第4話 遭遇-encounter-②

-第四話-



 地震から二日目の朝。


 唯は自室でうっすらと目を開けた。

 ベッドから気だるい体をゆっくり起こす。

 最近少し疲れ気味だ。

勉強のし過ぎかも知れない。


 のろのろと制服に着替える。

 ついで、猫あしのドレッサーの前に座って髪をポニーテールにした。

鏡を見ながら少しポニーテールの位置を直して、お気に入りの白いリボンを回しつける。

 身支度が終わると『ふわぁ』と小さなあくびがでた。

 一階の洗面台に寄って歯磨きと顔を洗ってからダイニングへ向かう。


 なにかいい香りが漂ってくる。


 ダイニングへ入ると母親がキッチンで鍋をかき回していた。

 唯に気づいた母親が声をかけてくる。

「おはよう、唯」

「お母さん、おはよ」

 唯はテーブルに置かれたグレープフルーツ味のバランススティックを手にして椅子に座った。

 包装を開け、スティックを齧る。

もそもそ食べながらニュース番組が流れるテレビの画面を眺めた。

 放送されているのは最近のニュースや交通情報だ。


 母親ができたての合成コーンのスープを持ってきた。

「唯、勉強の調子はどう? うまくいってる?」

「うん、まぁまぁかな」

 毎朝繰り返される同じ会話。

うんざりしながら適当に答える。

「もうすぐテストだけど、期待してるから。がんばってね、唯」

「うん……」

心ここにあらずとばかりにテレビの画面を見たまま生返事をする。


 唯は子供の頃から耳が痛くなるほど「勉強しなさい」と言われて育った。

 それは、ゆくゆくはセントラルタワーに勤務するエリート官僚、欲を言えば市長のような行政の中心人物に、という母親の強い期待からくるものである。


『昨日十七時頃、南ブロックの商業区で少年グループによる恐喝事件が発生しました』

 アナウンサーの声が告げると唯の母親は眉をひそめた。

「やーねぇ、これだから育ちの悪い子は」


 こういったニュースを見るたびに唯の母親は批判的になる。

 勉強のできない子供や非行少年は『生きる資格がない』と言わんばかりの差別的な視線を投げかける。

 唯の母親にはそんな一面があった。

 自分の娘は駄目な人間一員に絶対なって欲しくない。

しかし、それは純粋に娘のためを思って言っているのではなかった。

半分以上は自分の見栄と願望だ。

 政治家である父親が仕事で忙しく家庭のことをおろそかにしていたため、母親が家を牛耳って猛烈な教育ママになってしまったのだ。


 唯は母親の考えが手に取るようにわかったので、小言を言われる前に学校に向かおう立ち上がった。

 その時、テレビのニュースが興味深いものに変わる。

『今入ってきたばかりのニュースです。自然区が立入禁止になりました』

「え……?」

 唯がテレビの画面を凝視する。

『現地のレポーターと繋がっております。田中さん、どうぞ』

 画面が警備員に守られたゲートに立つ女性を映し出す。

『はい。こちら西ブロックの自然区中央ゲート前に来ております』

 中継カメラが周囲を映し始めた。

『このように立ち入り禁止と書かれた看板とバリケードが設置されています。警備員も数名配置されており、物々しい様子です』

カメラが仰々しく立つ警備員を次々と写しだす。

『えー、近隣住人の話によりますと早朝五時半には既にバリケードが設置されたようです。昨晩になにか事件があったのではないかと思われます。現場からは以上です』

 テレビの映像がスタジオに戻る。

「……」

 キャスターが次のニュースを伝え始めると唯は鞄を掴んで玄関に向かった。

「いってきまーす」

「気をつけてね」

 母親の声が唯の背中へかけられた。



 家を出た唯が公園のそばを歩く。

 ふわりとヴェールが唯の髪を揺らした。

 今日も市内は平和だ。

「唯ちゃん、おはよう」

 唯を見つけた瑞穗が足早にやってくる。

「おはよう、瑞穗」

 並んで歩く唯の歩調が少し遅い。

「あれ? 唯ちゃん、今日はなんかちょっと元気ない?」

「え……? そんなことないけど。ほら」

 元気にガッツポーズをキメて唯が笑う。

「そっかぁ。勉強で疲れてるのかと思っちゃった」

「ないない。いつものことだし」

「うん……」

 瑞穗に心配をかけたくないので唯はあえて明るく振る舞う。

「あ、そうだ。今度の休みにセントラルタワーの展望台にでも行こうか?」

「そうね、いいかも。みんなでいく?」

「うん!」

 たわいのない会話をしながら唯は今朝のニュースのことを考えていた。


 循環シャトル線の駅前でエリーと藍に会う。

「おっはよー!」

 いつも元気いっぱいなエリーの声が唯と瑞穗を出迎える。

「おはよ……」

 藍はというとエリーとは正反対になにか思案げでおとなしい。

 瑞穗が藍に尋ねた。

「藍ちゃん、どうしかしたの?」

「ん? なんでもないよ。あははっ」

