第1話 ドームシティ

-第一話-



 二〇二X年、七月。

「うーん、気持ちいいー!」

 木皿儀 唯(きさらぎ ゆい)は市内を一望できる西ブロックにある公園の丘で大きな伸びをした。

 晴天の朝である。

 唯の白いリボンを付けたポニーテールがそよ風になびく。

 心地よい風が丘に設置された三基の風力発電機の羽を回す。


 この風は九十二%が人工のものだ。

 送風機構によって作られるこの風は『O2ヴェール』と呼ばれ、市内を流れている。


 唯がいるのは、日本の関東平野の北にある北堵(ほくと)連山の中腹に作られたドーム型に密閉された都市である。

 通称、北堵(ほくと)ドームシティ。

 有害物質が含まれる大気汚染から完全に隔離されたこの都市は、人口約八十万人。

 東西南北の四ブロックと自然区から形成されている。


 北ブロックには主にレジャー施設と富裕層が住む高級住宅街、隣接する東ブロックは工業エリアと発電所がある。

商業施設と文京施設は南ブロックに集中して建設されており、西ブロックは住宅街や団地で構成されている。



 人工の朝日を浴びる唯に一人の少女が歩み寄って来た。

「唯ちゃん、ここにいたんだ?」

「あ、瑞穗。おはよう!」

 水上瑞穗(みずかみみずほ)は青みがかったストレートロングの髪を揺らして、控えめにトレードマークの黄色いカチューシャを直した。

 着ている制服は北堵(ほくと)女子高等学校のもので、唯と同じ一年生だ。


「ここはヴェールの通り道なんだ」

「唯ちゃんは本当にヴェールが好きだよね」

 深呼吸を繰り返す唯に瑞穗が微笑む。

「でも、そろそろ学校へ行かないと。遅刻しちゃうよ?」

「そうだね! 行こっか」

 瑞穗に促された唯が地面に置いた鞄を手にして歩き出す。


 二人して公園を抜けると都市の中央にあるセントラルタワー方面へと進む。

 行政機関が入っているセントラルタワーを囲むように、北都(ほくと)環状シャトル線が走っているのだ。

 唯と瑞穗は南ブロックにある高校まで環状シャトル線を使って登下校していた。

 ドームシティに住む人々の主要交通網だ。


 たわいもない会話をしながら駅に着き、定期券を使って改札を抜ける。

 内回りホームの階段を登ると、高架橋レールを走るシャトルがやってくるのが見えた。

「みんなはまだかな?」

 唯がキョロキョロと周囲を見回す。

「二、三本待つ?」

「うん。みんなが来るまで待ってよう」

 瑞穗の腕を掴んだ唯がホームの隅へ移動する。

 前後にのみ窓のあるカプセル型のシャトルが発車すると少しだけ人いきれが緩和した。


 二分間隔でやってくるシャトルを五本見送る。

「今日はみんな遅いなぁ」

「唯ちゃんだってのんびりしてたじゃない?」

「え、まぁそうだけどー」

 唯がぶつぶつ言いかける背後からいきなり元気な声がした。

「おー、唯じゃん! おーす!」

 振り返る唯にアイオミ藍(あい)が手を上げる。

 藍は長めの髪を頭のトップでお団子にしていた。

 なかなか個性的でお洒落である。

「唯、瑞穗、おはよ~!」

 藍の後ろからやってきた岡 エリーは右手をブンブン振り回した。

 サイドポニーテールとピンクのベストが明朗な彼女らしい。

「おはよ、藍。おはよ、エリー。遅いよ、もうっ!」

「みんな、次のシャトルに乗ろう?」

 愚痴を言いかける唯をなだめて控えめに瑞穗が全員の顔を見る。

「わかった。列に並ぼう」

 藍の言葉に四人はごった返すホームの列へ並んだ。


「でさー、エリーが今朝遅れちゃって。待ってたら目の前でこけたのよ! 信じられる?」

「なにそれ?」

「エリー、大丈夫?」

「ちょ、その話はやめてよ~!」

 シャトル内の両側の三列席は既に満席なので、乗り込んだ北都(ほくと)女子高等学校四人組は通路でキャイキャイ立ち話をしていた。


「あ、そうそう唯。私がオススメしたフットレストとクッションはどうだった?」

 アイオミ藍なので皆に『アイアイ』と呼ばれている藍がスクールバッグを通路に下ろす。

 唯は少し考えるように首を傾けた。

「うーん。一応買ってはみたけど、今までとそんなに変わらないかなー?」

「なになにー? 何の話~?」

 話に入れずエリーが訊く。

瑞穗がさり気なくフォローを入れた。

「ほら、唯ちゃんは家で座っている時間が長いから……」

「ああそっかぁ~! 唯はガリベンだもんね~!」

「エリー、ガリ勉ってそんなぁ~」

「ま、唯んちは色々厳しいからしょうがないね」

うんうんと藍がうなづいた。

「そういう藍は結構フリーダムだよね? 市長の娘なのに」

羨ましそうに唯が視線を送る。

「ま、うちは放任主義だからね。パパもママも忙しくて娘に構ってる暇はないのさ」

「またそんな適当なこと言って……」

