第5話 そして夜は

 ウェスリーが床の隠し扉を開錠する呪を構築し終える頃、師団司令部から要請を受けてクヴィエト市魔法局、警保局のそれぞれから役人と警察の人間が屋敷に赴いてきた。

 両者立会いの下に扉を開錠し、潜んでいる者の抵抗に遭うことを警戒しつつミハル班と警察官とで地下室に降りる。そこに蟄居ちっきょする男を苦も無く見つける。隠された地下室の主である魔術師は、侵入者の姿を見てもさして驚く風も無く素直に連行された。初老の痩せぎすの男である。

 地下室は傍目には雑多としか映らない様々な物で溢れ返っていた。その殆ど全てが魔法具や魔術書、魔術に用いる材料であり、その中でもひと際目を引くのがゴーレムの素体であった。室内に横たわるまるで人そのものの数体のゴーレム。人形にしては精巧過ぎる。

 一部人体を材料にしているかもしれない、と魔法局の役人は言った。

 より完璧を求めて人体を使用することを思い付いた奇才の魔術師が、当局の目を逃れようと郊外の廃屋敷の地下室に潜み研究を続けていた。

 それが死霊事件の真相であった。


 警保局の者が魔術師の男を連行し、魔法局の役人達が証拠品としてゴーレム含め地下室の物品を押収していく中、両局の担当者に報告を終えるとやることが無くなったミハル班の面々は、日が暮れ始めて薄暗くなってきた庭園跡にぼんやり並び立っていた。

 ヴェンデルが未だ出るくしゃみに閉口しながらもぼやく。

「結局美女の死霊はいなかったしよぉ」

 ユーリーが返す。

「だからいたからどうなんだっつう話ですがね」

 クジマが笑う。

「美女のゴーレムなら乳揉むくらいはできるかもなあ!」

 オットーは彼等を眺めるでもなく立っている。

 箒を杖代わりに支えにして気だるげに立つミハルは、ふと思い出したように顔だけでウェスリーに振り向いた。

「ウェスお前、なんであれがゴーレムだって分かったの」

 慌ただしく作業をする魔法局の役人らを見つめながらウェスリーは答える。

「目だよ」

 オットーがウェスリーに視線を向ける。

「資料を読んだり話を聞いてるだけじゃただ単に色が赤いだけの目かと思っていた。だが階段のところで初めて実際に目を見たら、赤い光を放っていることが分かった。あれは魔力で使役されているゴーレムの目と同じだ。術者の魔力の質によって色は様々だが、使役される素体は全て弱い光を眼窩状の穴から放つものなんだ。俺達が見知っている土や岩で作られたゴーレムとは似ても似つかない姿だからぱっと見ただけでは騙されてしまう。それこそ死霊であると思うのも致し方ない」

「目を見ただけでか」

「それだけじゃないよ」

 眉を上げて目を丸くしたミハルの顔をちらりと見て、またすぐ視線を元に戻すとウェスリーは続ける。

「帯に短し襷に長し、だ。死霊だと考えても何か足りない。魔物にしてもどこかおかしい。精霊なんかではもっとない。来る時話したように、どれと仮定しても陳情の内容と齟齬が生じる。最初は目撃者の証言が記憶違いで事実と異なるんだと思っていた。だけどこの屋敷に来て庭を見て回った時にそうではない可能性があると考えた。陳情の内容はどれも正しく事実を教えている。俺の仮定が間違っていた。ここは魔術師によって管理された庭で、魔術師はこの屋敷に人を立ち入らせないように死霊モドキを出現させていたのだと」

 気付けば太陽は沈み、辺りは不気味に暗くなっている。

 役人達のかざす提燈ランプの灯りが、彼等の影を蠢く異形の者のように黒く地面に映している。

 少し離れたところから届く提燈の光に、その白い面を照らされるウェスリーの表情は何処か浮かないものである。

「死霊モドキか……あれ見たらそらぁみんな逃げてくわな」

 ミハルはあくまで飄然とした様子だ。

「彼がこの秘密の場所で研究を続けるには、人々の無責任な噂話は好都合だったんだろう。彼の作ったゴーレムは人に危害を加えていなかった、侵入者を追い払うにはただそこにいさせるだけで十分だったんだ」

