100年と1秒と1時間の私。【角川武蔵野文学賞】最終選考対象作品
雨 杜和(あめ とわ)
100年と1秒と1時間の私
今年、なんとか大学に合格できた私は、ほんと普通で面白みがなく自己肯定感も低いのだけど、でも、ひそかに
たとえば、「今日もいい天気ね」と、挨拶するのと、
「いい天気しか、取り柄がないって残念な日ね」と、アンニュイに呟くのは、なんていうか、頭の違いみたいなものを感じて打ちのめされる。
芽衣は無意識に絶妙なタイミングで人を魅了する。時に残酷で時に優しく、そして、病んでいた。そんな彼女が普通の私に興味をもつって、不思議でならない。
「超クールな母親が面白いから」というのが理由らしい。
私の母はシングルマザーで確かに変わっている。ただ、あれをクールと評するのは芽衣くらいだろう。
母は、たとえば「普通ってタイクツ」って呟くと、「そうですか」と、無表情に返してくる。そして、メガネの柄の部分を指先で触れ顔の中心に1ミリも狂わないようレンズの位置を修正する。母はこれを1日に何度も繰り返す。
「普通って良い事なの?」
「善悪の問題ではありません。どのような事象にも発端と理由があります。普通を突き詰めれば、人を傷つけたくないのか、自分が傷つきたくないのかという問題に集約されます」
母と話すと、いつも私は思考停止に陥り最初に何を話したかったのか忘れる。
母は常に冷静で取り乱すことがない。大学で研究に明け暮れる尊敬すべき女性だとは思う。しかし、人とのコミュニケーションに焦点を絞れば、よほど私の方が上手い。
そもそも母は人に興味などない。環境史とか縄文人とか、母にとって世界はそうしたもので成り立っており、そこに、ヒト科はあっても人間はいない。
従って母との会話はぶち切れになる。論点のみで途中のどうでもいい話題がなくなる。
芽衣のように「いい天気しか、取り柄がないって残念な日ね」と、印象的な言葉を扱う人間とは真逆の存在だ。芽衣は言葉の詩人で繊細すぎる心を持て余し、母とは別の意味で人との深い繋がりを嫌っていた。
普段の私は、よく母の演説を
だから、「研究はどう」と、スマホをみながら話を振った。
母は昭和37年に発掘された井の頭池遺跡群を調査研究していた。それは武蔵野市から三鷹市に至る広範囲な地域に発見された遺跡で
「縄文時代に文字がありませんでした」と、母の会話はいきなり本題に入る。
(何が聞きたいの)といった、会話のちょっとした前振りみたいなものがない。
興に乗ると相手をおいて話し続け、聞いているかどうか全く
『天才なのよ、あなたのお母さんは』と、祖母は自慢気だった。
そして、縄文時代でスイッチが入った母は
「武蔵野の平原はススキで覆われた原野です。山岳地帯が多い日本にとって貴重な平地ですが、富士山の大噴火で降った火山灰が固まった関東ローム層ですから」
ここで母はメガネの柄に触れ、関東ローム層はと再び続ける。
「赤土で雨が降ってもすぐに地面に染み込み作物が育ちにくいのです。しかし、縄文時代には井の頭近辺で湧き水が出ました。だからこそ多くの縄文人が暮らせたのです。人類発祥の昔から例をみるまでもなく、文明が発達する場所は常に水が豊富でした。弥生時代になると気候変動が起きヒトは消えます。生活のための水が乏しくなり、住むに厳しい場所であったようです。弥生時代の前に、武蔵野に大規模な集落を縄文人が作ったことを考えれば稲作もなされていたはずです。かのことからも、当時は、この地に水が湧き出ていたのは間違いありません」
母はまるで自動ロボット案内のように話し続ける。10分くらい聞いていると、たいてい私は限界になる。
そして、話は別の話題へと唐突に飛ぶ。おそらく脳内では論理的に思考が組み立てられているのだが、他人にはわかりずらい。
「日本が日本と呼ばれたのは、わりと最近です」
大化の改新で天智天皇が日本を国号として定めた時代を最近と母は言う。
つけ加えておくと、母の時間感覚は宇宙人だ。たいていの人は時間を1時間単位で考えるだろう。しかし、母は100年、1世紀で考える。つまり、母にとっての1時間は1世紀に相当する。
だから、ときどき話が見えなくなる。とくに学校行事があって、友人の母たちが、「自分の子どもが、いかに頭が悪いか」を競っている会話のなかで、母は真っ正直に意見を言う。
「そうですか。オタクのお子さんの脳細胞が縄文人的にゆったりしているのですね」と。
相手はあんぐりと口を開ける。そして、お愛想で質問したりすると、母はスマホのメイン画面に蓄えた縄文人の写真を出してくる。
