第3話 廃屋

 朝食の卵焼きが甘かった。

 ミハルはそれだけで一日頑張ろうと(その時だけ)思う。ウェスリーは甘い卵焼きが苦手なようで何やら文句を垂れていたが、垂れるのは目だけにしておけと思うミハルである。

 昨日のホルストによる命令で鬱々とした気分であったが、とりあえず行くだけは行ってやろうと考えられる程度には気持ちが上向いた。

 班員を招集し、今朝は雪が解けてぬかるんだ営庭にて出発前の確認をする。

 ミハル班は自由な輩が多い。他の隊員が見ている前ではちゃんとするのだが、班だけの行動となると好き放題である。今も、普通であれば班長の前に整列するところなのだろうが、何故か班員達はてんでばらばらに立っている。

「死霊の館に行くってのはほんとですか大隊長!」

 クジマが軍靴でぬかるみをぐちゃぐちゃと踏みながら元気に尋ねる。

「不本意ながらその通りだ。その行動には何の意味があるんだクジマ」

 ミハルが答えつつ問うと、クジマは笑うだけで返答をしない。

「死霊の館ねぇ……美形の女の霊なら喜んでお相手すんだがなぁ」

「女の死霊も出るっつう話を俺は隊内で聞きましたがね」

 ぼやくヴェンデルにユーリーが返す。ウェスリーは一人雑嚢ざつのうから取り出した資料を再度読みながら目も上げずに言う。

「女だとか男だとかに構っていられるような悠長な展開になればいいですが」

 この間オットーは無言である。

 クジマの行動を理解することを諦めたミハルは、防寒用の飛行帽を深く被り直して全員を見渡した。

「まーいいや。今日はいわば偵察だ。ちらっと見て、正体がただの魔物なら軽く殺して帰ってくる。まじで死霊だとかの類なら……」

「類なら?」

 いいところに合いの手を入れてくれるクジマである。ミハルは握り拳をして無駄に張りのある声で宣言する。

「戦略的撤退だ!」

「そこは戦術的撤退だろ」

 冷めきった眼差しのウェスリーが突っ込む。

「戦術的撤退だ!」

 やり直すミハル。

「撤退? 撤退するんですか隊長!」

 残念そうに言うクジマの肩にぽんと手を置くと、ユーリーが訳知り顔で笑う。

「大隊長はな、死霊だとかの類が大層苦手であらせられるんだ」

「あ、ユーリーてめえ何を」

「まじで? 隊長にも怖いものとかあるんですかぁ」

「無いけど」

「隊長、嘘はいけませんぜ。こないだ若い兵の間で便所に出る霊の噂が回ってた時、しばらくオットー少尉に連れション頼んでたっつうのを本人から聞きましたぜ」

 嬉々としてミハルの恥部を披露するユーリー。ミハルは悲痛な顔でオットーに振り向いた。

「オットぉー」

「隠すべきでしたか」

 ここにきてようやく発言するオットー。

「隠すべきでしたー」

「でも隊長が死霊が怖いとか意外だなあ!」

「いや怖くないけど」

「今自分で隠す云々言っといてそれですかぃ」

 ヴェンデルも口を挟んでくる。口髭を撫でながら唇の片端を上げてにやにやと笑っている。

 三人から妙に嬉し気な視線で眺められて、ミハルは居心地が悪くなってくる。なに? なんなの? 逆にお前ら死霊とか平気なの? 死んでんだよ? 身体無いんだよ? 攻撃できないじゃん。呪われるじゃん。

 ふとウェスリーはどうなんだ、と思い付いて、先程から資料とにらめっこを続ける彼に目を遣る。ウェスリーはどちらかと言えば怖がりだし自分寄りなのではないか。この間花街の女に怖い話を聞いたと言っていた時も、詳しく話さなかったのはそういうことではないのか。そうだウェス、こちら側に来い!

 ミハルの切なる視線に気付いてか、ウェスリーは資料の束から目を上げると己がパートナーに顔を向ける。ミハルは嫌な予感がした。薄い。表情が薄過ぎる。

「ウェス、お前」

「予め言っておきますが俺は死霊だとかはさほど怖いと思いません。あんたが不勉強なだけで死霊には死霊の対処方法が存在する。今回偵察してみて真に死霊であると確定した場合、それ相応の対策を講じて再度任務にあたることになる」