「で、なんでお前は不機嫌なの」

 ミハルが何でもなさそうに言った言葉に今度はウェスリーが目を丸くして振り向いた。ミハルはいつものようにどこか遠くを見るような不思議な目付きでウェスリーを見つめている。目を丸く開いたまま、言い澱んで口を半開きにぱくぱくさせるウェスリーである。

「なんで……」

「なんでって言われると分からんが、なんとなくお前の機嫌が悪い気がした」

「本能的危機察知能力でしょう」

 珍しくオットーが口を挟んだ。

「怖いもんね、こいつ怒るとね」

「ふむ」

 へらっと笑ってオットーに視線を移すミハルと短く相槌を打つオットーを、唖然とした顔のまま見ていたが、一息置いてようやっとウェスリーは気を取り直した。軽く咳払いをして話を再開する。

「……この国では昔から、魔術を用いる者は帝室の人間を除いて異端扱いだった。近年でこそ魔術士資格なんてものができて、有資格者は魔術を使用することができるが……」

「ほんの数十年前まで魔術に関わる者は周囲の人間から爪弾きにされていた。聖帝の神聖な御業を汚す行為だと」

 唐突にウェスリーの言葉を継ぐように声が掛かる。声のした方に顔を向ける三人。見ると役人の一人が提燈片手に歩み寄ってきている。小さい丸眼鏡を鼻に掛けた中肉中背の男。

 ミハルが怪訝そうに言う。

「誰だ?」

「これは失礼を。私はクヴィエト市議会外局帝室直轄審議室室長のネストリ・ポーレクと申します。そう言う貴方は第七師団箒兵第二大隊部隊長ミハル大尉ですね?」

「あんたが……」

「おや、私の存在を認識していてくださいましたか。光栄至極」

 提燈を顔の高さまで掲げてネストリと名乗った男はミハルの目の前で立ち止まる。ミハルは眉根を寄せて険しい表情になるとネストリから顔を背けた。

「面倒な仕事を寄越しやがって」

「しかし私の期待した通り貴方はこの件を解決して見せられた。流石と言う他無い」

「俺はなんもしてねえ。この件に関してはそこのウェスリー准尉が全て進めた」

 鬱陶しそうに言いつつ顎でウェスリーを示すミハル。くるりとネストリが首を向けてきてウェスリーは表情を強張らせる。妙に首の長い何処か亀を思わせる男は薄い笑みを浮かべている。

「貴方のことも存じております。ポーター家のご嫡男」

「父を……」

「存じ上げておりますよ。直接お話ししたことはございませんがね」

 暗がりの中、灯りを反射して丸眼鏡がちらちらと光っている。

 ウェスリーは初めて知るこの男を、しかしミハルは少なくとも聞いたことはあったのか。帝室直轄審議室と言えば、地方議会に対し中央の枢密院から差し向けられる組織である。地方議会の会議や議決内容を国政の視点から審議するという名目だが、要は帝室による監視である。その組織の長となると、帝室及び枢密院の意向を強く反映した思想の男なのだろう。

 黙り込むミハルとウェスリーを交互に眺めるとネストリは話を戻した。

「貴方はこう仰りたいのでしょう、ウェスリー准尉。今もまだかような隠遁の魔術師が多くいると思われるこの国は、何と魔法を究めんとする者に不寛容な国であろうかと」

 ウェスリーは渋面を作ると彼に応える。

「……それだけではありません。この国の魔術に対する不寛容を今更どうこう思うより、私は魔術師の側の振る舞いが気に食わないのです」

「ほう」

 ネストリは興をそそられたと言った面持ちで短い声を発する。

「人は隠れたもの、見えないものを嫌悪し恐怖する。それは本能的に当然のことです。人目を忍んで魔術を行う魔術師は自ら人々の不寛容を招いているんです。その状況を嘆くのであれば魔術師は己が魔術を秘儀とするのではなく公にあからさまにすべきだ。謎めいた怪しげな術ではなく開かれた明白な理論として」

 ウェスリーはそこまで言うと浅く息を吐いた。

「今回のあの魔術師……そういう意味で論外な男だと私は思っています。研究のために地下に閉じこもり、使役する傀儡で人々を脅かし遠ざける。……挙句人体の一部を術に使用するなんて」