いきなり好きなロックバンドの歌を歌いだし、藍がヘッドバンキングを繰り返す。

「やだぁ、藍ちゃんったら」

「ヘドバンって脳みそかたよっちゃうよね!」

「そうなの?」

「ホントはどうだかは知らないけど!」

キャハハとエリーが笑って言葉を続けた。

「アイアイがねぇ、なーんか元気ないときは、だいたいお父様のことなんだよね!」

「もう! そんなことないってば! そろそろいこ!」

 藍がエリーのスクールバッグの紐をつかんで思い切り引っ張る。

「ちょ、とととっ!」

エリーはよろけながら後ろ向きに片足で数歩飛んだ。


 四人が立ち話をしていると駅前の道路を見慣れない大型車両が通り過ぎる。

 藍は即応部隊の車両だといち早く気づいた。

「あー、ごめん! どうしても気になることがあるんだ。みんなは先に行ってて!」

残り三人を置いて藍が歩道を走り出す。

「え? え? ええええっ? どゆこと? アイアイー!」

「私、藍の様子を見てくる! 先に学校行ってていいから!」

唯が藍を追って走りながらエリーと瑞穗に叫ぶ。

「唯ちゃん……!」

「わたしら、おいてかれちゃった~! どうしよ?」

 困惑顔のエリーに瑞穗はしばし考えた。

 あの二人ならきっと大丈夫だろう。

「心配ないよ、エリー。あとで学校で会えるから。とりあえず行きましょう」

 瑞穗はエリーの背中を押して駅の改札へと向かった。



「藍ーーーー!」

 走る藍が唯の声に立ち止まる。

「えっ、唯?」

驚いて振り返る藍のもとへ唯が息を切らせて駆け込んでくる。

「ちょ、どうしたのさ!?」

「なんか気になって。それに藍を一人にしておけない」

「もう、しょうがないねっ!」

 藍は唯の腕を引いて車道に向けて手を上げた。

ほどなくして一台のタクシーがとまる。

「唯、乗って!」

後部座席に唯を押し込んで隣に藍も乗り込む。

「どちらまで行きましょう?」

「自然区中央ゲート前まで」

「わかりました」

運転手が答えると車が走り出す。


「やっぱり気になるの? 今朝のニュース」

「ニュース?」

 いぶかしげな顔の藍に唯が説明する。

「自然区が閉鎖されたって。バリケードまでできてる」

「ふーん、そんなことになってるんだ」

「そういえば、藍はあんまりテレビを見ないんだったね」

「うん」

 しばしの沈黙が流れた。

 いいあぐねていた藍がぽつりともらす。

「……夜中にパパが呼び出されたんだ」

「……え?」

「初めてじゃないんだ、こんなこと。前にも同じようなことがあって……」

 不安げな表情の藍の気持ちを唯が察する。

「あの車両……さっきのでっかいやつ。即応部隊のやつだった。対テロとか、対暴徒とかの鎮圧に精通する部隊……」

「対テロ……」

 唯が思わずつばを飲む。

「ここ最近多いんだ、不審な動きとか通報が。急にだよ? ずっとなにもなかったのにさ!」

 藍は手を置くスカートを握りしめた。

「パパもパパで、きっとなにかを隠してる! だから、私、知りたいんだよ!」


 タクシーが目的地に止まり、唯と藍が車から降りる。

 自然区中央ゲート前は北堵(ほくと)テレビ局の関係者、新聞各社などのマスコミでごったがえしていた。

 記者が警備員の一人にマイクを向ける。

「なにか一言! お願いします! なにがあったんですか?」

「質問には一切お答えできません!」

「やはり、市長の命令ですか? なにを隠しているんですか?」

「なにもお話することはありません!」

問いつめるマスコミに対し、警備員達は一切口を割る様子はない。


「なかなか盛り上がってるね。困ったなぁ」

 藍がゲートを見回してつぶやく。

「ここは無理かな。移動するよ、唯」

「どこへ?」

「もっと北。保安林地区のほう」

 そう言って藍がゲート沿いを歩き始めた。


 四十分ほど歩くと巨大な通気口が現れた。

 等間隔にいくつも並ぶそれは超合金の微細な網で作られている。

 見る限りでは侵入できそうにない。

「どうするの? 藍」

「関係者専用の出入り口があるのさ。緊急時のパスワードを使えば中に入れる」

 慎重にゲートを見ながら歩いた藍は、とある大きな扉の前で足を止めた。

「ここ。今開けるね」

「開けるって、藍……」

 扉の横の小さな四角い切れ込みに藍が手をかざすと壁がスライドして液晶パネルが出現する。

 藍がそこになにかを打ち込んだ。


 ゴゥンゴゥン……


 音を立てて扉が地中へ下がってゆく。

 扉が完全に開ききると躊躇なく藍が中へと入った。

「唯、早く! 見つかるとまずい!」

「あ、うん」

『いけないこと』とわかりつつ、胸騒ぎと好奇心がおさえられない。

 唯はドキドキしながら扉を抜け、藍とともに自然区へと足を踏み入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る