第14話 生態系の頂点④
「おお、どうしたどうした」
オリガはオレーシャの頭を撫でる。
「なんだドラゴンから助けてもらったと思っているのか。しょうがない奴だなぁ」
オリガが洞窟へ戻る。それからオレーシャは巣から出てヘラジカを一頭狩ってくると、オリガに差し出した。
「おお、何だすまないな」
昨日から何も食べてないオリガは当然、餌に食いついた。ヘラジカを解体し、たき火を起こして焼いて食べた。たき火の燃料には周辺の木の皮や枝、赤松の松脂を燃やした。ヒグマのボリスは火を怖がらなかったが、ガブリールとオレーシャは怯えるように距離を取った。しかし暖かさの誘惑に勝てずに、結局は火のそばによって寝た。
「しかしお前らはよく見るとボロボロだなぁ。よっぽどあのドラゴンからひどい目に遭わされたとみえる。トラ、オオカミ、ヒグマで洞窟に仲良く集まっているのもあいつのせいなのか? そうだ、お前らに名前を付けてやろう。トラ、お前はオレーシャだ。オオカミ、お前はガブリールだ。ヒグマ、お前はボリスでどうだ?」
当然ながら動物は返事をしない。
「反対しないならこれで決定だぞ」
それにしてもあのドラゴン、確かリンドヴルムと言った。放っておくとまたこの洞窟を襲撃するかもしれぬ。毛皮を貸してもらった上に肉をごちそうになってしまった。黙って去って行っては騎士道精神に反する。しかしあのリンドヴルムを倒すにはどうすればいいんだろうか?
オリガは考える。リンドヴルムが火に弱いことはユーリから聞かされた。だが倒し方までは詳しく教わっていない。ワイバーンのときと同じく、グロムを頭に突き刺せばいいのか? そうだとしても、あの意外とすばしっこいリンドヴルムの頭にグロムを突き立てるのは生半可なことではないだろう。
ユーリならどうするだろうか。ワイバーンとクエレブレとの戦いを思い出す。あの二匹を倒すにあたって何をしただろうか?
オリガはまず二つの点に思い当たった。
ユーリはまずドラゴンをおびき寄せて、それから動きを封じた。今回、あの蛇のようなドラゴンはこちらの巣を知っているのだからまた現れるに違いない。すると第一のおびき寄せる点は大丈夫だ。今は奴の動きを止める方法だけを考えればいい。
最初にオリガが思いついたのは落とし穴を掘ることだが、あいにくスコップもないし、第一あの巨体を落とすだけの穴を掘るには時間がかかり過ぎる。
次に思いついたのは火で取り囲む方法だった。火を嫌うリンドヴルムのことだから、囲まれればきっと竦んで動けなくなる。問題は火をどうするかだった。油があれば一帯にまき散らして火をつければいい。だが油は無いし周囲は雪だ、火なんてすぐに消えてしまうだろう。
「うーん」
腕組みしながら空を見上げる。
ふむ、空か。
オリガは一つアイデアを思いつく。リンドヴルムを火で囲むのに、何も一面を火だるまにする必要はない。祭りの日に街路を照らす松明のようなもので包囲してしまえば同じ効果が得られるのではないか。見晴らしのいい位置に立って、例えば槍の先端に火をつけてリンドヴルムを囲むように投げればいい。そうやって動きを止めて、さらに上から飛びついて頭にグロムを叩き込めば無駄がない。
おお、いい作戦だ。これはいい作戦だぞ。
「よし聞け、お前たち!」
そう叫んで立ち上がるオリガへ驚いたような視線を三匹は向ける。
「リンドヴルムを倒す作戦を考えたぞ。まず木の槍を用意する。私が木に登る。リンドヴルムが来たら木に登った私が槍に火をつけてリンドヴルムを囲むように投げる。そうするとリンドヴルムの動きが止まるだろ? 最後に私が飛びかかって」
オリガはグロムを持って「これを奴の頭に突き刺す!」自分の頭に突き刺すジェスチャーをする。しかし勢い余って先端が本当に頭に突き刺さった。
「痛ああああああああああ!」
頭を押さえて地面に転がるオリガ。呆然とする動物たち。
オリガの金髪に血がにじんだ。何となく気の毒に思ったガブリールがオリガの頭を舐めた。
空が赤く染まる。空を覆う針葉樹の葉が黒い影絵となるころ、オリガは、体に六本もの槍を紐で括り付けて木に登っていた。枝の強度を確かめながら、赤松を登っていく。子供のころから木登りは得意だった。だがそれも昔の話、今の体重でてっぺんまで登っていけるかは分からない。
バキッ、と足元の枝が折れて「うわっ!」姿勢を崩したが、両腕で素早く木を抱え込んでしがみ付くことが出来た。しかし胸と腹が樹皮にこすれて松脂がくっついしまった。
なに、かえって滑り止めになる。
右足が新しい枝を踏んで、オリガは木を登り続ける。そして頂上までたどり着いた。カンは鈍ってはいないようだった。木の上に夜はまだ遠い。夕日に照らされたシベリアの光景は赤と緑、そこに樹林の影が模様を描くカーペットだった。遠く西にウラル山脈、東にはドラゴ・ドゥーマ山脈の険しい姿が見えた。鳥の群れが空を横切る。ここは彼らの世界だった。
オリガはひとしきり景色を楽しんだ後、器用に枝へ腰を落ち着けた。そこへ北からの風が吹き付ける。慌てて赤松にしがみついて、事なきを得た。彼女はこれからリンドヴルムが来るまで洞窟から近いところにあるこの赤松で待たなければならない。
しかし………私はいつまでここにいるんだ?
