第11話 答え合わせ
詩織が目を開けると、そこは用意された部屋ではなく、冷たい苔むした石レンガの壁と床、ほの明るい松明が揺れる場所でした。寝そべっていたはずの体も、いつの間にか直立しています。
「ふぇ?」
薄暗いその空間に立つのは、不敵な笑みを浮かべた銀髪碧眼の中性的な少年――
「ジャジャジャジャーン!!! ドッキリ〜!」
「やぁどうも、初めまして? 久しぶり? まぁどっちでもいいや。会えて嬉しいよー」
笑みを崩さないまま右手をひらひらと振る少年がそこにはいて、ここは見覚えの無い場所で……見覚えの無い……場所……???たっぷり数秒放心した後、詩織の思考はようやく動き始めました。
「……は?………………はっ?!?!」
どことも知れぬ場所に突然連れてこられ、なおかつ突然話しかけられる。ドッキリなどという言葉では済まされないこの状況に、当然詩織は混乱を覚えます。そんな中、聞きなれた声がしました。
「えっ?!ここどこ?!だっ、だだ、誰っ?!」
反射的に左を見てみると、彩が慌てふためいたように目の前の少年に話しかけています。反応の仕方こそ違えど、思っていることは一緒のようです。
「誰だと思う?」
「知らないから聞いてるんだけどっ?!」
「ふっ、ふふっ、あはは!それもそうだ!!!」
自分の問いかけに正論でツッコミをいれる彩がツボに入ったのか、少年は手を叩いてひとしきり笑いました。
「はー面白かった!」
とても満足しているようです。
状況についての説明も何も無く、満面の笑みで伸びをしている彼に二人が戸惑っていると……
「さて……と」
その肩より少し短い銀髪が、不敵な笑みに戻った中性的な顔立ちが、羽織っている白い外套が、蜃気楼のようにゆらぎ始めました。
ゆらいでいるのは彼の姿だけではありません。灰色の石畳や壁さえもぐにゃぐにゃと曲がり、視界に写る物全てが曖昧になっていきます。
「?! な、何を……」
苔に見えた緑色の物質が蛍光色に発光し、視界が一層歪んでいくのが分かりました。身の危険を感じたときには、逃げる余地すらなく――
「何って?答え合わせだよ」
そんな声を合図に視界に写る物という物が光を帯び、文字となって飛散しました。
*
転移魔法の準備を終えたベネシーは深く息を吸い、長いため息をつきました。
目の前にある正方形の紙面には、複雑な幾何学模様を幾重にも折り重ねた黒い魔法陣が鎮座しています。
魔法陣の構成は、ことに転移魔法においては作用や行先の特徴が大いに反映されますが、この魔法陣はベネシーの知っているどの魔法陣よりも、禍々しい雰囲気を帯びていました。
「二人ともお疲れ様。手伝いありがとうね」
「ほんとですよ〜、この魔法陣描くのめっちゃ疲れるんですからー」
素直な、言い換えれば遠慮を知らない自分の弟子に、もう片方の弟子は苦笑しています。
「そこは疲れてても疲れてないって言うんだよ兄さん」
弟子たちが不満を封じ込めず素直に口に出してくれるのは、とてもありがたいことです。しかし、ベネシーの中にはもう一つの感情が芽生えていました。それは、彼らに対する申し訳なさ。
「本当に、迷惑をかけるね……。君の親御さんたちの
深々と頭を下げるベネシーでしたが、弟子たる兄弟は首を横に振ります。ベネシーには感謝してもしきれない恩がある二人なのです。当然といえば当然の反応でしょう。
「そんなことないですよ!お師匠様は僕達を助けてくれた、立派なお師匠様ですから……僕、二人を呼びに行ってきますね」
ユタはそう言うと、用意した部屋の方へパタパタとかけて行きました。
――彼はこの世界の真実を知らないでいます。
だからこそ、自分の師匠は自分たち兄弟の同行を止めたのだとアルは思いました。
それなら、自分一人で十分。奴の相手は、自分のいるこの世界のなんたるかを知ってさえいれば、大いに務まる、と。
「お師匠サマ。お話が――」
ベネシーに歩みより、アルが言いかけたそのとき、キーンという耳鳴りとともにその現象は起こりました。思わず耳を抑え、周りを見渡します。素早い状況把握が必要です……と、アルは自分の二歩先ほどにある魔法陣を見て目を見張りました。
「?!」
発動するはずのない黒い魔法陣が、緑色の蛍光色に発光し、脈打ちながら発動しているではありませんか。そう、これは確かあらゆる物の特性を歪め、曲げる『奴』の能力。
「やられた。見ていたのか――!」
ベネシーも気づいたようです。耳を塞ぎ、歪み狂った魔法陣を見ながら叫んでいます。
耳鳴りと魔法陣が消失した頃、駆けつけたユタから聞かされたのは、案の定、彩と詩織が部屋から消失したという知らせでした。
*
光と歪みで目がくらんで、反射的に覆った手を戻すと、そこは――
簡素なデスクとベッドが置かれた、8畳ほどのワンルームでした。ベランダに繋がる大きな窓からは、都会的な街並みと、赤く高い鉄塔がうっすらと覗いています。
知っている場所ではありませんでしたが、広い範囲でいえば自分たちのよく知る場所であることに、彩は戸惑いを隠せませんでした。
そう、赤い鉄塔は紛れもなく、東京タワー。
「えっ?日本??帰ってきたの……?」
「いや、たぶん違う……見て」
詩織の言う通り辺りをよく見てみると、家具、床、壁、部屋の中の全てのものが、蜃気楼のようにゆらゆらとゆれています。
形こそ保たれていても、おそらくこれは幻覚だと、詩織は予想したのでした。
実際にカーペットやデスクに触れてみても、およそ感触と呼べるものがありません。
くすくす……くすくす……
どこからともなく笑い声が聞こえます。
最初に姿を見せた少年の声です。彼は面白がっているのでしょうか。
何にせよ、この状況を少しでも変えないと。なにか、なにか無いか……詩織は考えます。しばらくそうしているうち、もやもやとした頭の中に一点の光が差しました。
ベネシーの言っていたエマの特徴。そう、確か……実体が無く――
それだ!
