第4話 赤い目

 入って正面の階段を駆け上がり、ミハルは踊り場で立ち止まった。

「オットー」

「どうされた」

 すぐに背後に追い付き同じように静止するとオットーは尋ねる。

「……おかしくないか? 死霊って足跡付くのか?」

 ミハルの応答を聞いて床を見遣るオットー。磨かれもせずに長年放置されてざらざらになった木目の床板の上には厚く埃が被っているが、ミハルらが進む先に向かって人の足の形に跡が続いている。

「どうしましたかぃ」

 ヴェンデルが階段を追い付いてくる。ミハルは続ける。

「だがオークやオーガにしちゃあ足が小さい」

「……まさか魔人」

「おいおいいつの間にそんな物騒な話になってるんで?」

 足跡を凝視しながら言うミハルとオットーに、ヴェンデルはとぼけた調子で声を掛ける。それには返さずミハルは顔を上げて残る階段の先を見つめる。

 今立っている踊り場はちょうど採光用の小窓から光が入り明るい。二階はというと、ところどころカーテンの破れた窓から外光が差し込むため室内は真っ暗闇ではない。しかし物の輪郭がうすぼんやりとしか見て取れない状況だ。

「ヴェンデル」

「Lighting」

 名を呼ばれて察したヴェンデルが魔法の灯りを点す。光球が中空に浮かび、無機質な白々とした光を放つ。光球を中心として視界が明るく照らされた。

「行くぞ。奥の部屋だ」

 白けた光がミハルの強張った顔を映す。


「……おかしい」

「なにが?」

 建物部分の四方を囲む庭園だった筈の荒れた草地をぐるりと確認して回り、元の正面入り口前に戻って来た時、ウェスリーが呟いた言葉にクジマが反応する。

 細い顎を指で支えて、考え込むようにウェスリーは立ち止まる。

「この屋敷、これ自体は人の手が入らなくなって十数年は経つと見て取れるのですが……庭部分……手入れされている」

「へぇ?」

「こんなにぼーぼーですぜ?」

 間の抜けた声を上げるクジマと見た通りの状況を指摘するユーリー。ウェスリーは首を縦に振るとユーリーの目を見て草叢くさむらを手で示す。

「そう、庭園として手入れされているわけではないんです。アルケミラ・ウルガリス、マンドレイク、ヘンルーダ……ソラヌム・ドルカマラやカミツレ……ぱっと見ただけでもこの庭にはそれだけ魔術に用いる植物が生育している。そこかしこに生えている低木はハシバミです。これも枝を魔術の杖に用いる」

「自生しているだけなんでは?」

「こんな環境では手を入れない限り生育なんてしない植物ばかりです。……ここは俺の目から見るとよく手入れされた魔術師の庭ですよ」

「魔術師の庭? こんな死霊の館をどこかの魔術師が菜園代わりに使ってるって言うんですかぃ?」

「……或いはここに住んでいる」

「死霊だか魔物だかが出るのに?」

 もっともな疑問だろう。ウェスリーはユーリーの遠慮の無い指摘を受けて再び考え込む。

 魔術師といえども霊的な存在と必ずしも親和性があるわけではない。特に死霊や妖精といった類は縄張り意識が強いことが多い。魔術師が彼等の領域に頻繁に出入りするとなるとそう時間を置かずに排除する行動に出るはずである。魔物なら尚更危害を加えないわけがない。

 館内と外で棲み分けをしている? しかし敢えてこの庭園跡に栽培しに来る理由は? 危険を冒してまで?

 もしくは互いに害をなさないという契約を……。

 そこまで考えてウェスリーは一つの結論に思い至る。

 これは、魔術師の。

 その時、屋敷内部からであろう、怒鳴り声とも悲鳴ともつかない声が聞こえてくる。外にいた三人は弾かれるように顔を上げた。

「隊長の声!」

「ミハル!」

 全員が館の入り口へと走る。


 新しいと思われる足跡を辿って、二階東側の奥に位置する部屋まで探索したミハル達は、そこで目標と接触したのであった。

 魔物ではないことはすぐに分かった。紛れもなく人の姿形をしている。衣服すら身に着けた、人間の女性の姿である。ただ、肌が異様に青白く生気が無い。先程外から見えた窓より差し込む光でそれと見て取れる。