オリガは自問した。無論、リンドヴルムが来るまでだ。ではそのリンドヴルムはいつやってくるのだろうか? 一時間後か、半日後か? もし三日後に来るなら、オリガは三日間こうして待機していなければならないというのか。
これが二人、三人なら交代で見張ることもできただろう。だがここにいるのはオリガと三匹の動物だけだ。素晴らしい作戦にまず一つ、欠陥が露呈した。
まぁ、しばらく様子を見るか。
そう思って下を見るとオオカミのガブリールが興味深げにこちらを見上げていた。
ふふん、どうやらガブリールは私のことが好きらしいぞ。
どうも馬といいトナカイといい、草食動物には嫌われることが多いが自分はどうも肉食動物には好かれるらしい。あのトラでさえも擦り寄ってきた。
やっぱり草を食っているような奴はダメだな。
オリガがそんなことを考えていたそのとき、遠くから木々が風がないにも関わらず、かすかに揺れるのをオリガは目の端で捉えた。朝のような足音は聞こえない。
奴め、抜き差し差し足忍び足で来たな。三日も待たずに済みそうだ。
ガヴリールも異変を察知したようだった。オリガは一本目の槍に黄燐マッチで火をつける。彼女の赤松からもリンドヴルムの姿が見えてきた。全体像が見渡せる位置まで来たとき、オリガは尻尾の方へ向けて槍を投げた。夕暮れに投げられたそれは、先端の火が流星のような残像となって地面へ吸い込まれていった。
やがて槍は先端を炎上させながら雪に刺さった。火が消えた。炎上した部分が地面に刺さったからだ。
投げる向きを間違えた!
マッチを擦って次の槍に火をつける。リンドヴルムは突き刺さった槍に気を取られてこっちに気づいていない。二本目の槍に火をつけて投げる。今度の矢は火を空に向けて、リンドヴルムの真横へ突き刺さった。驚いて飛びのくリンドヴルム。オリガは三本目の槍に火をつけようとして、マッチがあと一本しかないのに気が付く。
どうする? そうだ、今、残り四本の槍、全てに火をつければいいんだ。
そもそも最初から全てに火をつけるべきだったと後悔しながらオリガは槍に火をつける。そうこうしている内にリンドヴルムがこちらに気が付いた。
リンドヴルムはオリガを一瞥し、木に体当たりを仕掛ける。赤松が根元から折れて倒れた。オリガは赤松にしがみ付きながら、
よく考えたらこんなに高く登る必要はなかったんじゃないか? ということに気がついた。
バキバキミシミシという嫌な音と共に景色と重力が斜めに傾き、オリガは雪に叩き付けられた。バウンドし、回転する。
すかさずリンドヴルムが滑るように移動してオリガへ襲い掛かる。オリガは素早く立ち上がって、反射的に火のついた槍をリンドヴルムへ突き出した。ひるむリンドヴルムを前にオリガが立ち上がる。
「さぁ、今度こそ逃がさんぞ怪物め!」
竜火はもう無い。しかしリンドヴルムはまたあの恐ろしい武器が投げつけられるのを警戒してオリガとの距離を取った。
にらみ合いが始まる。圧倒的な対格差を持つ一人と一頭は、少なくとも精神面では拮抗していた。
「ウガァ!」
そこへ横槍を入れるものがいた。ヒグマのボリスだ。ボリスはドラゴンの首に鋭く飛びかかり、その首へと噛み付いた。驚いたリンドヴルムはボリスを振り払おうと右へ、左へ大きく首を振った。
今だ。
オリガは槍を捨てて二つのグロムを構えると、リンドヴルムの右側へ回り込んでその鱗に突き立て登っていく。鱗は柔らかく、突き立てると跡が血の色となって残った。「シャー!」
自分の体にグロムを突き立てられたリンドヴルムは痛みのあまり更に混乱して、ボリスを自分の頭ごと気に叩き付けた。ボリスは首から離れ、投げ捨てられるぬいぐるみのように地面を跳ね、倒れ伏し、血を吐いた。リンドヴルムは次に、背中をよじ登るオリガを押しつぶそうと、体を回転させた。
「いかん!」