「両親から信頼されているんだよー。いいなぁ~アイアイは!」

藍はみんなに向かって肩をすくめた。

「うちは正真正銘、ただの野放し」


 シャトルのアナウンスが『北都(ほくと)高校前駅』を連呼したので四人は慌てて開いた扉からホームへ飛び出た。

 唯を先頭に藍、エリー、瑞穗と続いて階段を下りる。


 駅前に出た唯は何気なく街頭ビションを見上げた。

 ニュース番組が流れている。

『世界規模の気象大災害から早くも二十年が経とうとしています……』

 声と共に録画された災害の模様が映し出された。

『専門家の話によれば、徐々に気候変動や汚染状態は落ち着きつつあり、あと数年もすれば地域は限定されるものの地上に出られるのではないかとの楽観的な意見も出ています』

 ビジョンの映像がスタジオに切り替わる。

 アナウンサーと対峙(たいじ)して座るコメンテイターが口を開いた。

『とは言え、油断は禁物ですよ。何しろ人類がいなくなった大地でどのような変化が起こっているのか誰も予想すら出来ない訳ですから……』

『そうですね。未知の病原菌や人体に有害な物質が新しく増えているかも知れません』


「唯、何を見てるの? 気象災害のニュース?」

「うん……」

 隣に立つ藍にぽつん言う。

「なんだか実感がないんだよね」

「まー、私らが生まれる前の話だからねー」

 唯は街頭ビジョンから顔を背(そむ)けて歩き出した。

他の三人も並んで歩く。


「そう言えば、アイアイのパパ。今度外の調査をやるんでしょー? すごいね!」

「ちょっと、エリー! どこから仕入れたの、その情報!?」

「昨日の週刊誌に載ってたぁー!」

 えへっとエリーが笑う。

「しょうがないね、もうっ!」

 藍は肩のスクールバッグを背負い直し、小声でみんなに打ち明けた。

「計画ではガチガチの防護服でやるみたいだけどね。専門家を引き連れて。これ以上は内緒」

「へ~! そうなんだ~!」

 明るく聞き流すエリーとは対照的に唯の表情は堅(かた)い。

 瑞穗は沈黙したまま聴いている。

「なあ、唯は外に出られたとしたら、どこか行きたい場所ってある?」

 不意に訊かれて唯は藍を見た。

「私は……」

 視線を落として唯は真剣に考える。

「……海が……、海が見てみたい、……かな……」

 北堵(ほくと)ドームシティで生まれ育った唯達は、過去の文献でしか外の世界を知ることが出来ない。

 まだ見たことのない海に唯は強く惹かれていた。

 地球の七割を占めていたという海。

 体全体でそれを感じてみたい。

 ドームの外で見る海は、どんな形容を持ってして唯を受け入れてくれるのだろうか?


 唯への問いかけを機にそれぞれが『もしも』を想像する。


 藍は『ドームシティ』という枠組みを超えたら今の生活や市民がどうなるのかを考えた。

どのくらいの人が出て行くのだろう?

食料や住む場所の確保はできるのか。


 瑞穗は唯が他の場所へ行くなら、それがどこであれついて行きたいと考えた。

また、自分の家に伝わる自伝書に書かれた場所などにも行ってみたいと思う。


 エリーの思考はとことん明るい。

 他にも生存者がいて街があって……。

『面白くなりそう!』とワクワクする。



 四人が思いを秘めて歩いていると、突如地面が大きくうねった。

 各自の携帯から警報音がけたたましく鳴り響く。

「なに? 地震!?」

 ゴゴゴゴッという音と共にドームシティが左右に揺れる。

「みんなっ! なにかに掴まって!」

 唯の叫び声に藍、エリー、瑞穗は身近にある街灯や道路標識を掴んでしゃがみ込んだ。

 地震に驚いた人々が建物から飛び出してくる。

 道路を走る電気自動車は、地震センサー感知で次々と走行を停止した。


 十五秒ほど揺れたあと、街は何もなかったように静かになった。

「地震……収まったかな……?」

エリーが隣の瑞穗に尋ねる。

「う、うん……。たぶん」

 少し離れた所にいた唯と藍がエリー達に合流した。

 みんなで周囲を確認する。

「大丈夫みたいだね」

安堵する藍の鞄をエリーが引っ張った。

「これで学校休みになったりしないかなぁ?」

「ならないでしょ、たぶん。市内の建物は全部耐震基準を満たして頑丈だし」

「そ、そっかぁ……」

残念そうな声を出すエリーの頭をポカリと藍が叩く。

「取り敢えず休校はなさそうだから学校へ急ぐよ」

「サボりは駄目!」

唯にトドメを刺されたエリーが『やれやれ』と空を仰いだ。

「エリー、置いてくよ!」

「え、まってー!」

先を行く三人に向かってエリーが走る。


 外でガヤガヤしていた人々も建物内へと戻っていった。

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