 こんなだから魔法後進国なのだ、リパロヴィナは。ウェスリーの歯痒い思いは中々この国の人間には分かってもらえない。魔術師ですら、自ら時代に逆行しようとする。

 俯いてしまったウェスリーをうんうんと頷きながら眺めるネストリ。提燈を持たない方の手で丸眼鏡のつるを押し上げる。

「秘儀とするのでなくあからさまにすべき……か。まるで帝室に対する非難めいて聞こえなくもない」

 ネストリの言葉を聞いてウェスリーは弾かれるように顔を上げた。

「違います! そんな意図は全く……」

「ああ分かっています。貴方はこの国にその身を捧げた立派な軍人です。お父君も国家のため日夜身を粉にしておられる。思想に難ありなどとは疑いもしませんよ」

「思想に難……」

「ウェスお前もういいよ」

 困惑するウェスリーを片手で制して、ミハルはネストリを睨み付ける。

「あんた俺に用があるんじゃねえのか。ひとのパートナーに余計ないちゃもん付けるために話しかけてきたわけじゃねえだろ」

「話に聞く通り直情的で飾らぬ方だ。用と言っても本日は本件の礼を申し上げること以外は特に。もっと言うならただ貴方がたの御尊顔を拝見したかったまでです」

「……じゃあもう用は済んだわけだ」

「仰る通り」

 暫し両者は押し黙って対峙する。先に沈黙を破ったのはネストリの方である。

「では私はこれにて。またお会いする機会もあるでしょう」

「どうだかね」

 ミハルは剣呑な視線を崩して力無く言い捨てる。ネストリはまたしてもその顔に薄い笑いを浮かべると、一礼して踵を返し庭内を去っていく。

 魔法局の役人達の作業はまだまだ終わりそうにない。屋敷は随所に灯された魔法灯で白々と照らされ、周囲の暗闇と対照をなしている。

 ミハルが大きく欠伸をした。

 箒を持ち直して班員達に振り向き、気の抜けた声で言う。

「寒いし帰ろーぜ。お腹空いちゃった」

 さんせーいとクジマの明るい声が妙に反響して敷地内に響き渡った。


 その後クヴィエト市民から死霊についての陳情がされたとは聞かない。原因を取り除いたのだから当然と言えば当然である。

 しかし、ウェスリーには気にかかる点があった。

 隊内での件の死霊の噂は止まない。市内ではどうなのかは確認のしようがない。

 もしかして、とウェスリーは考える。

 あの日地下室で見たゴーレムには女性や少女、魔物じみた姿のものがあった。しかし結局ウェスリーは見つけられなかったのだ。

 老人の姿をしたゴーレムの素体を。

 目撃された後、何らかの理由で魔術師が破棄したことも十分考えられる。

 しかしこうも考えられるのではないか。

 目撃された複数の死霊モドキの中には、実は本物の死霊が混ざっていた。

 その老人の姿の死霊は未だ例の屋敷跡にいるのである。

 他に誰もいない、暗い居室の暖炉の前で。

 ぼろぼろの揺り椅子に座って。

「やめろよぉ」

 泣きそうに震える声でそう言うとミハルはウェスリーの両肩を掴む。

「また確認しに行くか? 今度は二人で」

 ウェスリーは彼にしては珍しくにやにや笑いながら、怯えるミハルを半目になって見る。夕食の後の自室にて、である。ミハルはウェスリーの肩を掴んだままで小刻みに揺れている。震えているのかイヤイヤをしているのか判別が付かないが、どちらにせよウェスリーには快感であった。

 ああ気持ちいい。

 普段何事にも振り回され気味の相手を搔き乱してやれる。内心に沸き上がる常ならぬ嗜虐心を自覚して、ウェスリーはしかしその気持ちに身を任せてやれと思う。意地悪い声音を作って更に言い募る。

「そういえば違う死霊の話も聞いたんだった」

「もういい! もういやだ!」

「あんた庁舎の開かずの間って知ってるか……」

「やだって言ってんじゃん‼」

 夜は更けていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

赤い目事件 森 久都 @daruma53

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