地球はとても小さい。外星人から観測され、圧倒的な科学力で在り方を変えさせられた地球人。でも外星人は核を廃止、原発を廃止、さらに核廃棄物の問題もすんなり解決。戦争も停止……と地球人にとっての理想郷を用意してくれます。
宇宙を知った地球人は、星外人に認められるため地球の「星歌」をつくる。しかし星歌に偏りがあってはもちろんいけない、外星人をどこかで認めず星歌をつくってこなかった地球人は、外星人に野蛮と言われてしまう。配慮が足りないことは野蛮、あらゆる方面に配慮した星歌をつくることが必要……。
各国首脳が発案するたび、その貧困で安易な発想にはどうしてお笑ってしまう。けれど笑ってしまいながらも私たちも同様にだれかに対して薄っぺらい配慮をしていることに気づく。
配慮によって現れる逆差別、言葉狩り、近年私たちがぶち当たる問題をシニカルに描いた短編でした。外星人のようになんの疑問も持たず「宇宙の法則」に沿って生きていいけるまで、どれくらいかかってしまうんでしょう……。
星歌のしょっぱな「SDGs!」ではじまるのは、さすがにおもしろいです。
ある日突如として異星人がやってきたら――
侵略される? 宇宙戦争がはじまる?
いえいえ、あれは映画のなかでの話です。そもそもはるか遠く銀河のかなたから地球まで飛来できる異星人が、言語も通じず服も着ず、「キャシャアアッ」と牙を剥いたり犬猫まで襲ったり牛の内臓を抜き取るようなものであるはずがありません。
異星人が現れてからまもなくして、核が廃棄させられました。原発が停まりました。戦争がなくなりました。
戦争を続けようとした国はすべて滅ぼされました。
当然です。
鎖星から開星の時代への転換です。
刻々と地球の文化が変貌していくなか、星交式で「星歌」なるものを披露しなければならないことになりました。一大事です。何故ならば、地球は「国歌」はあっても「星歌」なんてグローバルなものはなかったのですから。
斯くして、星歌を創るために、主要国首脳会議が開かれた――
「笑って食事をする者」という地球人にたいする通称を、外星人があらためるところからはじまりますが、これはシベリアやアラスカに暮らす民族を表す「エスキモー」が差別語として「イヌイット」に変更されたことに関係するのでは、と考察しています。
アイロニー(皮肉的)でありながらユートピア思想すら感じさせ、それでいて、ディストピアでもある。
作中の事例はともすれば荒唐無稽に感じますが、その実、現実でも似たような事例がわんさか残っていて、ぐうの音もでません。事実は小説よりも奇なり、というか、なんというか。
劇作家オスカー・ワイルドは「サーカズム(風刺)」こそが「知性の最高形態」と語りましたが、まさしくその通りです。
著者様の才能が遺憾なく発揮された今作、これを読まずして「カクヨムWeb小説短編賞2023」を終えるのはもったいなすぎます。ぜひとも御一読ください、胸を張っておすすめいたします!
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かつて我が国に公布されていた大日本帝国憲法は、日本古来からの伝統を受け継ぐものと見られていますが、憲法学から見れば当時のプロイセン(今のドイツ)の憲法の構成を引き継いでいて日本古来の政治体制があまり反映されていないと結論づけられています。戯画的に言えば和の民がちょんまげを捨て欧州の軍服を着たような。なぜそのようなことをしたのか。当時の日本は欧州より文明国と見られておらず、欧州の価値観を丸呑みするポーズを見せねば外交関係の輪に入れなかったためです。見下げられていることを分かった上での決断でした。
先人の苦労を知れば、本作が言おうとしていることはよく分かります。痛いほど。