#だって私は良い子だから

海野しぃる

どうして

「ゆみちゃん、猫死んでる」

「死んでるねえ」


 小学校に行く為の坂道。

 その入口に置いてあった小さなダンボール。

 ダンボールの中で、黒い毛玉から赤い血が溢れていた。


「カンナちゃん。行こう。きっと大人の人が片付けてくれるよ」


 まだ赤かった。

 頭の上を烏が飛んでいる。

 あぁ、あぁ、あぁ、と名残惜しそうに声を上げている。


「かわいそうだよ。埋めてあげないと」


 私がそう言うと、ゆみちゃんは猫をチラリと見て目を伏せる。


「ダメだよカンナちゃん」

「なんで?」

「私たちが勝手に触ると怒られちゃうよ。それに病気とかうつったら大変だよ? 学校に遅刻してみんなを心配させたらいけないよ。ちゃんと先生に言おう」


 確かに猫の死体に触るのはいけないことだ。

 ゆみちゃんの言う通りだ。

 私は後から死体を見に来る男子を追い払ってから、ゆみちゃんと小学校へ向かった。


     *


 帰り道。ダンボールはまだそこにあった。

 先に帰っていた下級生たちが興味深そうに覗き込んでいた。

 烏はまだ飛んでいる。

 あぁ、あぁ、あぁ、と名残惜しそうに声を上げている。


「なんでまだあるの……?」


 先生にはちゃんと伝えた。

 役所にもちゃんと電話してもらった。

 偉いねって褒めてもらった。

 私のしたことって、なに。


「ちょっと、あなたたち」


 そう声をかけると、背の低い下級生たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 彼らが居なくなってから、改めてダンボールを見ると、子猫だったものがそこにあった。

