第3話

 母がキッチンで鼻歌を歌いながら揚げ物をしている。上機嫌な時限定で聞ける母の鼻歌。歌はいつもの歌で「花嫁」というらしい。昔から何度も聞いた、でも父と死別してからは聞けなくなった母の好きな歌だ。

 夕飯のおかずは約束通り、鳥のから揚げだった。私が一番好きな母の味。ハンバーグや煮物もそうだが、私にとって一番の、この家の味だ。母にレシピはもらっていたが、まだまだ母ほど上手くは作れない。味の分析をする為にも今夜は沢山食べてやる!

 お腹いっぱいで少し苦しそうな私を見て、母は満足気に微笑み、妹は仕方ないヤツ、と言いながら苦笑いしていた。

 夜、妹が布団を引きずって部屋に入って来た。

「もうお姉ちゃんとガールズトークできるのも今日が最後だろうから」

「らしくねぇ〜」

「いいじゃん、もうお姉ちゃんと一緒に寝る事もないんだから」

「うん、一緒に寝よっか」

 それから二人でずっと話をした。婚約者の事、妹の気になってる人の事、父や母の事、そして昔の、まだ二人とも小さかった頃の事。別に悲しい話しをした訳でもないのに、どちらからともなく、私達は抱き合いながら泣いていた。泣きながら笑顔で話していた。

 どれだけの間話していたか分からない。いつの間にか私達は眠っていた。昔みたいに手を繋いで。


「次にあうのは結婚式だね」

「気をつけて帰ってね」

「じゃあ、行ってきます」

 玄関で「これ、帰りに聴いて。一曲しか入ってないけど」と、妹にSDカードを渡された。

 それをとりあえずサイフのカードホルダーに入れ、私は家を出た。

 浄水場の南西角にある門から見る夏空はひろく、そして青く澄んでいて、とても懐かしく感じられた。昔から私の中にあるのと変わらない門と土手と青い空。

 美しい森や湖、雄大な海や山々、茅葺き屋根の集落や段々畑もない。バス通りのある住宅地。でも小さな川と落葉樹、そして物心ついてからいつも見てきた浄水場とその上に広がる大きな空。「ああ、これが私の原風景なんだな」と独り言ちてから、私はゆっくりと駅に向かう。

 サヨナラ私の武蔵野、今度は二人、もしかしたら三人で帰ってくるからね。


 帰りに新幹線の車内で妹からもらったSDカードをプレーヤーに挿して聞いてみる。曲は母の好きなあの歌だった。

 ♪何もかも捨てた花嫁 夜汽車に乗って♪

 駆け落ちでは無いけど、今やっと当時の母の気持ちがわかった私が、少し涙ぐみながら車窓から見たのは、武蔵野とは色合いの違う、でも同じように広く青い長野の空だった。


〜 了 〜

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武蔵野にサヨナラ 私池 @Takeshi_Iwa1104

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