オリガは背中が傾くと同時にグロムを鱗から引き抜いて飛んだ。だが、いかんせん飛んだ先とリンドヴルムの転がる方向は同じだった。太くて長い巨体が転がってくる。オリガは立ち上がって逃げようとするが間に合わない。
「ヴォウ!」
ガブリールがリンドヴルムへ向かって吠えた。一瞬、そちらへ気を取られるリンドヴルム。その隙にオレーシャがオリガの服の襟を噛んで安全なところまで引きずった。十分、距離を取ったところで放す。
「おお、礼を言うぞオレーシャ。ちと怖かったが」
ガブリールはリンドヴルムを引き付けて木々の合間を縫って逃げる。ガブリールの追跡を難しいと判断したリンドヴルムはオリガに狙いを定めなおして向かってくる。
「まずい!」
オリガはオレーシャの背中へ飛び乗った。
「行け!」
オレーシャはオリガを背中に乗せて走り出した。人虎一体となって、彼らは木々の間を駆けた。それでもリンドヴルムの速さにはかなわない。オレーシャ一人ならまだしも、オリガを乗せていてはとても逃げ切れるものではなかった。追いつかれる。リンドヴルムの息をオリガが背中で感じたとき、背中で閃光と音響が鳴った。オレーシャが驚いて躓いて転ぶ。背中に乗っていたオリガも吹き飛ばされて雪の上に転がった。「オリガ!」
そこへ突如、トナカイに乗ったユーリが左から現れた。彼が閃光弾を放ったのだ。仰向けになったオリガが応える。
「ユーリ!」
トナカイへ乗ったユーリに手を伸ばす。
「クラスノヤルスクの駐屯兵たちと探してたんだぞ! 全く、今までどこへ行ってたんだ!」
ユーリがオリガの手を取る、が逆にトナカイから引きずり降ろされそうになる。状況を察したオレーシャがオリガのお尻を頭で押して、オリガはなんとかトナカイへ乗った。
「ありがとう、オレーシャ。あとは任せてお前はガブリールと共に逃げろ」
オリガがそういうと、オレーシャはガブリールの下へ走っていく。
「オリガ、あのトラは一体………」
「来るぞ!」
リンドヴルムの視力が回復して、オリガの方へ向かってくる。
「背中の棒を持ってくれ! 合図したら地面に突き立てろ!」
ユーリがトナカイを走らせながら、弓に矢をつがえる。オリガはユーリの背中からひもで括り付けられた細長い鉄の棒を引き抜いた。
ユーリが矢を放つ。リンドヴルムの首元に命中するが、特に効いている様子はない。それでもユーリは次々と矢を放つ。
「シャー!」
リンドヴルムが口を大きく開けた。その口の中からパチパチと光るものが見える。
「今だ! 地面に突き立てろ!」
オリガが鉄の棒を突き立てた次の瞬間、リンドヴルムの口から閃光がほとばしり、鉄の棒へと引き寄せられるように命中する。先ほど、ユーリが放った閃光弾を凌駕する爆音が周囲をつんざいた。倒れるトナカイ、吹き飛ぶユーリとオリガ。
「大丈夫か、ユーリ!」
オリガが素早く立ち上がる。いい加減に慣れてきたのだ。一方、ユーリの方は様子がおかしい。打ち所が悪かったようだ、わき腹を押さえてうめいている。
「ユーリ!」
リンドヴルムが目前に迫る。しかしこちらも様子がおかしい。前足がうまく動かないのか、空をかいて息も荒い。とうとう雪の上に頭を突っ伏して痙攣を始めた。実はユーリの放った矢にはトリカブトと金粉が塗りつけられており、それが毒となってリンドヴルムに効き始めたのだ。
「ウウウウラアアアアアア!」
オリガは両手のグロムを構えてリンドヴルムに突撃した。もう体の自由は効かないようだった。二つのグロムをリンドヴルムの頭に突き刺して、信管を引き抜く。ユーリを抱えてオリガは逃げる。突き立てられたグロムは爆発と共に、垂直に煙と血とを噴き上げた。リンドヴルムの眼は丸く見開かれたまま、その瞳孔は二度と収縮することは無かった。
果たして生態系の頂点に立つとはどういうことなのだろうか。