 皮は大きく裂けて、赤だか茶色だかわからない肉がはみ出して、あちこちちぎれていて、思わず顔をしかめてしまうような異臭がした。


「あぁ、これはひどいねえ」


 背後から声が聞こえてびっくりして振り返った。

 黒い服を着た大人の男の人だった。烏に似ていた。


「朝、先生に連絡したんです。ちゃんと綺麗にしてもらえるようにって、なのに、まだそのままだなんて思ってなくて……」

「君は良いことをしたねえ」


 全然良いことをしたように思えなかった。

 猫はまだ、こうしてここで死んでいるのに。


「なんでまだここに猫の死体が残っているのか。納得できないという顔だね」


 私は頷く。当たり前だ。


「お役所の仕事には街を綺麗にするのも含まれている。けど、お金が無いんだよ」

「お金がない?」

「人手が足りないのさ。街の中を綺麗にする仕事はお金にならないし、みんなお金を出したがらないから。価値がないことは誰もやらない訳だ」


 このかわいそうな子猫に、価値が無いと言われたような気がした。

 別にこの子は、何も悪いことなんてしてないのに。


「じゃあ、この子はなんとかしてあげられないんですか? 可哀想で……」

「大丈夫」


 男はニッコリと頷いて一枚の紙を差し出す。


「しっかりと話し合えば、役所の人も分かってくれるよ」


 そこには、電話番号が書いてあった。


     *


 本当にかわいそうな子猫は居なくなった。


「カンナちゃん、本当に役所に直接電話したの?」

「うん、だって可哀想だったし、お父さんもお母さんも、褒めてくれたの!」


 私は胸を張る。

 通学路から子猫の死体は消えて、いつもどおりの通学路が戻ってきた。


「ええ……っと、すごいね、カンナちゃん」


 ゆみちゃんは驚いた表情を浮かべる。少し気分が良かった。


「そうかな?」

「うん、だって大人が動いた訳だしさ」

「大人が……」

「カンナちゃんが声を上げたから、きっと動こうとしてくれたんだろうなって」


 私が声を上げたから、という言葉が耳に残った。


「でも、結局、猫を捨てる人が居たから猫が死んだじゃん」

「そうだね」

「私がしたことなんて、結局その程度のことだと思うんだ。死体を片付けたのも私じゃないし、そんな……」

「大丈夫、良いことをしたよ」


 脳裏に黒い子猫の亡骸が見える。

 切り裂かれた皮に小さな虫がひっついていて、ぴょこぴょこと飛び回っている。

 誰にもなにもしてもらえなかった小さな猫の亡骸。


「カンナちゃん?」


 気持ち悪くて仕方なかった。

 道路にうずくまる。呼吸が荒くなる。私には無理だ。

 なんであんなひどいことができるのだろう。涙が出てきて、心臓のバクバクが止まらない。

 頭にゆみちゃんの手が触れる。優しく撫でてくれる。


「カンナちゃんは良い子だよ」


 あの猫は誰かに撫でてもらえたのだろうか。いや、きっと生まれてすぐ捨てられて。それでおしまいだ。ひどい。なんで、こんなひどいこと。

 なにか返事するべきなのに、私は上手く言葉を紡げないでいた。


     *


 ゆみちゃんには、結局曖昧なありがとうしか言えなかった。

 帰り道の分かれ道、二人で別れて家路を急ぐ。後もう少しで家という場所に。

 また猫の死体が転がっていた。今度は車に轢かれたのか、まだほかほかと湯気が立っているような気さえした。真っ赤な血と肉が道路にべったりと染み付いている。


「おや、昨日のお嬢さんか」


 昨日と同じ、黒い服の男の人も居た。相変わらず、その場にそぐわないとぼけた声音だった。

 私は唇を真横に結んで、一歩後ずさる。


「君はお家に帰ると良い。こんなものは見なくて良いんだ」


 そう言って男の人は黒いビニール袋の中に、火ばさみを使って、猫だったものを放り込んでいく。


「こんなもの……」


 確かに男の人の言う通り、こんなものだった。

 可愛くて、柔らかくて、高い声で鳴く猫も、バラバラにしてアスファルトにこすりつけてしまえば、赤い染み。


「僕が綺麗にしておくからさ」

「こんなもの……」

「ごめん。言い方が悪かったよ」


 男の人は悲しそうに眉根を寄せる。


「このままにしていたら可哀想だろう?」

「……はい」


 この人は良い人だと思った。目頭が熱くなってきた。


「ほら、もう行くと良い」

「あの……埋めるんですか?」

「燃やすよ、そういうものだからね」


 ごみなんだ。これ、ごみなんだな。

 これ、ごみ扱いされるの?

 ごみになるべきはこの子じゃない。

 本当のごみは、轢き殺した人だ。

 燃えるべきごみはそいつだ。


「昨日の子猫と同じさ。死んでしまったらものだから……悲しいね」


 そう言われて初めて気がついた。ダンボールの中で死んだあの子も、ごみだったんだ。役所の人たちは、あの子たちのお墓を作ってくれる訳じゃないんだ。


「どうして……」

「生きていたらかわいいのに、死んだらごみなんだ。ひどいよね」


 許せない。なんであの子も、この子も、ごみにならなくちゃいけないんだ。

 許せない。私には何もできない。

 本当に何もできない?

 あぁ、あぁ、と烏が鳴いている。血の匂いを嗅ぎつけて、近くまで迫ってきている。考えなければいけない。私にできること。


「あの、おじさん」

「なんだい」

「その子のお墓を作ってあげたいんです。ごみにしないであげられますか」


 それを聞くと、男の人は嬉しそうに頷いた。


「分かった。君は良い子だね。けど、今から君がお墓を掘っても間に合わないだろう? 作る場所とか、準備とか、この子はもう腐るだけだからね」

「駄目なんですか……?」

「いいや、この子猫の墓は僕が作っておいてあげよう」


 胸が軽くなった。

 可哀想な猫が、可哀想なままでは終わらないことが、嬉しかった。


「ありがとうございます!」

「お礼は不要だよ。だからさ、君もかわいそうな誰かを助けてあげて。猫でもいいし、人でもいいし、困ってる人の力になってあげてよ」


 おじさんは笑っていた。

 私は大きく頷いた。とても良い人だ。世の中の人が、みんなこれくらい優しければ良いのに。


     *


 普段どおりの学校からの帰り道。ゆみちゃんはいつもどおり幸せそうな顔。この子は何も知らないから。


「カンナちゃん、最近なにかあった? すごく楽しそうだよ」

「やりたいことが見つかったの」

「やりたいこと?」


 皆知らない。世の中には悲しいことは多い。

 テレビのニュースやインターネット、調べる程たくさんの悲しいことが見つかる。

 私は悲しいことを減らさなきゃいけない。


「動物愛護団体について調べててね……ああいうかわいそうな子を少しでも減らしたいなあって思って」

「偉いねえカンナちゃんは」

「それで今度、連絡がとれた団体の人にお話聞きに行くの!」

「え、それって良いって言われたの?」

「パパとママが素敵なことだからぜひやりなさいって。送ってもらう予定なんだ」

「熱心だねぇ……」


 私は良い子だ。

 新聞や町の人の話、調べる程たくさんのごみが見つかる。

 綺麗にしなきゃいけない。

 今この瞬間だけじゃなくて、遡れば悲しいことも嫌なことも沢山あって、みんなそれを見て見ぬ振りしている。

 みんなに教えなきゃいけない。まずはゆみちゃんにも分かってもらわないと。


「放っておけないよ。気づいた私がやらなきゃ」


 大丈夫、話し合えば分かってくれる。

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