第12話 脱出

「あ……ぁ……」


 頭をヒヤリとした感触が襲います。詩織は、動くことができませんでした。彩は、エマの腕を掴んで抵抗しようとしましたが、煙のようにすり抜けるものを掴むことも出来ず、引き剥がす試みも無駄に終わりました。


「心配しなくてもいいよ。少しだけ……記憶を上書きするだけだ。そうだな……学校の授業で執筆をした、楽しい思い出にでも変えてあげるよ。ちょっと苦しいかもしれないけど、我慢して――」


 二人の意識が遠のき始め、耳鳴りが聞こえ――諦めかけたその時でした。


 カァン!!!

 金属製の重みのある音と共に、二人の目の前に飛来してきたそれは、あれほど重く冷たく感じたエマの腕を弾き飛ばしました。


「うわっ……!」


 一振の杖が、二人を守るかのようにエマの行く手を阻んでいます。金色に光る塚と、先端に据えられた赤い宝珠は魔女である彼女のものであることを物語っていました。


 エマは大きく仰け反り、体制を立て直し、再度二人の頭を掴もうとしますが、同じように弾き飛ばされます。


「――ッ!」


 悔しそうに顔を歪める彼に、煽るように語りかける声が二つ。


「杖を投げるなんて横暴な真似する魔女なんてそうそういないよなぁ〜、そう思わない?」


「お師匠様に失礼だけど、それは同意だね。もっとも、そうでもしなきゃ間に合わなかったけど」


 彩と詩織が振り返ると、そこには赤毛の兄弟、魔女の弟子。アルとユタがシニカルな笑みを浮かべて立っていました。


 光を発した金色の杖は、やがて人の形を型どり、持ち主であるベネシーへと姿を変えました。

 出現した瞬間、彼女は安心したようにため息をつきました。


「はぁあ。間に合って良かった……というか、エマ!お前……記憶改変は反則だって言ったろ!バカ!バカ!バァァアカ!」


 初対面での落ち着きはらったあの雰囲気はどこへやら、バカバカ叫ぶその姿はまるで子供のようでした。これが、彼女の素なのです。師匠と弟子は似るものですね。


「ボクは君と世界のために……ぎゃー!分かった!分かったから!分かったから光魔法でじりじり浄化するのはやめて!やめっ……!やめっ!」


 光を強めるベネシーの指差す先に、くすぐられた人間のように悶える悪魔の姿がありました。


「とまぁ、不意をつけば制圧できるし、触れなければ無害な悪魔なのさ。こいつは。……おいこら!もうしませんは?!」


「ぶー。元はと言えば君の契約の仕方が悪――痛い!痛いって!分かった!もうしないから!許して?ね?」


「ごめんなさいは?!」


「ごめんなさい!」


「よし!」


「わ、わぁ……」


 少々の危険とはこういうことだったのかと、心底納得した詩織なのでした。


 *


「あーぁ、つまんないのー。せっかく魔法陣の効果をねじ曲げたっていうのに、君たちが来ちゃったら計画がパァだよ」


 エマはくたびれたように寝そべり、足をばたつかせています。幻覚は消え、周囲には先程の苔むした石壁と石畳があるだけでした。


「余計なことをするなとあれほど言ったろうに……自業自得だ。反省するんだな」


 彼の目線の先には、古びた石造りの天井と、自分の顔を覗き込むベネシーの顔があります。


「ボクは本当に、君とこの世界のことを思って、実行したんだよ?邪魔しないで欲しかったなぁ」


「気持ちは嬉しいが、それは押しつけというものだ。いいんだよ、これで……」


 彼女は最初に真実を伝えたときと同じように、清々しい顔でさらりと自分の消失を肯定します。

 やはり納得はできないエマなのでした。


「へんなの。自分から消えに行くなんて馬鹿げてるよ……君たちメンタル強すぎじゃない?傷ついてるボクが馬鹿みたいじゃないか〜」


「だからバカだと言ったんだ。お前はバカだよ。バーカ」