 この時点でミハルは全身総毛だった。

 魔物じゃない。魔人でもないぞ。精霊なんかじゃもっとない。

 そして薄汚れたぼろぼろの衣服と、びたような黒ずみが点々と浮かぶのっぺりとした顔面が確認できた時、ミハルはそれと目が合った。

 白目まで真っ赤な眼。

「ぎゃああああおばけえええ」

 恐慌状態に陥ったミハルが放った叫びが、けたたましく館内を揺らした。


 ミハルが叫んだ瞬間のオットーの動きは早かった。

 彼は、自分の前に立って声の限りに叫ぶミハルを腰から肩に担ぎ上げると、くるりと踵を返して部屋から遁走とんそうしたのだ。パートナーであるヴェンデルが面食らう素早い動きであった。

 ヴェンデルは普段眠そうに見える目をこの時ばかりは見開いて、オットーが消えていった扉と目前の青白い人影を交互に見ると慌てて自分も部屋を飛び出した。

 元来た廊下を走り去っていくオットーの背中を見つけ、自身も後を追いながら怒鳴る。

「てめえ置いて行くんじゃねぇよ!」

「隊長が夜眠れなくなると困る」

「お父さんかぁ⁉」

 階段に到達し、迷い無く駆け降りる。オットーの肩の上でミハルは硬直している。目の焦点が合っていないので、成る程これは逃げて正解なんだろうとヴェンデルは合点した。

 踊り場まで降りたところでオットーは俄かに足を止める。ヴェンデルは危うくぶつかるところである。

「オットー少尉! とミハル⁉」

 踊り場の下からウェスリーの声が甲高く響いた。ウェスリーは普段努めて低い声で話しているが、焦ると声が高くなるのは班員皆知るところだ。

 駆け降りるオットーらとは逆に駆け上ってきたウェスリーらと鉢合わせした形である。

「目標は⁉ ミハルはどうしました⁉」

「目標を近接して確認。隊長は魂消たまげてしまって行動不能かと思い回収し、撤退しようと」

「やっぱり怖いんじゃねえかミハル‼」

 何だか情けなくなって叫ぶウェスリー。

「うるせえ」

 ようやくといった様子で声を出すミハルだが、オットーの肩の上に子猫のように抱えられていてはその吊り上がった目付きもどうにも様にならない。

「追いかけてきてないのかぁ?」

 ウェスリーの背後、階段を少し下がったところからクジマが尋ねる。ヴェンデルが背後を確認しに階段をまた上り、クジマとユーリーがウェスリーを追い越してその後に続いた。

「……来てねぇようだが」

 ヴェンデルがそう呟いたのとほぼ同時に、踊り場にいるオットーが階段下を指差した。

「小さい女の子が」

「んああぁぁむりいいぃぃ!」

 オットーの声に覆い被さるようにミハルが悲鳴を上げる。ウェスリーが慌てて振り向くと、階段を降り切った場所に確かに幼い女の子が立っている。

 青白い肌、くすんだ顔、薄汚れた着衣。その中にあって異質なほど真っ赤な両眼。

 反射的に全員階段を上って逃げ出した。ミハルは相変わらずオットーの肩の上である。

「やばいって! ありゃ確かに怖い‼」

 先を行くヴェンデルに付いて、先程ミハルらが進んだのとは逆の廊下に逃げながらクジマ。

「魔物とかちげえじゃねえか! 死霊だ死霊!」

 ユーリーも気色ばんで怒鳴る。

「ウェス准尉ぃ! 死霊相手なら一旦出直すんだろ! 別の場所から屋敷の外へ出よう!」

 先頭を走るヴェンデルが後方のウェスリーに大声で提案するが、それに対するウェスリーの答えは皆が予想だにしないものだった。

「あれは死霊じゃない! 通常の攻撃が通る筈です!」

 全員が一瞬沈黙する。

 ウェスリーは最後尾を走っていたが、その場に立ち止まって言葉を続ける。

「攻撃するまでも無いかもしれない。襲ってはこない、呪ったりもしない。あれはただいるだけだ、人形のようなものなんです」

 ミハルを抱えたオットーが最も早くウェスリーの言葉を理解して足を止めた。