「師団長は手に負えないなら丸投げすると言ったぞ!」

「無理もない。死霊への対処は軍では教わらないから」

「俺には不勉強っつっただろーが! ホルスト少将はいいのかよ!」

「ホルスト少将はお忙しいから……」

「俺も忙しいよ⁉」

「もう行きましょう。さっきから任務については一向に話が進んでいませんし」

 最近ウェスリーが冷たい。きっと花街に連れて行ってからなのだ。この男は恨みを根に持つ。まるで恨みを残して死んだ死霊のようではないか。

 思いも寄らぬ両者の共通点を発見してミハルは慄然とした。

「こええよぉ」

 そんなミハルの反応を見てにやにやする班員達だが、オットーはそっとミハルの傍らに立つと気遣うようにぼそりと声を掛けた。

「お祓い、後で行きましょう隊長」


 冬季の箒上そうじょうは寒い。

 箒術を用いている際、箒と術者を覆うように魔力の膜のようなものが張られる。しかしそれは防御膜や障壁のような強固なものではなく、蒸気のように流動する粒子の集まりに過ぎない。外気を遮断するには至らず、冷えた上空の空気はほぼ直接的に乗り手にぶつかる。

 したがって箒兵の防寒飛行服は特別仕様に暖かく作られている。

 ミハルはだが防寒着が好きではない。ごわごわして動きにくいし室内に入ると暑い。着なければ死ぬから着るが嬉しくはない。ウェスリーは反面、着込めるだけ着込むのが好きなようだ。たまにミハルの外套まで拝借していることがある。

「……ひょろがりちゃんだから寒がりなんだよな」

「あ? なんか言いましたか?」

 ミハルの背後からウェスリーが聞き咎める。

 ウェスリーは長距離を移動する際はミハルの後部座席に乗ることになっている。理由はウェスリーの箒が遅いからだ。厳密に言うと特別遅いわけではないが、ミハルが速度を出し過ぎるので、付いていけないのだ。

 業を煮やしたミハルはある時自分の箒への同乗を指示した。ウェスリーは激しく抵抗したが、ミハルは許さなかった。以来、ウェスリーは渋々だが当たり前のように同乗している。

 腰に回されたウェスリーの腕に力がこもっているのを感じつつ、ミハルは返す。

「なんもねえす。それよりちょっと苦しいんだけど」

「あんたが飛ばすからだろ」

「ベルトもしてるし、落ちやしねえよ」

「以前一度振り落とされそうになった」

「ははっ、あれは焦った。お前完全に横倒しになってたもんね」

「誰のせいだと思ってるんだ」

「お前が手を離すからだろ」

「そう思うなら苦しいのは許容しろ」

「んん?」

 ほんとだ。そういうことになっちまう。

 あれーと気の抜けたように呟くミハルには頓着せず、ウェスリーは任務についての話を始めた。

「今回の死霊の件、随分前から隊内でも一般の人々の間でも噂になっていたようだ。俺も例の女性から話を聞いていて……」

「あの娼婦ね」

「……概ね話には類型があって、細部は異なるが全てに共通する点がある。一つは街道沿いの廃屋敷での出来事ということ、もう一つは死霊は全て赤い目をしているということだ」

「雪ウサギみてえだな」

「資料には、主にクヴィエト市民からなされた陳情の内容が載っているが、やはり目撃された死霊は皆赤い目をしているという。そういう特徴を持った一体の魔物もしくは死霊を、目撃者が記憶違いなどで様々な姿に説明しているということも考えられる」

「ふむ」

「だが目撃された死霊には幼児、女性、老人などの姿のものがいる。幼児と老人を誤認することがあるだろうか、という疑問もある。死霊らしきものは複数いて皆目に同じ特徴を持っていると考えた方が説明が付きやすい」

「なるほど」

「一方で魔物のような姿だったとする証言もある。これもまた赤い目をしている。魔物の姿と人間の姿を見間違えるとすれば、人型の魔物ということになるが、ゴブリンやオーガ、オークなんかは赤い目の個体が報告されたことはない。精霊と考えるとこれも妙だ。精霊は自然豊かな場所に住まうのが普通で、廃屋などにとどまることは考えにくい。未確認の魔物が出現したという可能性も考えられなくはないがここに関しては現場に行って確認するより他はない。不思議なのは事案の結果についてなんだが、巷間に流布する話によると目撃者はその後帰ってこない、同伴者が殺された、呪われた、気が狂ったなどの結末に終わることが多い。しかし陳情を読んでいるとそういった具体的な結果は出てこない。死霊らしきものに襲撃されたり追われたりという証言はないんだ。ただそこにある、という出現の仕方があるんだろうか。そうなると魔物や死霊というよりは精霊や妖精の類の方が幾分近いとも言える」

