第12話 いない存在(完)
「ただいまー」
家に帰ると、いつものように兄さんが出迎えてくれる。
「おかえり。いいことでもあった? 今日は部員の勧誘に行ったんだよね?」
「それはまだ何の手ごたえもないけど。それとは別で……真吾のやつ、同性愛とか理解あるみたいなんだ。もしかしたら話せるかも……。近くに理解してくれる人がいるかもしれないって思うだけで、なんか気持ちが落ち着くって言うか」
「……そう」
兄さんは、少し間を置いて優しく答えた。
なぜか嬉しくなさそうで、僕は首を傾げる。
「兄さん? 嬉しくないの? 僕を理解してくれる人がいたんだよ。まだ話してないけど、たぶん理解してくれる。僕だけじゃなくて、兄さんのことだって、たぶん理解してくれるよ? それに真吾の友達が僕らと同じで……真吾伝いで知り合うことが出来るかもしれないし」
「うん、それはいいことだよ。すごくいいこと」
だったらどうして、そんな嬉しくなさそうにするんだろう。
「これまでミコトがひとりで抱えきれずにいた感情を、俺がずっと受け止めてきたでしょう?」
「うん……」
「つまりね、他でそういう人が出来たなら、俺はいらない存在になるってことなんだ」
「いらない存在って……」
ふいになぜだかユウマのことを思い出す。どうしてなのかはわからない。わからないのではなく、わかろうとしていなのかもしれない。
「俺はもともと、いない存在だからね」
考えないようにしていたのに、兄さんは僕に答えを突きつけてきた。
「なに言って……」
「いないものをいるものとして扱う。そうして自分の心を救ってくれる都合のいい存在を作り出していたんだよ。ミコトは」
「そんなはずないよ。本当に都合がいい存在なら、こんな風に僕を責めたりしないよ?」
「じゃあやっぱり、俺はもう都合が悪くなったってことだ」
「そういうことを言ってるんじゃなくて……」
心がざわつく。兄さんの言ってることが理解できてしまうからだ。
部員が必要なんてものとは比べ物にならないくらい、僕は理解者を求めていた。誰にも言えなくて、でも誰かに話したくて、苦しくて、僕は兄さんに救われた。兄さんにいろいろ話したし、兄さんだって話してくれた。いつも僕の欲しい答えをくれた。
それなのに、僕が答えを作り出していたとでも言うのだろうか。
「そんなはず……兄さんはいつだって僕の相談に乗ってくれたし……」
「いつから?」
高校の頃からだ。僕が同性愛者を自覚し誰にも言えず苦しみだしていたころ。
それ以前は……わからない。
思えば、兄さんには相談に乗ってもらったり、性的な相手をしてもらったりしたけれど、僕が兄さんの相談に乗ったことはなかった。
なぜなら、僕が都合よく作り出した存在で、兄さんは悩みなど持ち合わせていないから。
そう考え始めたら、突然、兄さんのことが怖くなってきた。
「……違うよね? いるんだよね、兄さん」
「存在を疑わないこと。でないと、本当になかったことになっちゃうよ?」
存在を疑わない。
それは兄さんが教えてくれたユウマを創り出す方法だ。本当は兄さんではなく、僕が考えたやり方で、それを都合よく兄さんの言葉としていたのだろうか。
兄さんに対して疑いの感情がぬぐえない。
「兄さ……」
ふと兄さんの姿が見当たらないことに気付く。そんなはずはない。
兄さんはついさっきまでそこにいた。
「待って、待って! もう一度創る! ちゃんと創るから。疑わないようにする!」
「疑わない気持ちだけで創れるものでもないよ。ミコトは悩んで悩んで悩み抜いて、死ぬことすら考えて、すがる思いで相談相手を創り出したんだから。いまのミコトは、そこまでする必要ないでしょ」
声だけが頭に響く。疑いを持ち始めた僕に、兄さんの姿は見えないのだろうか。声だけしか聞こえないのだろうか。
そもそも、いつから見えていなかった……?
いる。兄さんはいる。そう思うと同時に、ユウマはいると語る楓と重なる。ユウマはいない。いるはずない。兄さんは?