「酷いなぁー、これでもボク悠久の時を生きる歪みと境界の大悪魔なんですけど??」


 冗談めかして笑いながら談笑するのも、かなり久しぶりのことです。

 懐かしい気持ちに、胸が締め付けられます。そんな気持ちとは裏腹に、自身の口をついて出るのは皮肉と冗談だけであることに、エマは少しだけ安心しました。何か別のことを喋ってしまえば、この気持ちはすぐにでも消えてしまうと、そう感じたからです。


「あ、でも〜……ポンコツなのは否めないかな」


「……はっ?」


「見てみなよ。あーれっ」


 ベネシーは、エマの視線の先を追います。そこには魔法陣を作りながら会話する、アルとユタの姿がありました。


「……は?えっ、ユタ?今なんて?」


「だから、知ってたんだってば。ここがどこで僕が小説の登場人物だったってこと」


「はぁあぁ?!なんでだよ!」


「元はと言えば、兄さんの管理が甘いせいだよ。兄さんもお師匠様も、あのノートはもうちょっと自分の頭の回転を自重して、厳重に管理して欲しかった」


「俺の苦労と葛藤返して……」


 項垂れているアルを心配したのか、彩と詩織は彼を必至で励ましていました。


「ねっ?ガードが甘いのは昔から変わらないねぇ?そんなんでボクにバカなんて言える資格あるのかな〜?んー?」


「うぐぐ……うっさいあほ!もうやだ!元はと言えばノートを渡したお前のせいだ……」


「はいはい、辛かったねー……。また今度、昔話でもじっくりしようか。作者の後世も見つけたし、今度は死んでも覚えて貰えるように頑張ろ?」


「うぐ……無論だ」


「へへっ、そうとなったら魔法陣を描いてるあの子たちを手伝わないとね!頑張るぞ〜」


 エマは勢いよく起き上がり、四人の方へ歩き出しました。


 しばらくして、魔法陣が完成しました。

 彩と詩織が最初に描いた、異世界に行くための魔法陣。これは小説の中に『存在』し、エマの歪みの力によって、『実在』する魔法となったのでした。


 詩織は、やっと帰れると安堵のため息をつきました。対する彩は、少し寂しそうです。


「なんか、名残惜しいなぁ」


 恐らく本心なのでしょうその言葉を、ぽつりと零します。思いがけず、エマはその気持ちを解消する方法を知っていました。


「ふふっ、またいつでも来れるさ。どこにもいないけど、どこにでもいられるボクを呼んでくれればね」


 架空の人物のはずなのに、呼べば来るとはいかに。軽くホラーですが、彩は大変歓喜している様子です。


「ほんとに?!ね、詩織!絶対また来ようね!……って詩織?」


 詩織は黙り込んでいます。ある仮説を思いついたからです。


「私たちが死んじゃっても、世界が消えない方法……あるかも」


 *


 それぞれに別れを惜しむ四人に手を振り、彩と詩織は帰ってきました。


 目を覚ますと、そこは見知った彩の部屋で、彩は寝転がりながら笑い、詩織は安堵で号泣。なにごとかと駆けつけた彩の母親に、たっぷり数十分叱られ、詩織は彩の家をあとにしました。


 そして――


 二人は、執筆を始めました。


 詩織は、あのエマの泣き顔が染み付いて離れませんでした。今度はしっかりと、プロットに留まらず、絶対に書き上げると誓ったのです。


 彩は、幼いころから好きだった絵を本格的に描き始めました。詩織の夢に、ついて行きたくなったからです。


 そうして書き上げた話は……二人の少女と、悪魔と魔女と、その弟子の話。

 ありふれた、しかしどこか懐かしい異世界転移ファンタジー。その名は――


『友と世界と脱出と』

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友と世界と脱出と 星野光留 @5563857

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