エンドレス・ロード

かに/西山りょう

プロローグ

-プロローグ-



 アメリカ大陸とカナダの国境近く。

 秋空が広がる快晴な日。

 朝から小麦畑で農作業をしていたジョージ・ブレガーは、突然の突き上げるような地響きと突風によって乗っていたトラクターから投げ出された。

 収穫前の小麦が荒れ狂う暴風に一瞬にしてなぎ倒される。

「な、なんだ? ハリケーンか!?」

 横倒しになったトラクターにしがみつくジョージの視界に渦巻く雲が映る。

それはあまりにも巨大で、どこまでが端なのかも目認できない。

「早く家に戻らばければっ」

 ジョージが倒れた小麦を掴みながら地面に這いつくばって前進しようとした時だった。

 風よけにしていたトラクターがふわりと浮かび、そのまま空へと舞い上がる。

「うわあぁぁぁぁっ」

小麦の生えた地面もろともジョージはトラクターより高く空へ飛ばされた。

「アンジー! ディーーーーン!!」

 愛する家族の名前が風にかき消える。

 上空に飛ばされたジョージの姿は渦を巻きながらみるみる小さくなって、ついにはトラクターと共に雲の中へと消失した。


 一方、自宅にいたアンジェラ・ブレガーは生後三ヶ月の息子を抱きしめて夫の安否を気遣っていた。

 空は真っ黒の雲で覆いつくされ、視界も悪い。

 暴風に揺れる家の屋根に大粒の雹(ひょう)がドンドンと当たる。

 その音に驚いたディーンが泣き叫ぶ。

「いい子にしてて、ディーン。ジョージは無事かしら……」

 ひときわ大きな雹(ひょう)が屋根を突き破って落下する。

ビクリとしたアンジーは更に頑丈な奥の寝室へ移動した。

「大丈夫よ、アンジー。ジョージはきっと避難している……っ」

 ガタガタと揺れていた窓が飛んできた石によって突き破られた。

「きゃあっ」

 入り込む雨風に怯えていると、ダイニングの屋根がいきなり吹き飛ぶ。

「ぎゃぁぁぁ、おぎゃぁぁぁ」

「ジョージ! 助けて!」

 壁がミシミシと軋(きし)んでアンジーのいる寝室の屋根ごと部屋の半分が『ゴゴゴッ』と壊れ巻き上げられた。

「いやあ、誰かぁ! 誰か助けてーーっ!」

 残った壁を背に体を打つ雹(ひょう)と雨で濡れそぼったアンジーは必死で息子ディーンを庇い抱きしめる。

「誰かー! ジョージっ!」

 叫んだ瞬間、アンジーの体が天に向かって凄い勢いで吹き上げられた。

「きゃあぁぁぁぁぁっ!」

 恐怖で強張りながらも腕の中のディーンは離さない。

 ディーンは気を失ったのかピクリとも動かなくなった。

 アンジーの体を家具や家だったものの残骸がかすめ飛び打ち付ける。

「ディーン、ディーンっ」

 荒れ狂う爆風に目を硬く閉じて耐えるアンジーだったが、巨大ハリケーンによってジョージと同じく瓦礫(がれき)と共に空へと飲み込まれていった。



 このような異常気象は地球規模で起こっていた。

 海抜の低い島々は高潮で沈没し、また各国の美しいビーチは大津波によって全てが破壊し流された。

 被害に遭った人々は逃げ惑い我先にと高台へと逃れたが、巨大ハリケーンや台風が更に追い打ちをかけた。

 吹き飛ばされ、崩れた土砂に埋まり……多くの命が消えてゆく。


 神が怒りの雷槌(いかづち)を打つように全世界で主要都市の高層ビルが軒並み倒壊した。

 電力供給は止まり、水道管が破裂してマンホールから水が噴水のように吹き出す。

 道路は脱出を試みる車で溢れかえっていたが、いたる所で地割れを起こしているため大渋滞が発生した。

 悲鳴とクラクションと怒号。

 車や建物の瓦礫(がれき)を避けて逃げ場を探す人々で都市は大混乱に陥っている。

 

 各国の原子力発電所も被害を免れる事はできなかった。

 電力が停止し制御できなくなった発電所でメルトダウンが始まっていた。

 汚染された空気にガスマスクを持たない人々が次々と地に倒れていく。

 そんな中、わずかに難を逃れた人々が為す術もなく神に祈りながら天を仰ぐ。

 しかし、容赦ない暴風雨がその顔を打つ。



 日本も例外ではなく、特に関東圏・首都を幾つもの巨大台風と大津波が襲っていた。

 深夜に突如起きた災害だった。

 東京湾は漁船が海水と共に陸地へとなだれ込んだ。

 レインボーブリッジは幾つもにも分断され、走行中の車が海中に落ちていく。


 海抜の低い土地の被害は甚大だった。

 もはや海と陸地の境目など無い。

 それぞれの自治体が全力で救助活動を行っていたが、いたる場所での被害に対応が追いつかない。

 ついで、台風がもたらす放射能物質を含む大気汚染も深刻化していた。

 自然の破壊力の前では人は無力だ。


「私達、どうなってしまうの……?」

 とある高台の避難所で、窓に補強テープを貼っている男性に高齢の女性が訊く。

「八十三年生きてて、こんなことは初めてよ……」

 問われた男性はテキパキとガタつく窓ガラスにテープを貼りながら一人ごちた。

「誰にもわかんねぇさ。ここもいつまで保つか……」

 三十数名の人々が持ち寄った手ぬぐいやハンカチで鼻や口元を覆い、ラジオ放送を一心に聞いている。

「太平洋側の島や半島はほぼ水没したのか……」

「……都心方面の三分の二が浸水したって本当なの?」

「海沿いは全滅だって? 嘘だろ?」

「しっ。静かにっ」

 中年の男性が小さく叫ぶとその場がシンとする。

 暴風雨の音に紛れて途切れ途切れのラジオの音声が響く。

『……なお、現在……南、海上、……九個の、台風が……続で、発生……』

 一同が言葉を無くす。

 刻一刻と、更に不安が増してゆく。


 数個しかない懐中電灯に皆が身を寄せる。

「救助は来るんだろうか?」

「なにか目印を……」

「そうだな、シーツがあったはずだ。あれを外の木に結んで目印にしよう」

 二十代から六十代の五人の男性がシーツを二枚しっかり結びあわせて暴風雨中へと出てゆく。

「じいさん、皆を助けておくれ……」

 八十三歳の老女が手を合わせて五人の男性の背中に向かってつぶやいた。



 こうして人類は生き残るために、ありとあらゆる措置を取らざるを得なくなった。

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