「ウェス」

「なんだ」

「相変わらずよく喋るねお前」

 呆然と前を向いたままミハルは言う。途中からウェスリーの言葉が右耳から入って左耳を抜けて行った感がある。

 ミハルからは見えないがウェスリーは軽く赤面した。赤面しながらも不満気に声を上げる。

「任務のことだから仕方ないだろうが。ある程度状況を予測していくことは有用だし……」

 それに対して唐突に、次々と班員達の声が音声拡張器越しに掛けられた。

「よく分かりましたよウェス准尉ぃ!」

「よく分かったか? 俺ぁ半分も理解できなかった気がするんだが」

「結局行ってみないと分からん、てことだと思うんですが違いますかね?」

「……雪ウサギなら捕まえたい」

「食べるのかぁ? オットー!」

 盛り上がる班員達をよそにウェスリーはますます赤面していく。

 拡張器を起動させたままずっと話していたことに思い至り黙り込んでしまったウェスリーを肩越しに振り向くと、ミハルは気の抜けた笑顔で言う。

「死霊じゃないかもって言ってくれたんだろ? ありがとな」

「いっいや別にあんたを安心させようとかそういう意図は無いからな!」

「照れんなよ」

「はっ⁉ 照れてるわけじゃない!」

 力一杯反駁してくるウェスリーが自分の後ろで身体を固くしているのを感じ取って、ミハルはにまにまと笑った。

 こういうところ面白いやつなんだよ。


 件の屋敷は噂で言われているように街道沿いすぐに位置するというわけではなく、主要街道から分かれる細い支道を少し進んだところにあった。道自体は舗装され現在でも使用されている様子だが、その途中、堅固な構えの門の中に佇む屋敷は、廃墟と言って差し支えない荒れ果てた趣である。荒れてはいるが石造の重厚な建物は残っており、元は壮麗な邸宅だったのであろうことが窺える。

 ミハル班の面々は半開きになった鉄門の前に銘々立って、中を覗き込んだ。

 クジマが囁く。

「どう? なんか見える?」

「茂みみたいになった屋敷が見えらぁ」

 彼のパートナーであるユーリーが答える。

「それは俺にだって見えてるよ。怪しげなもんはいないのかよぉ」

「特に不審なもんは見当たらねえな」

「美女、美女の死霊はいねえのか?」

 額の上に手をかざしながらヴェンデル。

「いねえですぜ。そもそも美女の死霊がいたから何だっつう話では?」

「そうだよなぁーヤれるわけじゃねえんだし!」

「かーっ、これだからおめえらは! 情緒ってもんがねえのかよ。ヤれなくても心が潤うだろうが美女ならよぉ」

 三人がまたもやいやい始める横で、ウェスリーも門扉の隙間から敷地内を覗き込む。ミハルはウェスリーの後ろに陣取って彼の肩口に顎を置いている。耳近くでミハルが低く呟いた。

「……なんかいる?」

「今のところ何も確認できません」

 言いながらウェスリーは門扉に手を掛け、そっと押した。耳障りな音を立てて蝶番が軋む。ミハルの体がほんの僅か跳ねた。ウェスリーはちらりとミハルを見遣る。

「……ただの門の音ですよ」

「分かってるしびびってねえよ」

「びびってますか、とも何とも言ってないんだけどな……」

「む」

 ウェスリーの肩から顎を離してミハルが彼に向き直ろうとした時、それまで黙って皆の後ろに立っていたオットーがやおら声を上げた。

「あれを」

 彼の声につられて全員オットーを振り返る。オットーは人差し指で屋敷の一角を指し示している。今度は全員指差された方を見る。

 オットーが指した先には、建物二階部分に広く切り取られた窓があった。そこに中から覗く人影。午前の明るい日の光の中でその空間だけやけに暗く見える。暗がりの中には赤い二つの光。

 赤い目だ。

「オットー来い!」

 言うなりミハルが門扉を蹴って開け、そのまま駆けだした。応の一声を返しオットーも即座に走り出す。

「ウェスは周囲の安全確保! 後から来い!」

 振り向きもせずに出された指示にウェスリーが応える間も無く、ミハルとオットーは前庭を駆け抜けて正面の建物の扉から中に消えた。

 遅れてヴェンデルが駆けだす。

「どっちがパートナーなんだかなっと!」

 走りながら言い捨てたその言葉が独り言なのかウェスリーに向けられたものなのかは謎である。間も無くヴェンデルの姿も扉の中に消える。ウェスリーの肩に手を置いてクジマが言った。

「俺らは安全確保っつうことで!」

「まずは建物周囲を確認、安全が確保できれば隊長を追いましょうぜ」

 ユーリーが門をくぐりながら言うのを横目に見つつウェスリーは頷き、屋敷の正面扉に視線を遣った。

「……怖いんじゃないのかよミハル」

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