ユーリの後から合流したクラスノヤルスクの駐屯兵が面白半分に、銃剣でリンドヴルムを突くのを見てオリガは自分でも意外な、寂莫とした感情を抱いた。あの恐ろしい生き物も死ねば畏怖も尊厳もなく、ただの肉塊になる。一人寂しく、顧みる者もない。
それは防塞でデルスたちと過ごしたとき、洞窟でオリガが三匹の猛獣と共に過ごしたわずかなときの、あの暖かさと対照的なものだった。自分を含めた四種類の動物が肩を寄せ合う光景はドラゴンの存在と同じくらい不自然であったが、この世界の縮図でもあったかもしれない。我々はこの森の中で肉を分け合って生きている。時にはお互いを食らいあいながら。おそらくドラゴンはそういったバランスを壊す災厄なのだろう。オリガはユーリのドラゴンに対する姿勢が少しだけ理解できた気がした。
ヒグマのボリスは死んでいた。オリガは兵に金をやって、毛皮も採らずに埋葬を頼んだ。最も、傷だらけの毛皮は大した値にはならなかったろうが。
ユーリはオリガが自分のコートを雪の上に敷いて寝かせていた。触診した限りでは骨折した様子もないので、すぐに落ち着くだろう。
オレーシャとガブリールの行方は分からない。駐屯兵が来る頃にはいなくなっていた。
「少佐、無事でしたか?」
ヴァシリがクラスノヤルスクの駐屯兵長と共にトナカイぞりに乗ってやってくる。
「トボリスク管区ヴィーチェ・ドラスク駐屯兵長のオリガ・アントヴァナ・ペレスベータ少佐です」
オリガが名乗り、敬礼する。
「トボリスク管区クラスノヤルスク駐屯兵長のレフ・イサーコヴィチ・ポターニン大佐だ」
レフが敬礼を返す。
「ペレスベートか………祖先はクリコヴォの戦いを?」
「そう伝わっています」
「そうかそうか、英雄の子よ、ようこそシベリアへ。はてさて」
レフはリンドヴルムの死体を前に手を広げて「なんたることだ! 我々の近くにドラゴンがいるとはな!」と言った。
「それで、こいつはどうする?」
「あの子が起きてから考えましょう。イサーコヴィチ大佐」ヴァシリはユーリを指して「彼はドラゴンの専門家です。解体の仕方にも詳しい。なにせドラゴンという奴は普通の生き物と違って、体の中に何があるか分かったものではありません。うかつに焼いたりすれば爆発するかもしれない。これは冗談ではありませんよ」
「そうだな、ヴィクトロヴィッチ大尉。地震でも竜巻でも起こされたらかなわん。その子供を街へ連れて行け、ここは部下に見張らせておく。アントヴァナ少佐も休め」
「承知いたしました」そう言ってヴァシリは敬礼して下がり「さぁ、少佐。ユーリを運び込みましょう」
「しかし」
レフは呟くように言った。
「こんな怪物を倒してしまう人間が、やはりこの世界の生態系の頂点に立つのだろうな。アントヴァナ少佐、頂点に立った気分はどうだ?」
ユーリをそりに運び込んだオリガは首を振って「私は高いところへいるよりは、低いところの方が好きです。上から見た風景は、確かに眺めは良いのですが、そこで暮らしたいとは思いません」と言った。
レフは分かったような分からないような顔をして、手を振ってオリガたちを見送った。オリガはそりの上で寝るユーリの頭を膝に乗せた。木の板を枕にするよりはよっぽどいいだろう。
「シベリアに殺された、か。少佐も今回ばかりは殺されかけたんじゃないですか? 昨日はもうだめかと思いましたよ」
御者をするヴァシリに「すまんな」とオリガが謝る。
「ほう、今日はしおらしいですな。ずっとそうしてるくらいが、少佐にはちょうどいいですよ」
「それはどういう意味だ大尉。私は常にしおらしいぞ!」
「うるさい」
オリガの膝の上でユーリがうめく。
シベリアの空気は、昨日よりまた一段と冷たい。
ドラゴンシフト 瀬場拓郎 @sebataku
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