「……何者なのですか」

 振り向いて問うオットーの目を見返してウェスリーは答える。

「あれはゴーレムです。魔術師が使役している」

 皆が逃げるのを止めて顔を見合わせた。

 松明代わりの光球はずっと頭上でふわふわと浮いて彼等を照らしている。


 ごんごんっと一階床の一角を靴の踵で叩くように蹴って、ユーリーは他の班員を呼ばわった。

「ここじゃねえですかね!」

 その声を聞いて皆が各々の探索していた所から離れてユーリーのもとへ集まってくる。屋敷の一階部分、暖炉のある居室である。カーテンが破れた大きな窓からは日の光が部屋全体を照らすように注いでいる。部屋の中は至る所に埃が積もり蜘蛛の巣が幾重も張って、到底人の住めたものでない有様である。ヴェンデルは先程から激しくくしゃみを繰り返している。

 ウェスリーはユーリーの横に立つと彼の示した場所を観察する。

 ここの床だけ大きな長方形状に埃がほとんど付いていない。そして近辺には新しい足跡が入り乱れるように残っている。

 膝をついてしゃがみ込むと床板をつぶさに見る。屋敷の他の床部分と違い、床板が傷んでいない。そしてウェスリーは目当てのものを見つけて立ち上がった。

「ありました。魔法錠の印」

「開錠は?」

「すぐにはできません。時間を掛ければ印を解読して、合う鍵の呪を作成できるでしょうけど」

「どのくらい掛かるんですかぃ」

「……半日」

「ひえー」

 ユーリーに答えるウェスリーの言葉を聞いてクジマが嘆息する。ウェスリーは溜息をついて、ミハルを呼んだ。

「ミハル大尉! ちょっと来てください! ……ってどこ行ったんだ。おい! ミハル!」

 その場を離れ、高く足音を立ててミハルの姿を探し求める。すぐに見つかる。ミハルは正面階段の下で座り込んで青白い少女をまじまじと見ていた。少女の姿のそれは、真っ赤な両眼でミハルを見つめ返している。

「……何してるんだ」

「いや、人形にしても出来がいいんだなあと思って。目が微妙に光ってるし。触れるし、死霊じゃないって分かってみると面白い」

「さっきのあんた……」

「言うな」

 先程の彼の醜態を蒸し返そうとしたウェスリーをひたと見つめてミハルは一言で制した。竜族ですら恐れぬリパロヴィナ軍きっての豪の者がお化けが怖い、などとは何という冗談だろう。事前に把握してはいたものの、まさかあそこまで無様な姿を見せるとは。ウェスリーは先日の花街騒動の仕返しに暫くいじり倒してやろうと固く決意した。

 それは兎も角である。

「ミハル大尉、司令部に通信を。政庁の魔法局と警保局に出動を要請したいと」

「んん? どういう意図で?」

 ミハルは立ち上がって問い質す。ウェスリーは眼差しを強くして答える。

「ここまで精巧なゴーレムを俺は今までに見たことが無い。こんな代物、許可を受けて研究開発してるなら知らない筈がない。無許可の魔術研究なんだよ、恐らく無資格魔術師による」

「ダメなんだ、これ」

「あんたも一応有資格の初級魔術士だろ。そのくらい分かっておいてくれ。一部の初歩的日常使用魔術以外、無資格無許可による魔術使用は違法だよ」

 厳しい語調で言い放つウェスリーから目を離して、ミハルは再び少女の姿をしたゴーレムの前に座り込んだ。

「お前ダメなんだってよ。折角こんなによくできてるのにな」

 蒼白の少女は返事をしない。

「意思は持たないし応答もしないよ。主人の簡単な命令を実行するだけの傀儡くぐつだから」

 呆れたようにウェスリーは告げる。

 ミハルは少女の顔を見つめてつまらなさそうに唇を尖らせた。小さな声で呟く。

「お前が俺の代わりに書類にサインしてくれたらね……」

 少女は赤い目を静かにミハルに向け続ける。

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