかせる羽が花弁に接触すると、ささくれのような棘が羽に刺さり、また絡まり、蝶はいよいよ動けなくなってしまった。


 弱々しく動く蝶々を逃がしてあげようにも、どうやって取ってあげればいいのかわからない。下手に触って鱗粉りんぷんを取ってしまってはいけない。どうしよう。


 しばらく悩んだ末、私はそのまま放っておくことにした。だって、この蝶は勝手に飛んできて勝手に絡まってしまったんだもの。私もこの花も悪くない。きっと。多分。




 翌朝花壇を見に行くと、グロテスクな花の中に蝶は居なかった。良かった。きっとなんとか自力で抜け出したんだ。あのときむやみに触らなくて良かった。

 ホッと胸を撫で下ろし、視線を落とすと、蟻が列を作って歩いていた。列の上をひょこひょこと動いているそれは、切り取られた蝶の羽のようだった。


「私のせいじゃない!」


 思わず口にして、水もやらないで急いで部屋に戻った。

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