詩織は意を決して、消えた少年に、そして今笑っている彼に、その正体をつきつけました。
「……あなたが、エマなのね?」
笑い声はぴたりと止み、脳に声が反響します。この世界で二回ほど体験した、あの感覚。
「あらら、ばれちゃったか〜。そう、当たりだよ。ボクの名前はエマ。世界と世界を繋ぐ、歪みの要素を備えた、境界の悪魔。思ったよりも早く気がついたね〜、やるぅ」
相手はあっさり肯定しました。二人の位置から二歩ほど離れた場所に銀髪の少年、もといエマがゆらゆらと出現します。
「面白いね。やっぱり君たち、とっても面白い。さすがはあっちの世界のニンゲンだ!転移させたら、ぜーったい面白いと思ったんだよ〜」
大きな身振り手振りで話す彼は、どうも悪魔とは思えないような無邪気さを持っていました。
友好的であることはとても良い事なはずなのに、なぜか不気味に見えるのは、彼が強大な力を持った悪魔だと知っているからなのでしょうか。
「やっぱりそうだったんだ……!凄い!!!」
彩はベネシーの予想が当たっていることに感心している様子でしたが、詩織はまた一つ先のことについて考えていました。
「面白いって、それだけのために私たちを?」
彼の動きがピタリと止まります。
ゆっくりと俯き、顔を上げ……先程までの明るい態度とは全く違った、悪魔らしい冷ややかな笑みがそこにはありました。触れれば凍るような、ぴしゃりとした声が響きます。
「違うよ」
彩も詩織も
二人ともは帰らないと行けないのです。帰らなければ、火あぶりにされて死んでしまうのですから。
「じゃあ、なぜ?」
「君たちが、忘れているから」
『忘れているから』詩織はその言葉に強い心当たりがありました。彩は……全く無いようですが。
エマはくるりと後ろを向き、指を差します。
「見てごらん」
部屋から見える雲の形がめまぐるしく変わり、光が弱くなり、そして夕暮れが訪れました。
ガチャリという音ととも、眠たげな目をした大学生くらいの青年が部屋の椅子に腰を据え、なにやらノートに書き込んでいる様子です。これはどういうことでしょう。一体自分たちは何を見せられているのか――
「君の前世さ。詩織」
「……ふぇっ?!」
エマの表情は伺えません。ただ、二人の反応をよそに、淡々と『答え合わせ』を始めました。
「君たちはね。小説を書いていた。『無双』がありふれたものになる前に、君たちは文芸サークルでハイファンタジーを書いていたんだ。ボクと、ベネシーと、そしてそれに関わってやがて大きな勢力になる呪われた人間たちの、とある復讐譚」
「そんなの、急に言われても……」
「待って」
本当かどうかは分かりません。ただ、彼の声には抑えられた溢れる感情のようなものがあることを、彩は感じ取っていました。
「少しだけ、もう少しだけ聞こうよ」
エマの話は続きます。
「それは、とっても嬉しかったんだよ。歪んだボクを生み出した君たちは、本来存在し得ないボクに、力を与えてくれたからね。でも……君たちは物語を書かなくなった。ボクたちを、忘れた。忘れ去られた世界は、いずれ消える。ボクは、それがとっても嫌だった……ベネシーは、あの子は、それでも良いんだって言った。納得できなかった……」
夜になった部屋のデスクには、あのときベネシーから貰ったノートがありました。
「はい。これ。前世の記憶なんて、戻らないと思うけど……能力を使って、境界を歪めて……会ったことさえあったのにさ。ニンゲンって、死んじゃうと結構簡単に忘れちゃうんだね」
渡されたノートの中身を、彩と詩織は今一度確認しました。今度はプロットとは別のページです。
その中にはこと細かにエマ、ベネシー、アル、ユタ……キャラクターの設定、容姿が記載されていました。何度見ても、どこか懐かしく、それでいてどこで見たか、思い出せない内容。
「…………」
ごめんなさいと言うべきなのか、それとも別の言葉をかけるべきなのか、詩織には分かりません。悩んでいるうち、またぽつりぽつりと、エマは言葉を紡いでいきます。
「別に怒ってるわけじゃないんだよ。でも……君たちには分かるかな……分からないだろうなぁ。――自分が作られ、忘れ去られた存在であるこを認識したときの辛さって、結構なものだよ。ボクとベネシーは、それを知ってしまった」
語尾が震えていました。
ノートから目を離した先に飛び込んできた彼の泣き顔は、もう悪魔のそれではなく、ただの一人の少年のものに見えるのでした。
「だから、だからね……」
ぽろぽろと光の粒を、小さなうわ言を零しながら、ゆっくりと歩みよってきます。
「歪めさせてもらうよ。君たちの記憶を。もう少し、ここに居てもらうからね」
言い放った彼は手を伸ばし、二人の頭をがっしりと掴みました。彼の青い瞳に、すでに涙はありませんでした。
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