それは復元された縄文人で、人類よりもどちらかといえばゴリラ寄り。
子どもが縄文人的と言われ、そこで喜ぶ母親はいない。
その時点で相手は引く。いや、縄文人がでてきたとき、すでに5kmは引いている。写真の段階でドアが閉じる。
母は武蔵野の縄文人に夢中であった。
「古代、
母の話を聞きながら、私は漠然とラインをいじっていた。
[さようなら、わが友、わが命]
芽衣からのLINEメッセージで、スマホがピンと鳴った。
ソファで身体半分がずり落ちそうになっていた私は飛び上がった。
「発掘された土器」から「芸術性」の間で、スマホを両手でタンブリングした。
芽衣は病んでいる。それは本人も自覚していた。普通ならそんなことでと驚くような軽い事柄でも心を病む。まして今は両親が離婚しそうで余計に不安定だった。もともと彼女の親は仕事が忙しく、幼いころから芽衣を一人にした。現在は吉祥寺の高級マンションで一人暮らしだ。
「母さん」
「どうしましたか」
「芽衣のマンションに行かなきゃ」
母は私の顔をみるとメガネの柄を調整して、それから、立ち上がった。
「車を出します」
時計は午後11時を指していた。
芽衣が吉祥寺に住む理由は三鷹の森があるからで、彼女いわく、ジブリ美術館の屋上にあるロボット兵が自分の生きる理想なのだそうだ。その意味を聞いたが教えてくれなかった。
マンションには20分ほどで到着した。
学生が住むには贅沢な場所だが、芽衣の親は面倒をみない言い訳を金で解決する。また、その余裕も十分にあった。
つまり、芽衣は甘やかされた子どもで、つねに愛情に飢えていた。
マンションのコンシェルジェは顔見知りだった。
彼は、「どうかなさいましたか?」と、いつも通りに丁重だった。
「柏木芽衣と連絡が取れないの。ほら、こんなメールが」
彼女が送ってきたメールを見せた。
彼はインターフォンで芽衣を呼んだ。
誰もでない。
「早く! お願い、早く!」
「わかりました。お待ちください」
彼は奥に引っ込み、合鍵を持ってあらわれた。
私は最悪の事態を想像した。
3階にある部屋の前でコンシェルジェはドアフォンを鳴らす。
「芽衣! 芽衣!」
私は我慢ができず、ドアを乱暴に叩いた。
静かな夜にドアを叩く音が響く。コンシェルジェの顔に困ったような表情が浮かんだ瞬間、ドアが開いた。
芽衣が皮肉な顔で立っていた。
「最速記録を更新したわね」と、青い顔で彼女はつぶやいた。
「芽衣、芽衣」
彼女は人と肌で接触をすることを嫌う。普段なら芽衣に抱きつくなんてしない。しかし、あまりにほっとして、思わず抱きつきドアから部屋に転がりこんでしまった。
訓練をうけたコンシェルジェは内心の怒りを顕さず、「何事もなくよろしゅうございました」と微笑んでいる。
私は、ちょっとバツが悪くて、だから芽衣に抱きついたまま胸に顔をうずめた。
「ああ、帰っていいよ、君。悪かったね、騒がせて」と、芽衣が冷静に話している。
芽衣の胸の鼓動が聞こえる。それは、冷静とは程遠く大きく高鳴っていた。
「なにがあったの」
部屋に入って私は問い詰めた。
「なにも」と、芽衣の声は冷たい。
「では、私は帰りましょう」と、母は去った。
「お母さん、やはり、超クールね」
「なにがあったの!」
「親の離婚が成立しただけかな」
芽衣の顔を凝視すると、彼女は「穴があく」と視線をそらした。私はどう言っていいか悩んだ。そして、スマホを取り出した。
「じゃあ、記念の自撮り」
「イミがわからない」という声を無視して、スマホ画面を覗く。
「笑って」
芽衣は泣きそうな表情を一瞬だけ浮かべ、それから、下から覗き込むように笑った。彼女が笑うことは珍しい。笑うにも、いろいろあるけど。しかし、芽衣の笑顔は一種類しかない。なんていうか高貴な笑顔というか、無表情が一変して、輝くような光を放つ。聖母の神々しい笑顔に似ている。わたしは、その表情を見て、少しだけ恐くなった。
だから、慌ててシャッターを切った。
「大丈夫」と、
芽衣がふんっと鼻で息をして「モチ」と、小さく呟いた。
彼女はいつも自分の死に場所を探している。あのジブリ美術館のロボット兵のように破滅を正面に見据えて生きている。
だって、芽衣の時間は常に1秒単位なのだから。私はそれを1時間単位に伸ばしたくて、いつも手探りでさがしている。
(了)
100年と1秒と1時間の私。【角川武蔵野文学賞】最終選考対象作品 雨 杜和(あめ とわ) @amelish
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