第9話 『奴』

「本当にすまないね……」


 少し時間が経ち、落ち着いた様子の二人にベネシーは苦い顔をして深々と頭を下げていました。


「そんな!詳しい説明をありがとうございます。こんな重要なこと、多分知らない方が危険だったでしょうし……」


 詩織は気を使わせまいと意識的に明るい声音で言葉を発しますが、声が震えています。


 ベネシーが少し悲しそうに笑っているので、詩織は焦りをおぼえながらフォローの言葉を探していましたが、それも意に返さない勢いで彩から助け舟が出ました。


「詩織の言う通りですよ!ちょっと怖いけどまだバレたって決まったわけじゃないんですから!」


 腕をブンブン振りながら必死にフォローする彩は何だか幼い子供のように見え、思わず詩織もベネシーも思わず笑みがこぼれました。心なしか、周りが明るくなったようです。


 そんな和やかなムードを断ち切ったのは、アルの一言でした。


「それで、お師匠サマ。お二人を元の世界に帰すにはどうすればいいんでしょうか」


 ベネシーの眉がぴくりと動きました。嫌な予感がします。


「あのね兄さん。二人を向かえに行くときに聞いたでしょ? 世界の境に干渉するには奴が――」


「奴?! 奴が?!」


「待った。それは私から詳しく説明する。彩と詩織には申し訳ないが……まだまだリスクがある。脱出に関わる上でも知っておくべきだろう。よく聞いてくれ」


 嫌な予感は的中だったようです。詩織は正直先を聞きたくありませんでしたが、ここまで来たら覚悟を決めるしかありません。

 元の世界に帰るためには、もはや手段を選んでいられない状況なのですから。


 会話を食い気味で聞いていた彩も、珍しく真剣な面持ちでベネシーの方へと向き直りました。


「よし……一つは異世界の人間がこの世界から脱出する方法が難しいという点だ。元の世界に戻るには同じ魔法を使って帰ることができるが、古代魔法は四、五人いても成功する確率はそう高くない……そして更に、もう一つ立ちはだかる大きな壁がある。それは――境界の悪魔、『エマ』だ」


「……悪魔ですか」


「そう。実体が無く、性別どころか年齢も分からないが、訳あって奴と契約を交わしたせいで、かなり長い付き合いになる。確か今年で十年だったか。全く馬鹿げた話だ」


「……」


 嫌な思い出でもあるのか、眉間にしわを寄せるベネシーをよそに、詩織は今の話について熟考していました。


 やっぱり、どこかで聞いた事のある話だ。悪魔、魔女、契約。彩が見つけたプロットと、それだけじゃない何か。それよりもっと前に見た……もう少しで思い出せそうな気がするのに……!


 既視感と違和感の正体が掴めないまま、ベネシーの話は続きます。


「分からないことは多い。だが今回の件も恐らく奴の仕業だろう。異界の人間を呼び寄せたり、私に世界線の監視をしろだの日本語を覚えろだの言ったり……前例が色々とある。三年ほど行動を共にしてようやく分かったのは、どこか別の世界から来た悪魔を自称した『何か』である。それだけだ……」


 彩は珍しく考えこむ素振りを見せ、少し躊躇った後、口を開きました。


「なんか……」


「? 言いにくそうだね」


「あ……まぁ、はい。その――」




「話してるベネシーさんが、表情の割には結構楽しそうで……な、仲良いのかなーなんて……」



 彩は詩織のように深く考えることはありませんが、勘が鋭く、気にしていないだけで他人の心にも敏感に反応します。


 そんな彩は――


 本棚に寄りかかりながらベネシーの後ろに控えていたアルが「またこの話かぁ……」とでも言いたげにやれやれと首を振っていたこと。


 嫌そうな顔をしつつも何だかいつにも増して饒舌で、よく見ると頬が高揚しているように見えたこと。


 そして、何より彩の今の言葉に絶句。顔を真っ赤に染めたまま表情を引きつらせていることから、


「な、仲良くなどないっ!!!」


 ベネシーが典型的なツンデレであることを察していました。

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