「昔ミコトは、日記を書いていたよね。机の引き出しに入れていたっけ」
なんで兄さんがそれを知っているのか。話した覚えはない。勝手に机を見たのだろうか。それとも、兄さんの答えは僕の答えで、知っていて当然なのだろうか。
「日記を見れば、わかるんじゃないかな」
兄さんが呟く。僕自身、日記を見ればきっとわかると思っているのだろう。
普段使うことのない一番下の引き出しをあけると、そこには分厚い日記帳があった。
僕はその日記帳から視線を逸らす。
読んでしまえば、もう元に戻れないような気がして、ぎゅっと目をつぶる。
「……俺が読んであげる」
真実から目を背けようとする僕に代わって、兄さんが日記を読んでくれた。
『卒業式――大しておもしろくもなかった中学最後の日。クラスの女子に呼ばれて、ついて行くとそこに4人の女子が待っていた。合わせて5人の女子のうち、1人が僕を好きだと告白してきた。好意を持ってくれるのはありがたいけれど、よく話したこともないし、女子は苦手だし。付き合って欲しいと言われたけど、もちろん僕は断った。だいたいなんで他に4人も部外者がいるんだろう。僕に振られた女子は泣き出して、周りの女子は僕に冷たい視線を投げかけた。かわいそうだとか、人の心が無いだとか、散々言われた後、立ち去る僕の背中に聞こえてきたのは『あいつゲイなんじゃない?』といった冷たい言葉。きっとそうに違いないとでもいうように、周りの女子達も笑っていた。振られた自分を守るために、僕を悪者にしたかったのかもしれないけど、そんな彼女達を僕は軽蔑した。お前たちより男の方がいいに決まっている。人を馬鹿にしやがって。それと同時に、彼女達の言い分もあながち間違ってはいないのではないかと思った。僕はゲイなのかもしれない』
「はぁ……」
同性愛者であることを自覚した頃の日記だ。こうして昔の記憶を呼び起こすのはあまりいい気がしない。そもそもの原因は、お前ら女子じゃないか。あの頃、そんな風に思っていた。同性愛者であろうが理解してくれる人はかならずいる。
「続けるよ」
兄さんは、優しい口調で語りかけてきた。
『誰でもいい。話を聞いてくれる人がいたらいいのに。だけど話せない。みんなきっと望んだ答えをくれないから』
この頃の自分は、相当病んでいたと思う。いまとなっては、病んでる自分に酔っていたんじゃないかとも思うけど。
『誰にも話せないのなら、いっそぬいぐるみにでも話しかけてみようか』
子供が人形遊びをするように、ぬいぐるみに声をかけて、ぬいぐるみの分まで言葉を考えて。それがちょっと行き過ぎただけなんだと思う。
『親の離婚も、ゲイのことも、なにもかも理解してくれる兄さんみたいな存在がいてくれたら』
その願いは、兄さんの存在を否定していた。
「……俺のこと、いないと思ってる?」
思えばいつも部屋に招き入れていないのに、兄さんはそこにいてくれた。それも、いま思えば不自然なことかもしれない。だとしても……。
「兄さんはいるよ」
「そう……よかった」
兄さんは、また僕が欲しい言葉をくれた。僕を肯定する言葉。僕がそう言われたくて、そう答えさせているのかもしれないけれど。
「…………」
目の前に置かれたままの日記帳を、ゆっくり開く。
何枚か、ビリビリに破り取られた紙の跡が残っているだけで、そこにはなにも書かれていなかった。
その日の夜、スマホにメッセージが届いた。今日会った文芸部の人からで、オカルト部に掛け持ちで入りたいという話だった。嬉しいという感情よりも、僕はどこかほっとしていた。まだ終わりじゃないけれど、これでまた一歩前に進める。
さっそく楓と惣一と真吾にメールを送った。
『5人目の部員が来てくれたよ。これで部になるね』
惣一と真吾からは喜びのメッセージが、楓からは『6人目だよね』と確認の返事が返ってきた。
楓にとってユウマは、おそらく僕にとっての兄ほど大きな存在ではないだろう。ただ真面目に存在を信じた……それだけだと思うけど、そんなのは憶測だ。僕には言えない悩みをユウマだけに打ち明けているのかもしれない。楓にとって必要な存在だからこそ、楓の中でユウマの存在がしっかりと出来上がっていたのかもしれない。
『ユウマは退部したよ』
僕はユウマの存在を否定しないことにした。けれどこのまま居座らせていいのかわからない。わからなくて出した答えがこれだ。
創り出した『いない存在』は、役目を終えると同時に消えてもらった方がいい。ユウマからしてみれば都合よく振り回されただけになってしまうけど、そもそもいないんだ。そんなことに同情なんてしなくていい。遊びはここで終了だ。
次の土曜日、いつものように心霊スポット巡りのため大学へと向かう。
「いってきます」
癖になってしまっていた挨拶を交わす。
「いってらっしゃい」
そう誰かが声を返してくれた。こうして徐々に距離を取っていけばいい。やっぱり消せないけれど、兄さんとは別々に暮らすことになったと、いつか割り切れる日がくるだろう。
少し早めに待ち合わせ場所へとたどり着く。僕の後に来た惣一の顔は、心なしか晴れて見えた。
「よかったよ……新しい部員が決まって。これで、ユウマくんの件も終わりだね」
「うん。新しい人、今日は来れないって連絡あったんだけど、次、紹介するね」
そうしているうちに、楓がやってくる。
「2人とも早いね」
「そうかな」
「2人に伝えたいことがあったんだ」
楓は笑顔でそう言うと、なぜか誰もいない隣に目を向けた。
「ユウマくん、やっぱり退部したくないって」
「え……」
「これで6人だよ! 次からどう車で移動するか考えないとね」
惣一が僕を見て、目でなにかを訴える。
そしてなにも言えずにいる僕の代わりに、口を開いてくれた。
「ユウマくんは、部員が5人揃うまでの期間限定だって……」
「でも本人の気が変わって、入りたいって言ってくれてるんだから、断る理由はないよね?」
楓にはいったいなにが見えているのだろう。
「それと……みんなに避けられてる気がするって、ちょっと気にしてる。みんな仲良くしてあげてほしいな」
そういえば、楓は中性的な容姿のせいか、大学でも1人でいることが多かった。だからこそ、僕は声をかけやすかったんだけど、他の人たちには、避けられていると感じていたのかもしれない。ユウマを同じ目に合わせたくないと、僕らに話してくれているのだろう。
もしユウマを……楓の大事な存在を否定したら、楓はどうなってしまうんだろう。
とくに悩んでいるようには見えなかったけれど、気付けるくらいならとっくにフォローしている。楓は誰にも言えなくて、僕よりユウマに頼ったんだ。
頼れる存在を創ることが出来たなら、よかったと思うべきだろうか。
僕には楓を否定することもユウマを無理やり引きはがすことも出来ない。僕にとって兄さんが掛けがえのない存在になってしまったように、楓にとってのユウマも大きな存在になっているのかもしれないのだ。
楓の心を修復できる存在が、僕であったらよかったのに。
笑顔でユウマに話しかける楓を眺めながら、そんなことを思うのだった。
いない存在 律斗 @litto
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